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凍えたココロ

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2007.11.15
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カテゴリ:抑うつ感
赤みを帯びた

細い細い月が

雲に霞んでいた。

幽玄な世界を垣間見た。







「もう、疲れた・・・。」

1日に何度と無く呟く言葉。

自らが、苦しい方へと

導いているような気がする。

疲れて苦しく、動くのも億劫なのに、

過食衝動はそんな事など

お構い無しだとでも言いたげに、

私のこころを掻き乱す。

「甘い甘いお菓子が食べたい。」

「菓子パンを食べたい。」

「カフェオレをいっぱい飲みたい。」

「熱いスープを飲みたい。」


等と要求は次々に発生する。

胃が限界を訴えるまでは。







今朝はその衝動に負けた。

勝ち負けの問題ではないが、

何故か敗北感が強い。

3日続けて、朝から夜まで

ゆっくりと眠れていたのに、

ベゲタミンAとBそして

あらゆるお薬の力が加勢しても

過食衝動の方が強かった。

眠気を食欲が凌駕して

気付けば私は食べていた。

薄ら眠い状態で、私は

甘い菓子パンを甘いカフェオレと共に

食していった。

贅沢だと想った。







全てが終わった頃には、

お薬も吐いてしまったのにも関わらず

ばたりとお蒲団に倒れ込み

そのまま眠りに吸い込まれた。

夕方まで1度も目覚めなかったが、

眠りは凄く浅かった。

現実と夢との境目を

行ったり来たりしている感じだった。

余りにも生々しい現実を

感じるような夢をみたようである。







お薬を吐いてしまったから、

浮腫みが全く無くて吃驚した。

頬がこけていて、指輪が緩く、

お腹が平らであった。

足も、久し振りに浮腫んでいない

状態を見た。

そして危機感を覚えた。

いつもはお薬によって浮腫み

そんなに滅茶苦茶細いという

ほどではないが、

お薬を服用しなかったら

こんな状態になるのだと想うと

もっと栄養をとらねばと考えた。







私の栄養源。

まず、ホットミルクティーは

煙草を吸うときに飲む。

過食と嘔吐をした後は

必ず野菜ジュースと豆乳を何口か飲む。

スーパーへ行ったら

ホットココアやホットカフェオレを

母とシェアして飲む。

夜は、もずく入りのお味噌汁を

小さいマグカップで作り、少しずつ

胃に収めていく。

その後はブラッディメアリーを

小さいグラスで一杯飲んだ後、

糖質ゼロの発泡酒

“アサヒスタイルフリー”を

500ml缶で3~4本飲む。

その途中で、はんぺんを

山葵醤油で頂く。

だが、途中で過食が始まるので

結局発泡酒もはんぺんも吐いてしまっている。

夜中の過食と嘔吐を終えたら

カルーア豆乳をゆっくり

氷をガリガリ食べながら飲む。

甘いけれど、これは赦せる。

日中、低血糖になりそうな時は

数分だけキャンディーを嘗める。

全部口の中で溶かすのは怖いので

途中で出す。

1日の中で口にしているのは

これくらいである。


殆どが飲み物である事に今更気付いた。

だが、母が煮物料理を作ってくれた時は、

それを少しだけ食べる事は出来る。

大根・蒟蒻・お豆腐は大丈夫である。

また、最近はアサリの酒蒸しも

発泡酒の御肴として食べられるようになった。

まだ、揚げ物や油を使った料理は

太る恐怖があるので

抵抗感の為に食べられない。

御肴といえば、キャベツを細かくちぎり、

レンジで熱を通し柔らかくしたものに

ポン酢をかけて食べてみた事がある。

けれどこれは、過食を誘発した。

食べられるもの・・・つまり消化を許せる食べ物と

食べられず、過食に繋がってしまう食べ物

それらの線引きが難しい。








飲み物だけで、どうにか身体を保っている。

でも、少しずつ食べられるもの

増やしていきたいと想っている。

でも、食べるという行為が凄く

厭になるときがある。

それは頭の中で、

【食べる事=嘔吐または排泄】

という公式があり、それが

歪んだものとなって根付いている。

「食べたら吐かねばならない。

 常に胃の中を空っぽにしておかねばならない。」


この思考が、病気を患っている間に

当たり前のものとなってしまっている。

間違っている事は分かっている。

食べられるという事に幸せを感じ、

ありがたく頂く。

「いただきます。」で始まり

「ごちそうさまでした。」で終わる食事。

そうして摂取した栄養で身体は動く。

生命が繋がっていく。


分かっているのに、私は何よりも

身体の中に食べ物があるという状態が

厭で厭で堪らなくて、それは苛立ちや

不快感に繋がり、病症への連鎖となる。

今はまだ、為す術がないけれど

「きっと、この病気を治す。」

という想いは忘れず抱いていたい。

1人の力では到底無理かも知れない。

しかし、私には母が居る。

また摂食障害について、共に

考えて下さる主治医の存在が力強い。

この病やお薬や医者に治してもらうものではない。

“己の自然治癒力”

こそが大切である。

それを高める為には、心身を兎に角

ゆったりと休めて

自分のスタンスやペースを掴む事が

大切なのだと感じる。







今朝は、過食衝動の在るが儘に

動くしか術はなかった。

でも、これは無力ではない。

主治医の言葉を借りればそうなる。

それを信じたい。

どうしても、過食と嘔吐という

行動をとってしまうと

放心状態になったり、自己嫌悪に陥ったりする。

自分を醜く感じ、罪悪感を持つ。

そうすると、生きている事を

擲ちたい気持ちになる。

だが、命を放擲しようとする私に

ストップをかけるのは

大切な人々の存在である。

母を遺して死ぬ事は出来ない。

母は

「私のために生きて。」

とまで言ってくれた。

病症で苦しんでいると、

「あんたは今、眠る事が一番の仕事なんよ。」

と優しく諭してくれる。

こんなにありがたい事は無い。

だから、母のために生きねばならない。

たとえ死にたくなっても、

<想うだけ・考えるだけ>

に留めたいものである。







心身の調子が悪く、夜空を見上げると

月の美しさにこころを奪われた。

だが、霞んでいたから明日は

ぐずついたお天気かも知れない。

曇りの日や雨の日は、

気分が乱調気味になってしまうけれど、

甘んじて受け入れそういった状態で

過ごすしかないので仕方が無い。

生きていくのは、艱難辛苦が付き纏う。

でも、それらを経験していく事で

こころは成長していくのであろう。

今は、きっとあらゆる事を感じたり

勉強したりする時期なのだと感じる。

凄く落ち込んでいたけれど、

母と話している内に、いつも通り

やはり母も私も笑っていた。

母は根が明るいので、それにつられて

私のこころにも明るい光が降り注ぐ。

そういった感覚を大切にしたいものである。





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Last updated  2007.11.15 22:12:53
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