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カテゴリ:想い
ざあざあと雨が降っていた。
夜中からずっと。 雨粒が屋根を叩く音も、 硝子戸に当たり滑り落ちる様も、 漆黒の闇に掻き消されそうだった。 ざあざあと降る雨は、 闇に負けじと降り続けた。 可燃ごみの日なので、 ゴミを纏めた後、外に出たら まだ雨脚は強かった。 傘を差すのは面倒なので 走っていった。 少しだけ空を見上げたら 灰色の雲がこれ見よがしに 広がっていた。 夜中、余りにも寒いので エアコンを付けて眠った。 暖かい部屋で、ぬくぬくとした お蒲団から出るのは、 かなり気力を要した。 ゴミ捨ての後、またお蒲団に潜り込み 読書を始めた。 『アルジャーノンに花束を』 物凄い勢いで知識を吸収していく 段階にあるチャーリィの想いが 伝わってきて、私のこころも また、戸惑っていた。 結末を知っているだけに、 切なくて仕方が無い。 『硝子のハンマー』は 数日前に読み終わった。 貴志佑介が醸し出す ストーリーの雰囲気や その展開は、 こころが強く惹きつけられる。 1度読み始めると 中々途中で止めることが出来ない。 ハードカバーだったので 少し手が疲れてしまったが 読んでいる間はそれをも感じなかった。 間抜けた失敗をしてしまった。 昨日の事である。 スーパーの自販機で カップのホットココアを 購入し、カップに注がれている間 煙草を購入した。 母と色々話しながら そういった一連の行動をしていたら 煙草の自販機からお釣りこそ ちゃんととって財布に入れたけれど、 肝心の煙草をバッグに入れ忘れた。 それに気付かず私はココアを取り、 お喋りを続けながら 一緒に温かいココアを飲んだ。 思い起こせばその時、中年の女性が 煙草を購入していた。 でもその人は何も言わなかった。 煙草をかばんに入れ忘れたのに気付いたのは 今朝の事である。 かなり、こころがへこんだ。 300円もあったら、何が買えただろう。 第3の発泡酒なら2本は買えたかも知れない。 小さな観葉植物なら3つ、購入できたであろう。 一応、今日スーパーへ行った際 店員さんに事の顛末を話したが、 届けられていないとの事であった。 やはり誰かが持って帰って しまったのだと想う。 残念である。 これからは気をつけねばならない。 その授業料だと捉えたい。 過食と嘔吐の回数が、安定している。 様々な事が重なり、気持ちが 不安定であったときは、 強い眠剤を服用した後でも その効果に抗い、 過食と嘔吐に走っていた。 朦朧としながら食べ続け、 倒れそうになったり壁にぶち当たったりして その行為を完璧に終わらせた。 しかし、最近は こころに揺れはあるものの、 お薬の効き目に抗おうという 気持ちは薄れてきている。 過食と嘔吐は、たとえ完璧にしたとしても 浮腫みなどによって太る傾向がある。 太る事に異常な恐怖感を覚えている私は、 「それならばやらない方がいい。」 と考えられるようになり、 素直な気持ちで床に就けるようになった。 夜中の過食と嘔吐は仕方が無い。 病状が出るべくして出る時間帯だからである。 無理矢理抑えようとすればするほど、 過食衝動は強くなり、酷い事になる。 主治医が仰った、 「症状にまつわる事は、身体に障らない程度で やり過ごすしかない。 その方が無茶をしないで済む。」 という言葉通りだと感じた。 勿論、過食や嘔吐をやらないで済むのなら それがベターである。 やらないに越したことはない。 その状態でこころが落ち着いているのであれば。 だが、無理して無茶して我慢を重ねたら その後、こころが暴発したように 症状が爆発的に現れるのは避けられない。 それは、その人のこころが 弱いからとか、情けないからとかでは決してない。 生きようとする想いの裏返しなのだと想う。 だから、症状を症状として 受け容れる事は、消極的なものでなく 積極的対応と言えるのである。 コントロール。 日常生活を生きていく上で、 感情をコントロールするのは 必要な事かも知れない。 想うままに自分勝手に振舞うのは ただの子どもである。 怒りは一旦堪忍袋に納める。 そこでこなして、理性的に話し合える時、 堪忍袋から出すのが得策である。 また、その袋に入れたら 自然に昇華されている事も少なくはない。 でも、泣くのは良いと想う。 哀しい時に涙が出るのは 人間として当たり前の感情である。 嬉しくても、涙が出るのであるから。 笑うのはもっと良い。 笑うと免疫力が上がり、身体に良い。 それだけでなく、笑顔は周りの人の 笑顔も誘う。 即ち、そこには和やかな雰囲気が広がる。 こうして綴ってみると、 コントロールが必要なのは “怒り”という感情が主であろう。 自分が苛立っているから、または むしゃくしゃしているからと 不機嫌な顔で周りに当り散らしていたら、 誰もその人に寄り付かなくなる。 周りに敬遠されるであろう。 要するに、 【怒りは一旦堪忍袋に納める】 という事が大切である。 人によって、その袋が小さかったり、 すぐに緒が切れてしまったりするが こころは、絶えず成長している・・・ その人が固定観念に縛り付けられない限り。 だから、堪忍袋が大きくなり、 緒もそれなりの働きをするまで 機能的になることも望める。 私は、まだまだである。 精神的に不安定な時など、 イラっとしたらヒステリックになってしまい 自虐行為に走っている事がある。 もっと勉強を積み重ねなければならない。 つまり、 コントロールできるのは感情だけであり 病症をコントロールするのは 無理があるという事である。 主治医が仰るには、 「意志の力で病症をコントロールするなんて 発想が乏しい上におめでたい事だよ。」 という事であった。 確かに、過食や嘔吐をコントロールするのは 至難の業であるし、 抑うつ感を振り払って こころから楽しく幸せな状態に なるなんて困難な事である。 抑うつ感がある時は、それを受け容れて休む事。 下手にテンションをあげて動かないほうが 回復するのも早い。 そういう事を、主治医は仰りたいのだと 感じた。 私は、落ち込んでいると顔から 表情が失せ、寡黙になる。 言葉を発するのも億劫になる。 そうなると、母の機嫌が悪くなるから 無理をしてなんでもない振りをする。 ここにはまだ、母との距離を感じる。 少しずつ、その距離を狭めたい。 久し振りに降った雨が、 濁った空気を一掃していった。 夜空にはまだ雲が残っていたけれど、 冷たい空気は清々しいものであった。 裏地がボアになっている 温かいジャケットを着て ポケットに手を入れて 背筋を伸ばして歩いていた。 歯科に差し掛かると、その住居兼医院は きらきらとイルミネーションが輝いていた。 壁面は、電飾だらけだった。 下手したら、少し下品になりそうだが 窓の所には雪の結晶を模した 電飾が飾られていた。 少し、こころが軽くなった。 真っ暗な夜に、そのイルミネーションは 場違いな程明るく、贅沢だった。 少しの間、違う世界に旅たった感じさえした。 煙草を1箱、自分のミスで失ったのは 凄く哀しい事であったが、 きらきら光っているヨーロッパ風家屋を 見ていると、こころは和んだ。 取り敢えず、無理飲茶はしないように 過ごしたいものである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.12.03 22:19:25
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