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2007.11.10
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カテゴリ:抑うつ感
1日に何度も

自分へ問い質す。

「どうして生きているのか。」

と・・・。







病気の全てを受け容れていたら、

何れ私は爆発してしまうだろう。

1つ1つの症状を

少しずつ受け止める事で

漸くどうにか

生きているといった感じがする。

だが、病気はそんな事お構いなしで、

次から次へと

“生きることの困難さ”

をぶつけてくる。

私はもう、うずくまって膝を抱え、

俯いて小さくなるしか術はない。







“生き難さ” “生き辛さ”

これらは今に始まったものではない。

子どもの頃から、

そういった観念はあった。

母が私の世界の全てであり、

母がいつ、怒りを爆発させるのか

そればかりを恐れて過ごしていた。

何をするにも、母の顔色を

窺ってからだったので

必然的に行動も鈍くなり、

そういう私に母は苛立っていた。

母が一旦怒ると、

私への打擲が長い時間続いた。

泣きながら許しを乞うけれど、

その態度さえ母の苛立ちを

助長させていたようである。

大人になった今、そう感じる。

だから現在も、母の顔色を

窺う癖は抜けず、びくびくしてしまう事もある。







摂食障害の苦しみ。

この頃また、リズムが変わってきている。

早朝から映画を観ている為に、

朝の過食と嘔吐をする時間が

遅くなって、眠る時間も同じく遅くなる。

これまでは、眠剤を服用したら

お蒲団に潜り込み、眠るまで

ゆったり出来ていた。

しかし此処の所、少し多めに

お薬を服用しても

こころのざわめきは止まらず

また過食を始めてしまうのである。

薬が効き始めて朦朧としていても

尚、私は食べ続ける・・・満足するまで。

ふらふらしながら

完璧だと想えるまで嘔吐して

必死に食器を洗い、片付けて

またお薬を追加してそして

ばったり倒れ込むように眠る。

いくら無力感から脱出する為の

行為だと分かっていても、

納得できない部分が大きい。


余りにも、苦し過ぎるからである。

お薬も一緒に吐いてしまう為、

こころの状態も悪くなる。

罪悪感自己嫌悪

急激にこの身体とこころの中で

膨張していく。

小さな針で少し突いただけで

爆発してしまうのではないかという

恐怖が伴い、不安感にも

苛まれている。

つまり、私は足掻き、もがいているのであろう。

その足掻きこそが、

病気の症状として表出しているのである。

身体もこころも、ぼろぼろになっていくが、

私の最後の抵抗なのかも知れない。

無力感に飲み込まれる事は即ち

“死”を意味するのであるから。








現在の母は、お仕事で疲れていても、

私が落ち込んでいると

優しく接してくれる。

それは本当にこころの底から感謝している。

母が話しかけてくれるから、

他愛ない話が出来るから、

私はこうして生きていられる部分がある。

逆に、私がどんなに辛い時でも

母がお仕事の事などで落ち込んでいたら

母と同じ行動をとる。

他愛ない話をして笑い合ったり、

または心配を掛けないために

笑顔で過ごしたりと。

2人してズドンと落ち込んでいることもある。

そういう時は、お互い離れて過ごす。

気を遣ったり遣われたりしたら

余計に心労が溜まるかも知れないからである。

でも、他愛ない話は良い。

冗談を言い合って、笑うこと。

ほんの一時かも知れないけれど、

厭な事を考えないでいられる。

それは病気に侵された私にとって

凄く楽な時間でもある。

苦しみという泥沼に、首まで浸かっていたら

もう笑えないし、息をするだけで必死である。

だからそれに至る前に、

笑顔をもって過ごしたい。







過食と嘔吐自傷OD

普通の観念からすれば

不健康なもので、止めるべきだと

きつく非難されるものであろう。

しかし、あらゆる病気を患っていて、

計り知れないほど大きな無力感

生きる気力を奪っていく。

「生きたい。」

そう願うからこそ、一生懸命

様々な方法で無力感からの

脱出を図っているのである。

だから、病症に対して

「甘えだ。いけない事だ。止めるべきだ。」

と難詰するのは、その人から

生きるための何らかの力さえ

奪ってしまう事に繋がりはしないかと

感じてならない。

何れにせよ、病気に甘えるのは良くないが、

症状が出ているという事は、

それだけ「生きよう。」としている

証拠であると、私は考える。







1日中、カーテンを閉めたままで

過ごす日も多い。

けれども今日の夕暮れは綺麗だったから、

カーテンを開けて空を見上げた。

新鮮な夕方の空気を吸い込みながら、

余りにも病の症状が苦しい事に

哀しみの念が湧いてきた。

無闇に病症を非難されると、

自分自身を全否定される事だと感じる。

努力や頑張りで、病気が治ったという方も

いらっしゃるかも知れない。

それは、とても素晴らしい事だと想う。

でも、人間1人1人違うように、

治り方も違うのである。

各々の、様々なプロセスを辿り

やがて病気が治るのである。

また「治った人、まだ治っていない人」として

区別し、否定する事は、過去の自分をも

否定する事に繋がるものである。

これは、主治医とも話し合った。

しかし、例外があることも忘れてはならない。

何も固定観念に縛られる事はない。

こころが広がり成長するように、

考え方も柔軟である必要がある。

私は思考がいつも凝り固まってしまう。

それに気を付けて

少しずつ自分を見詰め直したいものである。





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Last updated  2007.11.10 21:55:37
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