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2007.11.06
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兎に角、怖かった。

何が怖いのか分からないから

怖かった。

恐怖の正体は、電話診察を

受診している時に

明らかとなった。







昨日の記事へコメントを残して

下さった方々のコメントを拝読していたら

とある方に多大なる誤解を

与えてしまった事に気付き、途方に暮れた。

私は稚拙な日本語しか綴れず、

誤解を生み出すような言葉を

発してしまった。

そんな自分を恥じている。

その方には、後程コメントで

謝罪したいと想う。

誤解されるような言葉を

発してしまった事が、本当にショックだった。







火曜日は電話診察を

受診する日である。

だから朝から憂鬱であった。

金曜日の出来事からは

立ち直りつつあったけれど、

まるでフラッシュバックのように

その時の事が甦る。

電話を通して感じた出来事なので、

殆どが想像として膨らんでいたから

恐怖以外の何物でもなかった。

その患者さんの心の痛みを想うと

居た堪れない。







病院へ電話を掛ける時間になった時、

物凄く緊張した。

電話番号は登録してあるので

選び出して通話ボタンを押すだけなのに

手に汗が滲んでいた。

「やっぱり怖い。」

と想って、一旦受話器を置いて

ホットミルクティーを飲みながら、一服した。

漸く落ち着いた頃、勇気を出して電話を掛けた。







今回は1度で主治医に繋がり、

もう患者さんはいないという事で

安心した。

そして主治医と共に

金曜日の事を話し合った。

此処では詳しい事を綴れないが、

例の患者さんは、とある事で

“無力感”

を抱いていて、それから脱出する為に

リストカットをした。

主治医の迅速な行動で

酷い傷になる前に阻止できたので

血が滲むほどで済んだらしいが、

やはり患者さんを通して

主治医も“無力感”

抱いた。処置やアフターケアしか

出来ないという事に。

そして、それらの出来事を知った

私も“無力感”で覆われた。

私さえ、電話を掛けなければ

こんな事態にならなくて済んだのだと。

そして母は、落ち込んだ私を見て

“無力感”を覚えたのであろう。

このようにして、

“無力感”

は伝染していった。







“無力感”

これは、誰しもが抱いているものかも知れない。

特に、こころの病を患っている人は、

症状によって無力感から

脱出しようとする。

私であれば、過食と嘔吐そして偶に行なう自傷であろう。

無力感は、恐怖でもある。

余りにも大きく、暗いものであるからであろう。

私が冒頭で感じていた恐怖の正体は、

この無力感であったと想う。


これらの事について

考えられるようになったのは、

金曜日の事件があったからである。

だから、それには意味があり、

必然性のあるものだったのだろう。

無力感から脱出する為に

過食と嘔吐自傷をするのは

まだマシなのかも知れない。

どうにか生きていこうとする

気力が見えるからである。

無力感から脱け出す気力も無ければ

そこに待っているのは“死”のみである。







うつ状態をケアするという事。

これは、周りの理解が無いと

本当に難しいように想う。

だから、本人が自分自身のケアを

出来なくなってしまうのであろう。

うつ病のケアとは、ゆっくりと休養する、

静養するといったものであるが、

捉え方によっては、

とても消極的なものと感じられる。

だから無理をしたり、動き回ったりして

しまうのであろう。

抑うつ状態を“うつ”としてケアするのは

無力とは違う。

しんどいという状態を受け容れ、大切にするのが

積極的な治療である。


自分でケアをするということは、

とても積極的な行為なのである。

健康な人が考える、積極的な行為とは

単純で粗末なものが多いと想う。


何れにせよ、うつ病のケアは、

積極的にケアする事・・・つまり

養生して、身体をゆっくり休める事である。

ケアする事の本能や大切さを

嘗て、人類は持っていたのに

いつの間にか忘れてしまっている。

そして今は、蔑ろにされている。

今一度、“ケアをする”という事の

大切さを考え直さねばならないと想った。







物事に共通して言えるのは、

問題は“結果”ではなく“プロセス”ではないか

という事である。

こうして今生きているのも

病気を治すためのプロセスである。

他の例で言えば、マラソン選手が一度

オリンピックで金メダルを取って

結果を出しても、まだ頑張って次を

目指している。

“次”までのプロセスが、

その選手の生きがいなのであろう。

無力感から立ち直ろうとするエネルギー。

私は病的に、過食と嘔吐であったり

偶にしてしまう自傷であったりする。

健康な人ならば、運動をして身体を動かしたり

勉強をしたり、仕事に打ち込んだりする事で

無力感という得体の知れない恐怖から

立ち直ろうとしているのであろうと感じる。

この記事の始めに記した事・・・つまり

また哀しい事が起こってしまったけれど、

どうにかこの無力感にのみこまれて

死んでしまうような結果には

ならないよう気を付けたい。





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Last updated  2007.11.06 21:42:44
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