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凍えたココロ

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2007.11.20
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天邪鬼である私は、

話題のドラマは余り観ない。

今頃、それを後悔している。

何故なら、『ガリレオ』は

毎回面白くなってきつつ

あるからである。

始まる前から話題性が高かったので

敢えて観ないようにしていたが、

偶々、香取○吾くんがゲストの回を

観て面白かったので

毎週観ていたらはまってしまった。

話題なんかに惑わされず、

1話から観れば良かった。







夜中の過食と嘔吐を終えた後、

少し眠るようにしている。

以前は疲れてそのまま

眠れていたが、

今は抗不安薬を服用しないと

寝付けない。

それでも1時間強で

目が覚める。

だが、1時間でも眠れたら

少しは身体が楽である。

眠る前は、『犯人に告ぐ』を

読んでいると、柔らかな眠気が

訪れる。







朝方5時前からまた

活動を開始して

読書を始める。

それに飽きたら、録り貯めている

映画を観る。

今朝は『ガリレオ』を観た後

『トリック2』を途中まで

観ていた。

上田先生役の阿部さんが今日、

芸能コーナーで

電撃結婚を発表したので

吃驚したが。

その後ずっと、頭の中で

「どーんとこーい!」

というフレーズが

延々と駆け巡っていた。







電話診察の受診が

夕方からある為、

お薬を減らして服用した。

眠れるか、そして睡眠が持続するか

心配だった。

けれども、お薬服用後の

過食や嘔吐も無く、

目覚ましのアラームが鳴るまで

昏々と眠り続けていた。

母も、

「よう寝よったねえ。眠れてよかったねえ。」

と笑っていた。







電話診察受診の際、

先ず始めに、

【1日おきに眠剤服用後、過食と嘔吐をしてしまう】

という事を告げた。

主治医は、

「お薬が効き始めて、ぼーっとしている状態と、

 解離状態は似ているから、

 抑制が取れて食べ始めてしまうのかも知れない。

 お薬が効いてきたと想ったら、

 何も行動しないできちんと眠った方が良い。」


と仰った。

確かに、お薬が効き始めると

自分の意思と身体がばらばらという

感じになる。

それは、解離状態に似ている。

摂食障害である私は、

いつも心の何処かに

「食べたい・・・。」

という気持ちを抱えている。

統制の取れなくなった心身が、

先ず望むのはやはり

“過食と嘔吐”なのであろう。

また、断眠の際にお薬が残っていて

まだ頭がぼんやりしている時も

食べ始める危険がある。

なので、

「眠気がなくなるまでたっぷり眠った方が良いよ。」

とのアドバイスを受け取った。







そして話し合いは、

「自分の中の“顔なし”をどう抱えるか」

という内容に移行した。

健康な人も、病気を患っている人も、

こころに“寂しさ”

抱えている。

顔なしは、『千と千尋の神隠し』に

出てくるあのキャラクターの事である。

そして顔なしは、ずっと無視され続け

気付かれない存在であり、

千尋によって初めて存在を認められた。

千尋が現れるまでは、

誰からも相手にされず

ずっとずっと“寂しい”という

感情を抱いていた。

これは、顔なしが暴れ始めた時に

一言漏らした事から分かる。

(ここからは少しネタバレになってしまうので

 注意していただきたい。)














千尋の気を引く為に

薬湯の札を渡したり、金塊をばら撒いたりした。

薬湯の札によって、千尋は救われたが

その後顔なしの前から姿を消した。

千尋が出てくるまで、顔なしは

金塊をばら撒いて

従業員達に物凄くたくさんの食べ物を

持ってこさせては

それを全て平らげ、どんどんと

肥え膨らんでいった。

その間にも従業員を飲み込み

意思を言葉で表すようになり、

千尋を求めた。

顔なしが本当に求めていたものは、

自分に気付いてくれた千尋の温かさだったのでは

ないであろうか。








私が患う摂食障害も、

顔なしの行動とそっくりである。

子どもの頃、躾と称する虐待を受けた。

それは打擲だけでなく、

話しかけても母の機嫌が悪いと

無視される事もあった。

殴られたり蹴られたりしている時は、

勿論痛くて哀しくて苦しいけれど、

無視された時の、まるで存在を否定されたような

仄暗い海の底へ突き落とされたような、

縋りようの無い哀しみは

言葉で表現しきれない。

無論、その頃の母は親戚中から苛虐にあっており

こころの余裕が無かった事を

考慮しなければならない。


顔なしの寂しさ、哀しみ、心細さが

何だか他人事でなく、

作品を観る度に

感情移入してしまうのである。







そこで問題なのは、やはり

【顔なしをどう抱えて生きるか】

という事である。

人のこころの中には、

顔なしだけではなく、千尋もいれば千もいるし、

ハクや湯婆、銭婆、坊ちゃんもいる。

自分の中の千尋が、顔なしを

魔法を使わない、まやかしの世界でない

銭婆の所へ連れて行かねばならない。

油屋にいる限り、私の中の顔なしは

寂しさや心細さ、

欲している何かを求めて

ずっと食べたり吐いたりし続けるかも知れない。

勿論、顔なしが暴れるのは仕方が無い。

それが所謂

“病症”なのであるから。

顔なしの抱えるこころを抱いている

己を必要以上に卑下する必要は無い。

例えば、PTSD。

この病気は何かがトリガーとなって

こころが「わーーっ」と暴れ始める。

それを誰が責められようか。

情けないと言えようか。

性犯罪被害者がPTSDを患うのは、

調書をとる段階で第2の被害が生まれている

可能性があると言える。

自然災害の被害に遭った人も、

同じ場面に出遭うと、それがトリガーとなって

恐怖が甦る。

恐怖とは、それだけこころの中で

占める割合が途轍もなく

大きなものなのである。

それを、“恐怖という無力”とも

言える。


私も、PTSDを患っている。

しかし、顔なしと向き合う・・・

つまり自分と向かい合い、

己のこころを感じる事で

少しずつプロセスを辿り、

病を治していくのだと想っている。







病気である自分。

暴れるこころとどう向き合い、

寂しさや哀しみ、心細さや辛苦を

どのように抱えて生きていくかが

問題となる。

放置してしまったら、

病症は際限なく暴れる。

こころを無視する事は即ち、

自分を蔑ろにする事である。

自分を大切にする事・・・私は今でも

難しく想うが、

少しずつ寂しさを抱える、

無力感を感じながらも

生きているこころを、

重んじたいと考える。







病気の症状が今よりずっと

酷かった頃、

私は自分のこころを

ぞんざいに扱っていた。

「自分なんかどうでも良い。

 疲れたら命を絶てば良い。」

とさえ想っていた。

しかし、病気というプロセスを経て今、

母との関係が良くなりつつある。

お互いが支え合って、生きている現実がある。

考えが青過ぎた頃・・・今でも青いが・・・

私は、命を絶てばそれで全てが解決されると

考えていたが、それは間違っている事に気付いた。

今抱えている問題は、全て中途半端になり、

摂食障害という病についても、

人それぞれ治療方法は違うが、

私のパターンでの治し方が

無責任に放り出されることになる訳である。

それは、主治医に対しても失礼であるし、

今はお休みしているカウンセリングの先生に

しても、消化不良な結末となってしまうであろう。

まだ、私は様々な病症が重なっていて

動く事や変化が物凄く辛く感じるけれど、

それもプロセスである。

いつか動き出す為の準備期間なのかも知れない。

人に迷惑を掛けていない人間なんていない。

でも、その分きちんと補う必要はある。

そして感謝の意を忘れず

謙虚な気持ちで生きる事。

今はそれで精一杯であるが、

それだけは成し遂げていたい。

何れにせよ、自分のこころの持ち方を

考えながら生きていきたいものである。





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Last updated  2007.11.20 22:24:03
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