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2007.11.24
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カテゴリ:平穏

午前5時頃であった。

ふと玄関を見ると、

硝子部分から光が射し込んでいた。

優しい光だった。

日の出にはまだ早いので

不思議に想い扉を開けてみると、

月が煌々と輝いていた。

満月だった。







昨夜、私はそれに気付けないほど

何かに追われている感じがした。

空を仰ぐ余裕が、無かった。

寒さを忘れ、私は暫く

自分の目線より少し上にある

満月にこころを奪われ

うっとりと眺めていた。

妖艶でも、神々しい光。

そんな月を見つめていると、

何だか小さな幸せを感じた。







きちんと、睡眠をとる事。

私はこれを一番に心掛けている。

何故なら、睡眠こそが

心身を癒し、安らぎをもたらすからである。

だから、眠る事を重要視している。

処方されたお薬を正しく服用して

睡眠を得ているだけである。

そしてたっぷり眠り、目覚めた後は

こころが落ち着いている。

問題なのは、眠剤を服用した後に

過食と嘔吐に走ってしまいそうな

自分がいるという事である。


お薬を服用すると

意識がぼんやりとして

解離状態と似た感じになる。

自分の状態を把握できないまま、

無意識の内に

食べ始めてしまう事もあった。

食べ始めると必ず過食になり、

嘔吐をせねばならない。

それが摂食障害たる所以であり

どうすることも出来ない部分である。

しかし、此処の所

お蒲団に入ったら

ぼんやりとTVを眺めたり

頭を使わなくて済む漫画を読んだりして

眠気が襲来するまで食べないでいられる。

意識があやふやになる時。

そして眠りに落ちる時。

こうした時を迎えてやっと、

私はぐっすりと眠れるのである。







今朝は月光を堪能した後、

ゆっくり本を読んだ。

まだ、筒井康隆の本を

読んでいる。

面白くなる所で何となく勿体無くなり

次の日に読もうと想ってしまうので

中々進まなかったが、

もう終盤を迎えている。

明日、読み終えるであろう。

PMSの症状がない期間は、

意識がある時に

嫌気が差すという事が

ほんの少し薄れつつある。








勿論、意識があるという状態は、

苦しいものがある。

抱えている、背負っているもの全てが

襲い掛かってくる瞬間を

覚悟せねばならないからである。

でもそれは、私が選んだ道だから

甘受するべきだと考えるようになった。

余りにも辛く苦し過ぎると

解離状態に陥ってしまうが、

それもまた仕方のない事である。

大体の場合、私は膝を抱えて

小さくうずくまる。

希死念慮が去るのを

ただ、耐えるしか術はない。

艱難辛苦に対して

いつも真正面から立ち向かっていたら

こころが壊れてしまう。

だから、逃げる事も大切である。

私はそう考える。

こころがパンクする事はあり得ないが、

逸脱行為に走ってしまう可能性はある。

病気を患っていると、脆弱である部分が

あるのは否めない。

だから、現実逃避を図る。

今は、それでも良い。

その“今”がずっと続く訳ではないのだから。







ただ、時々怖くなる事がある。

私は、日常の変化を恐れて

暮らしている。


何の変哲も無い日々が続くと、

こころも落ち着いているからであろう。

しかし、変化に恐怖を感じ

その平坦な毎日に固執していると、

自分のこころがもっと

凍え、縮んでしまう気がして怖い。

否でも応でも、ハプニングは

起きる時に起きる。

それに遭遇して、どう乗り越えるか

どうこなしていくかによって

こころの成長が促され、

広がっていく。

でも、

ハプニングは怖い。

それに応じて動くのも怖い。

何が怖いのか分からなくなるほど、

何もかもが怖くなって

消えてしまいたくなる。


こうした想いが、こころの柔軟性を奪い

生き難くさせているのであろう。

私は天邪鬼だったり、我儘であったりするので

全ての出来事を自分の所為にして

己を傷つけ事を済ませようとする

きらいがある。

自己完結させてしまったら、

人との関わりもそこで断たれてしまい、

もっと自分の殻に閉じ篭る事になるであろう。

恐怖を感じるのは、自分の生い立ちを

振り返ると仕方のない事かも知れない。

けれどもそこで諦めたら

こころは広がっていかない。

病気の寛解も見込めないであろう。


「不幸なハプニングは起こって欲しくない。」

という願いは、人間なら当然

持ち合わせている感情であると想う。

だが、生きていく上で

それは絶対に避けられない事物でもある。

いつまでも、恐怖を感じているだけでは

何にもならない。

分かっているが、恐怖とは果てしなく大きくて

立ち向かい難い感情である事も

踏まえておかねばならない。

それらも、自分のスタンスで受け容れたり

昇華させたりするのが大切なのであろう。







臨機応変な対応。

私はこれが苦手である。

小さな頃から母に酷く叱られた事の

1つである。

「なんで臨機応変に動けんの?」

という金切り声と共に

母の大きな手や足が私をぶった。

そして私は余計に動けなくなる。

こうした繰り返しがあったからなのか、

今でも柔軟な対応や臨機応変な対応について

分からなくなったり混乱したりする事がある。

ただ、母は本来の母に戻りつつある。

あの頃の母には、子どもを厳しく躾ける事、

親戚中からの苛虐に耐える事で

余裕が全く無かった。

私はその事を理解できるような

年齢になったからであろう。


今はあの頃と大違いである。

母は私と会話していると朗らかに笑う。

今日は、私がおかしな夢を見た事を

話した際、大笑いしていた。

何度も思い出し笑いすらしていた。

母の笑顔を見ていたら、私も嬉しくなった。

だから、私もいきなり混乱したり

固まったりする事が

減ってきているのかも知れない。







それはこのブログに関しても当てはまる。

楽天ブログという場所を借りていても、

此処は自分の居場所である。

ネットという世界ではあるが、

自分の想いを綴っている、

自分の場所だから臨機応変に

対応できる。

そういう小さな所から、

練習する事こそが大切なのだろう。







今朝4時半過ぎ、1時間ほど眠って目覚めた。

それから、母へのお手紙を書いた。

6時に起きた母は、それを読んだ後、

「ありがとう。嬉しいよ。」

と言ってくれた。

本来なら、妹と妹の彼氏のように

何かプレゼントしたかったという旨を

伝えると、

「そういうんは、気持ちよ。私はこの手紙で充分嬉しい。

 何も物がもらえて嬉しいとかじゃ無いんよ。

 こうやって気持ちを書いてくれる事も

 嬉しいんよ。」

と微笑みながら話してくれた。

私は、何か記念ごとの度に

小さなプレゼント・・・例えばピアスや

ハンドタオルなど安価なもの・・・

と共に、お手紙を添える。

手紙にこそ、想いをこめる。

普段、言葉にしたら流れてしまうものでも、

手紙にしたためたら、その言葉は

文字として想いと共に半永久的に残る。

こうして生きている事も、

26年生き延びられている事も、

母が傍にいてくれたからであろう。

夜、久し振りに大爆笑している母を見て

私のこころはポッと温かくなった。

そして共に笑った。

“共に”という体験を重ねて

こころの成長を望みたい。





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Last updated  2007.11.24 22:20:11
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