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2007.11.27
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カテゴリ:抑うつ感
窓から遠くを眺めながら

紫煙を燻らせる。

ホットミルクティの熱さに

舌をやく。

全ての感覚を

無視したい衝動に駆られる。







無力感に、捕らわれた。

目に映るもの全て

色褪せている。

脱出する為の行為すら

億劫で堪らないから、

私はぐっすりと眠った。

具合が悪くなる、予兆はあった。







夜中から朝方にかけて

いつも1時間~1時間半ほど

眠れていたのであるが、

全く眠れなかった。

頭が冴えていたので

ずっと読書をしていた。

ストーリーに惹きこまれていたので

本を置き、眠るタイミングを

失する形になってしまった。

少しずつ楽しんでいる本なので

ちょっと勿体無いと想った。







5時位まで、2時間半

本を読んでいたら、

さすがに肩が凝ってしまった。

自室に入ったらもう

他の本を読む気がしなかったので

録画していた番組を観た。

ドキュメンタリー番組で号泣したのは

本当に久し振りだった。







そのドキュメンタリー番組は、

日曜の夜中に放送されたものである。

戦時中に夫婦で山を切り開き、

電気も水道も無い中で

家族みんな幸せそうに暮らしていた。

やがて子ども達は自立して、

年老いた夫婦2人、厳しい季節も

山で暮らしていた。

畑を耕して食物を育て、

最低限の食料を年金で購入して

夫婦水入らずで過ごす生活。

やがて、その山は2人にとって

桃源郷となっていった感じがした。

80歳を過ぎ、病気がちになって

寒さの厳しい季節は麓の

老人ホームで過ごしていたが、

それでも2人は山で暮らす事を望んでいた。

電気や水道がないなら、電話もない。

無論、テレビも携帯電話もない。

それでも、2人はとても幸せそうだった。







ある日旦那さんは、

癌を患っていた事が分かった。

奥さんは、認知症が進んでいた。

夫婦には3人子どもがいた。

3人とも女性であるが、

親の気持ちを尊重して、1組の夫婦は

両親が暮らす山の近くに

家を買って見守りながら過ごす事にした。

年老いてしまって、畑を耕す事も

出来なくなったけれど、

子ども達夫婦は、週に何度か

山に訪れて親が切り開いた所を

また沢山の食物が取れる畑を作った。

何よりも感動したのは、

山で暮らす事を幸せとする夫婦2人の姿である。

とても不便な所だけれど、

2人にとっては、桃源郷。

幸せの象徴なのであろう。

奥さんの認知症が進んでも、

山で茸を採るため

険しい坂道をも厭わず歩き進む姿は

頼もしく、松茸を見つけたときは

「いやあ、じいさんの好物だから喜ぶよお。」

と満面の笑みを浮かべていた。

どの場面でも、旦那さんは奥さんを

奥さんは旦那さんを

いつも心遣い、心配していた。

こころが繋がっていた。

言葉では表現できないほど、

美しい夫婦の姿がそこにはあった。

“愛”という言葉では表現し尽くせない、

何か大きなものが、2人の間にあった。







しかし、いつか死別するときは来る。

92歳で、旦那さんは亡くなった。

でも、認知症が進んでいた奥さんは

その事実を受け容れていなかった。

ずっと気持ちは山の中にあるという

事実を3人の子ども達は汲み取って

老人ホームで過ごす母親を、

時間を見つけては山へ連れて行った。

そして、奥さんは言った。

「さっきからおじいさんの姿が見えん。」

私は、切なくて涙が溢れた。

祖父の姿と重なったからである。

祖父が入院していた時、祖母が

家に帰り、一時休憩している時

何分か置きに

「かあさんは、どこ行ったんかいな。」

「まだ帰ってこんのかいな。遅いな。」

と、祖母の事を想っていた。

涙を流しながら番組を観ていると、

二女が、

「じいさん、山におるかも知れん。呼んでみたら?」

と言った。

すかさず奥さんはとても澄んだ声で

「おじいさあん!」

と山へ向かって叫んだ。

返事がないと心配になったのか、

2度3度、少女のような声で

「おじいさあん!」

と山に向かって呼びかけるのである。

二女は、

「ほら、今返事が聞こえたよ。聞こえんかった?

 “おーい”っち言いよったよ。

 また今度来た時、帰ってくるかもしれん。

 今日は帰ろうか。」

と母親を宥めた。

奥さんは、納得の行かない顔をしていたが、

やがて諦念して山を降りた。

こころが繋がっていた人を

喪った事が受け容れられない奥さん。

その状態の親を見る子どもは、

人生の全てを見ているようだと

語っていた。3人の子ども達は、

親をこころから尊敬していると言った。

あらましはこんな感じであるが、

私にとって胸に沁みる内容であった。

想い合う事。共に生きるという事。

それらが凝縮されているように想った。

“共に”という体験が

きっとこころに広がりを持たせ、

成長という結果を生むかも知れない。







抑うつ状態。

本格的に、PMSの症状が

現れ始めている。

「私なんか、死んだ方がいい。」

という言葉がずっと

頭の中を駆け巡っている。

とある個人病院の院長が、

自殺した事を知った。

病院の医者ならば、死ぬ事が出来る薬を

服用できるであろう。

不謹慎である事は承知の上で、

その薬が欲しいと願った。

真っ暗な中に孤立した

その医院を見て、そう想った。







毎月、同じ時期に一定期間その観念に

侵されると分かっているのであるが、

決して慣れる事はない。


抑うつ状態になる度、いつも

希死念慮を抱く自分に

嫌気が差す。

だが、逃れる事は出来ないのなら

苦しいけれど受け容れて、耐え忍ぶしかない。

死ぬ事は“逃げる事”であるし、

母を遺して死ぬ事は赦されないのだから、

私は何が何でも生きねばならない。

摂食障害などの病気を考える前に、

私は先ず、【生と死】に関する

問題をクリアにしなければならない。

いつも問題に立ち向かってばかりいたら

疲弊して弱っていく一方である。

休む事も大切にしたい。







ドキュメンタリー番組で感じた

夫婦の姿は、深くこころに刻まれている。

ごく自然な形で、最後まで生き抜く事。

“共に”という生活を通じて

絆を深めていく事。

私はまだまだ青い。青過ぎる。

そんな青過ぎる人間が生だの死だの

考えても、一笑に付されるだけである。

だが、私にとってこうして

【病と生きる】

という事は、

途轍もなく大きな課題である。

病を治す段階には、様々な

プロセスがあり、それを経る事によって

こころが広がり、成長していく。

決して、見解の狭い

思慮の浅い人間にはなりたくない。

だから、こころをもっと豊かにしたいと想う。

時々、死を望んでしまうが

それもこころの動きであり、

経過せねばならない

プロセスの1つだと捉えられる。

何れにせよ、己のペースやスタンスは

崩さず、プロセスを大切にして

こころを豊かにしていきたい。





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Last updated  2007.11.27 22:06:24
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