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凍えたココロ

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2007.11.18
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カテゴリ:平穏
夜風が全身に凍みる。

晩秋を、切なく想う。

でも寒くなっていくにつれて

空が綺麗に見えるようになる。

お味噌汁の温かさも、

嬉しく感じられる。







いつもの朝をいつものように

過ごす事。

私はそうする事によって

どうにか生きている。

生きるだけで精一杯だから

変化が怖い。

その変化やハプニングを乗り越えたり

克服したりする事によって

成長できるのは分かっているが、

今はまだ、動ける状態ではない。







今朝、胸の中は騒々しかった。

何故か落ち着かない気分が続き、

結局また、眠剤を服用した後

過食と嘔吐を始めた。

疲れている時などは、

すんなり眠りの世界へ旅立てるのだが、

苛々していたり

血糖値が下がっていたりすると、

また食べ始めてしまうのである。

それを止める術が分からない。

病症なのだから、コントロールできないのが

当たり前ではある。


しかし、どうにかできないかと

思索をする。

今のところ、

「こころに余裕を持って落ち着いて過ごす事。」

という主治医の指示が的確だと

考えるが、それがまた難しい。







食べている途中でお薬が

効き始めて

頭は冴えていても身体が

言う事を聞かなくなる事だってある。

「もうこのまま倒れたい・・・。」

と廊下で眠りたくなる。

大学生の頃は、力尽き

玄関の上で倒れてしまい、

靴脱ぎに落ちて顎に怪我を負った。

だから、危ない。

家には1人なのであるから

頭を打ったらどうしようもない。

危険なので気を付けたいものである。







最初は、お薬で調整できた。

しかしそれにも限界があり、

眠気に襲われるより前に

過食と嘔吐へ想いがシフトされたら

どうにも出来ない。

否、どうにかしては

いけないのかも知れない。

今の私の、あるがままの姿というのは

病症が出ている姿なのであるから。








何も、摂食障害に限らない。

睡眠障害とも上手く付き合わねば

私は睡眠を得られない。

これは、お薬で調整できている。

今は“特別処方”という事で

ベゲタミンAとBを各1錠ずつ

処方箋の中にあるけれど、

浮腫みが出る為、いつかは

減薬せねばならない。

電話診察時に起きたハプニングで

トラウマに悩まされ、

精神的に不安定になった。

その不安定さは、睡眠に影響する。

また、うつ病。

低空飛行している内は、過眠気味になる。

けれども、飛行を続けられず墜落したら、

眠れなくなってしまう。

自分の状態を把握して、

どれだけのお薬を服用すべきか

考える事も必要だと想っている。







強迫神経症。

今はこの強迫症状が強く出ている。

兎に角、頭の中が数字で一杯になるのである。

何をするにも回数を数える。

2と6、2の倍数、3の倍数に拘る。

歩く歩数を数える。

呼吸の回数を数える。

氷を砕く回数も数える。

強迫症状は、数だけに留まらず

音楽も関わっている。

眠ろうと想っても、頭の中で

何重もの和音が響き渡るのである。

私はそれを作曲する。

和音を組み立てて、音楽を作る。

そうしないではいられないのである。

眠るまで作曲は続き、

目覚める直前は、耳鳴りの音階を当てる

作業に没頭する。

4歳から12歳まで

なまじピアノを習っていたので

音楽に関する強迫症状も

発生するのであろう。

これもまた、いつものことである。

だから、仕方が無いと流すしかない。









母との会話。

今はこれを最も大切にしている。

スーパーでお買い物をしている間も

お友達のように話しているし、

笑い合う。

家に帰ってからは、色々と片付けながら

会話が弾んでいく。

以前の私は、家に帰り着いたら

直ぐに自室に入ってPCを起動して

ブログを書き始めていた。

だが、ブログよりも何よりも、

その日、その時、交わす母との会話こそ

重要であり、こころに平安をもたらす事に

やっと気付けた。

母も、“話す”という事で

仕事で疲れていても、表情が柔らかくなり

笑顔も優しくなっていく。

そんな母を見て、私もホッとする。

おはなしする事も、私にとっては

治療の一環であると言える。


母が仕事でどんな苦労をしているか、

どれだけ頑張っているかを聞くと、

私も病気に侵されたままではなく

生きていきたいと想える。

生きていこうと想うだけで精一杯だから

病症の事を考えたり、

自分と向かい合ったりするのは

主治医と週2回、

電話診察を受診している間に

行なっている事が多い。

それでも、深く入り込んだ話は

未来の自分へと繋がる感じがする。

何れにせよ、今は自分の病気を受け容れる事を

切要なものと捉えたい。








母と話す際、偶に軽い感じで

重い話をさらりとする事がある。

今日は悪夢を見たので、その話をした。

母と離れ離れになる夢であった。

私は綺麗になる為にと職員に

騙されて施設に収容され、

髪は桃色に染められ、きゅるきゅるの

スパイラルパーマを掛けられた。

綺麗になる為にと化粧を厚塗りされた。

上辺だけが、エキセントリックな美人に

なったけれど、こころの中では

「この施設では過食も嘔吐も出来ない。どうしよう。」

とばかり考えていて、中身は変わらなかった。

そして一生、母とは一緒に

暮らせないという顛末に陥る

という夢であった。

「母さんと離れ離れになる事が辛かった。」

と話すと、

「私は死ぬまで、あんたとずっと一緒におるけん

 安心しいや。」

と、さらりと返してくれた。

なので私は、

「死んでからも一緒に決まっとるやん。」

と、笑顔で返事した。

そして大声で笑い合った。

今はまだ、母の存在が必要である事を

夢という形で痛感した。

何れ、血の繋がりのある大切な人も

死別という形で別れは来る。

その時に、絶対後悔したくない。

だから私は病気を治したい。

今は病症がのさばり、1日1日を

大切に生きていく事に力を傾けている。

でもいつしか、こころの成長を感じて

病気が治った暁には

家族全員で温泉旅行に行きたいものである。

これを、今の目標として定めたい。





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Last updated  2007.11.18 22:17:25
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