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2007.12.05
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カテゴリ:想い
12月5日は

私の大好きな女優さんである

観月ありささんの誕生日である。

小学生の頃から

好きな女優さんなので

この日は自分の誕生日と

同じくらい何故か、嬉しい気分になる。

彼女は、31歳になった。







女優さんは、30代から

どんどんと味が出てくると想う。

10代や20代では

表せなかったものが、

人生経験を積んだ事によって

より豊かな表現力として

身体中から発散されていくのでは

ないであろうか。

これからの、彼女の活躍が

とても楽しみである。







ありささんを好きになった理由は、

このブログでも何度か綴った事がある。

小学6年生のとき、

両親の仲が険悪になっていた。

一方的に父が母を詰り

怒鳴り散らし、お酒を飲んで

酔っ払ってその勢いで

テーブルをバンバン叩いて威嚇した。

家庭内に漂う、不穏な空気。

そこにいるだけで、

胃が物凄く痛んだ。

そしていつも、気が塞いでいた。

「家族みんな、仲良く暮らしたいのに」

という願いはいつの間にか、

母を一方的に責め苛む父に対する

憎しみへと変化した。

負の感情を抱き続けると、

身体の調子も悪くなる。

胃腸が弱かったので、そこに影響が出た。

学校でも、頻繁に腹痛を起こした。

その度に、担任のオバサン先生から

口汚く罵られた。

「情けない。気合が足りない。惚け茄子・・・。」

いたわりの言葉など、

存在しなかった。

毎日が苦しくて、いつも首吊り自殺を

実行する事ばかり考えていた。

そんな時、ドラマを観ていたら、

観月ありさが出ていた。

『放課後』というドラマである。


『放課後』は、高校生の男女が

落雷によって中身が入れ替わってしまう

という事を元に進んでいくストーリーである。

凄くキュートでお人形のように

手足が長く

でも、役柄は男子高校生なので

乱暴な言葉遣いをする

彼女の姿に惹きつけられた。

そのドラマを観ている間は、

家のごたごたとか、

学校での厭なこと等を

忘れていられた。

いつの間にか、

【観月ありさ】

という存在が、私にとって

とても大切なものになった。







その後も、挫折しそうになる度

彼女の新曲がリリースされたり

ドラマに出演したりして

だからこそ命を延ばせた。

唯一の生への執着が、

彼女の存在となっていたからである。

今は、私が10代の頃のように

熱狂的なファンというほどでもないが、

何よりも大好きであり、

CMが流れると作業を中断して

TVに集中する。

10代、20代の可愛らしさに

彼女らしさが加わって

どんどん素敵になっていくので

やはり大好きである事に変わりはない。

私は飽きっぽい性格なのに、

こんなに長い間、同じ芸能人を

好きであることには、

何か運命的なものを感じる。

実際、今年の夏

大阪へ舞台を観に行った時は、

直に彼女の声を感じられて

胸が震えたものである。

ストーリーも素晴らしく、

沢山笑って、沢山泣いた。

彼女の誕生日である今日は、

何となく、こころが軽かった。







こころは軽いが、身体が重い。

昨日から身体の調子が

少しずつ崩れつつある。

はなみずやくしゃみが止まらないので

ティシューで頻繁に鼻を

拭っていると、

鼻の下の肌が痛くなった。

クリームをつけて対処するが、

次から次へとくしゃみが出るので

追いつかない。

発熱特有の怠さはないので

多分、熱は高くないと想うが、

シャワーだけというのは

ちょっと辛いものがあった。

それでも熱めのお湯で

身体の要所要所を

温めると、大分身体は

楽になった。

用心を重ねる為に、

今冬初めてもふもふの

ダウンジャケットを着て

マスクも着用して

スーパーへ向かった。

やはり、スーパーの中は寒く

ダウンジャケットのお陰で

身体は温かかったけれど、

手は無防備だったのでかじかんでいた。

商品が上手く掴めなくて

困ってしまった。

母と一緒にホットココアを飲んだら

幾分ぽかぽかしてきて落ち着いたが。

それにしても、朝から凄く寒い

1日であったと感じた。







真夏の暑さにも弱いが、冬の寒さも参ってしまう。

私は冬生まれなので、

どちらかというと冬が好きである。

雪が降ると、どんなに寒くても

わんこのように

庭を駆け回りたくなる。

身を切るような冷たい風は、

気分をしゃきっとする作用がある。

空に向かって「はあっ」と息を吐き

白い吐息が広がっていくのを見ると、

儚げなその雰囲気が愛おしく想える。

しかし、これからは

帽子を目深に被り、眼鏡をかけ

マスクで顔の大半を覆っているので

怪しい事この上ない風貌で

行動せざるを得ない。

しかし、抵抗力や免疫力が

低下している現在、

これ以上風邪の症状が酷くならない為に

予防だけは怠らないようにしたいものである。







いたわる事、いたわりあう事。

そこから、人間関係が

良いものへと発展していくのはないかと

私は考える。

勿論、自分の事をいたわる事が

出来ないと、人をいたわる余裕は

生まれないであろう。

抑うつ感が酷い時は、無理を重ねず

ゆったり過ごし、睡眠を大切にする。

テンションを上げたり、こころに無理強いして

笑いを振りまいたりしなくても良いと想う。

勿論、人と人との関係を

円滑にする為には

いつも無愛想で機嫌の悪い表情を

していたら、相手に余計な気遣いを

させてしまって、軋轢が生じるかも知れない。

主治医は、

「そういう時、“微笑みを返す”位で

 良いんだよ。無理してテンションを上げて

 笑う必要は無い。」


と仰っていた。

【微笑む事】

これなら、難しい事ではない。

そして、スムースに事が進む。

うつ病の症状が酷く出ている時は

微笑む事すら難しい事もあるけれど、

母との関係で齟齬が生まれるのは

もっと辛いものである。

しんどい自分、辛い自分、苦しい自分を

受け容れて過ごしていく事。

どんな症状も丁寧に対応する事。


これらが出来れば、少しは

こころにゆとりが生まれ、

穏やかな気持ちで人と接する事が

出来るのであろうと考える。







主治医との話し合いの中で

印象的だった言葉がある。

【“愛情”は、試すと壊れる。

 奪い合うと、枯渇する。

 大切にすると、溢れる。】


というものである。

大学生の頃の私は、

付き合っていた人のこころが

段々離れていくのを感じた時、

試してしまっていた。

逸脱した行動を起こした。

向精神薬を多く服用したり、

目の前で手首を切ったり、

夜中に一緒に過ごしていた部屋を

飛び出したりした。

勿論、相手は呆れ果て、

当たり前のように別れは訪れた。

私は、彼の愛情を試した。

だから、壊れた。

21歳の事である。

愛情はこの世に、普遍的にあるものだが、

男女の愛は特別であり

だからこそ強烈で大きなものと

捉えられるのであろう。

今の私は、家族愛こそを大切にしていて、

母を始め妹や弟、姪っ子。

祖父母そして母の妹家族。

血の繋がりのある人々全てを

愛おしく感じる。

また、妹と家族以上に仲良くしていた

Kちゃん。

彼女が亡くなった時は、

まるで家族が亡くなった時のような

喪失感を覚えた。

未だに、妹の傷も癒えていなくて

解離性健忘を起こす事があり

心配で堪らない。

私は、Kちゃんとの想い出を

浮かべる度に涙が零れる。

私があの時、自分の事だけで

精一杯でなく

相手を慮ったり、いたわったり

出来ていたら、

何かが変わっていたのではないかと

後悔の波が押し寄せる。

いつか、妹のこころが癒える事を

願ってやまない。







日常生活で、大切な人の誕生日は忘れない。

母、妹、弟、姪っ子、祖父母。

そして大学時代からの大親友。

母には手紙を書き、小さなプレゼントを添える。

妹や弟には電話をかけるかメールを送る。

大親友には、日付が変わった直後に

メールを送信する。

人の誕生日や自分誕生日って

いくつになっても何故か嬉しい。

それは多分、自分という人間を

偉大なる母がこの世に誕生させて

くれたからであろう。

TVのドキュメンタリー番組で出産シーンを

観ると、こんなに苦しい想いをして

私を産んだのだと感じると、

涙が止まらなくなり、抑うつ状態で

「死にたい」と呟いてしまう自分を

蹴り飛ばしたくなる。

弱った私を見て、母が守ってくれるのは、

温かな本能から来るものであろう。

小さな頃や病気が悪化している時は

「どうして私なんか産んだんだ」と

ノートにぶつけていた事がある。

でも、生まれてきたものは仕方ないし、

それもまた運命なのであろう。

私は今、母の娘でよかったと考える。

さっきも、買いだめしていた卵の

消費期限が迫っているからと

12個使って巨大な厚焼き玉子を

作ってくれた。

それは、芸術の域に達するほど

丸いフライパンで作ったのに

綺麗な形になっていた。

消化したいと心から想ったので、

2口、3口良く噛んで食べた。

優しい味がした。

小さな幸せの積み重ねが、

やがて生き易さへと繋がっていく。

人生勉強となる。

いたわりのこころと、

思い遣りのこころは

いつも持っていたいものである。





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Last updated  2007.12.05 22:24:07
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