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カテゴリ:抑うつ感
いつまでもいつまでも、
悩んでいても仕方ないと 分かっているが 塞ぎ込み、悩む。 金曜日の事で、今もずっと 憂悶している。 “後悔先に立たず” 承知しているけれど、 罪悪感や自己嫌悪は消えない。 取り返しが付かないのだから 次から臨機応変に対応できれば良いと 自分に言い聞かせるけれど、 鬱々といつまでも悩む。 そんな自分が大嫌いである。 もっと今という時間を 大切にせねばならないのに、 出来ないのが哀しい。 独りでいると、 その罪悪感や自己嫌悪が 膨れ上がる。 まるで、風船のように。 限界がきて割れてしまったら、 また自傷してしまうのかも知れない。 だけど、そうした所で 何も変わらない事を知った。 また類似した風船が 膨らみ始めるだけなのである。 だからこの想いに、 決着をつけねばならないのであろう。 確かに、事の発端は 私の診察が控えていた為に 例の患者さんの診察が 18時過ぎに終わったという所にある。 だが、私も火曜日と金曜日が診察日だし こうして週2回、主治医と摂食障害について 共同研究したり、話し合ったり する事で、私のこころも救われる。 無論、私も消化不良のまま 診察が終わる事だってある。 その場合は、次の診察で話し合えば良い。 きっとその患者さんは、 刹那的に生きていて、消化不良のまま 診察が終わった事に戸惑いを覚えたのであろう。 直球過ぎるこころを持っていたから、 次の診察まで待つという事が 考えられなかったのかも知れない。 だが、診察は始まりがあれば終わりもある。 それを受け容れなければならない。 だから、余り己ばかりを責めるのを 止めてみようと想う。 しかし、抑うつ状態は続いている。 わだかまりが、しこりとなって こころの中に居座っている。 抑うつ状態が続くと ろくな事を考えないので 普段なら足掻き、どうにか 這い上がろうとするけれど、 そんな力も無い。 過食と嘔吐もしたくないのに 「私は最低な人間。」 「自分を傷つけろ。」 という言葉に揺らいで 結局、食べて吐いた。 この場合の過食と嘔吐は “自傷”の意味を含んでいた。 独りで過ごすのが、 本当に厭で、怖かった。 自分で自分を制御できない恐ろしさ。 自滅衝動を持った自分を持て余す自分。 「もう、どうにでもなれ。どうでもいい。」 と、投げ遣りな自分。 鬱陶しいと感じていた。 自分という存在の何もかもが。 だけど時間は正確に過ぎて、 今という時間は過去になり、 いつもと同じ行動をしている自分がいた。 無感動なのだろう。 自分の事については、 こころの中で右往左往しているのに、 外界に関して興味が持てない。 淡々とシャワーを浴びて 支度をして、スーパーへ出掛ける。 しかし、母と他愛ない会話を始めたら 少しずつ凝り固まったこころが 融解していくのを感じた。 そんな時、母の存在が 途轍もなくありがたいと想う。 1人より2人。 話しかけたら言葉が返ってくる事。 普通の人にしてみれば それは日常で当たり前の事かも知れないが、 私にとっては、特別で嬉しい事なのである。 そのスーパーでは マナーの悪い人が多いのか、 お野菜が冷凍食品のコーナーに入っていたり、 お惣菜等がパンコーナーに 置かれていたりする。 また、この前はパンの袋が破れていた。 それは、母が店員さんに言って、 店員さんが処置していたが、 お寿司が乾物コーナーにあった時には 呆れて為す術もなかった。 このスーパーは、商品補填の時しか 店員さんが動き回っていない。 こういった、マナーの悪い行為をする人が いると感じると、 ちょっと気分が悪くなる。 今日は、カゴに入れようとした お惣菜の、コロッケのラッピングが 破れていた。 これは、店側の問題であろう。 以前、プラスチックの入れ物に 入っていたお惣菜の蓋が 開いていた事があった。 どうするのかと想って見ていたら、 ベテランらしきオバサン店員が 何食わぬ顔でそれを惣菜を作る 厨房に持ち入り、 輪ゴムで止めただけで商品として 陳列した。 正直、衛生上問題はないのかと 疑ってしまう。 ずっと、そのお惣菜の蓋は 開きっ放しだったのであろうから。 一度、おすし屋さんのコーナーで 買った、かっぱ巻きの味が 変だった事がある。 よく見てみたら、胡瓜に 青かびが生えていた。 それ以来、母も私も そこでお寿司は買わなくなった。 商品を取り扱う店員も、 汚れたゴム手袋をしたままなのである。 何処もこういう感じなのかと 疑ってしまう。 だが私にとって、 “半額のお惣菜”は無いと困る。 お寿司は買わないけれど、 お惣菜は一応熱を通して 食べる事にしている。 お腹がいつも下っているのは多分、 賞味期限が過ぎたものでも 食べているからであろう。 お腹が膨れたら、何でも良いという位、 私は逼迫している。 閑話休題。 母に、わだかまっている想いを 少しだけ話した。 すると、何も私が悪いのではなく、 お互い様であると言ってくれた。 診察は何れ終わらせねばならないんだから、 次の患者さんがいれば仕方の無い事だと。 だが、その例の患者さんは、 電話での診察を受けている私に 怒りを覚えたのではないだろうかと 想えて仕方が無い。 考えても考えても、やはり 「私が悪い。」 という結論に至る。 でも、自傷は抑えたいと想う。 自傷しても、何の解決には ならないのであるから。 思い煩うと、それだけで 心身の力は消耗していく。 無気力になり、病気の為すがままになり 症状に違和感さえ抱けなくなる。 ただ、流される。 今日という日はもう来ないのに、 何て勿体無い事をしているのだと 本当に情けない。 まだ、歩けるはずなのに、 諦めようとしている自分を感じる。 悪い“ハプニング”には どうしても対応できない 自分の不器用さが際立って明るみになり、 羞恥を覚える。 何とか嬉しい“ハプニング”には 対応できるようになっているので、 少しずつ、成長していけるよう 精神を、こころを太らせたいと想う。 身体が太るのは物凄く厭だけれど、 精神やこころはどんなに太ったって 構わない。 それだけ、広がりを持ち、成長できるのだから。 何事も焦らずやっていきたいものである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.11.04 21:45:33
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