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カテゴリ:想い
初氷が観測されたという。
季節の瑞々しさを感じる。 凛とした寒さは、背筋が伸びる。 ついつい猫背になり 丸まってしまいがちになるが、 寒い時こそ しゃきっとしていると こころも共にすっと伸びる。 小学生の頃、冬になったら 理科の実験として 容器に水を張り、紅葉や 綺麗な葉っぱなどを入れて 夜から朝まで外に出しておいて 凍らせようというものがあった。 その実験は、クラスメイト全員 成功しなかった。 東北以北など 夜の気温が氷点下になる地域であれば 上手くいくかもしれないが、 私が住んでいる所は 真冬でも氷点下を記録する事は 滅多にない。だから 容器に入れた水が凍るなんて有り得ない。 だから、失敗だと分かった時は 子どもながらに寂しかったものである。 ただ、家の前の道路にできる 水溜りは、偶に凍っていた。 私はスケートでもするみたいに 滑ってみたり、 それに飽きたら 傘の先で穴を開けたりしてみた。 すると、中でまだ凍っていない水が 溢れて見ていると楽しくて夢中になり、 遅刻しそうになった事もある。 自然現象に対して 素直に無邪気に夢中になる事が、 本当に少なくなったと感じる。 朝方、こころの具合が悪かった。 どうにもこうにも落ち着かず、 夜中の過食と嘔吐を終えた後で ぐったりしていても、 「まだ食べたい・・・。」 という気持ちが膨らんでいた。 だが、眠気の方が強かったので、 目蓋の重さに任せて ぬくぬくのお蒲団に入って すぐ眠りに落ちた。 だが、こころの中ではずっと 食べたいという気持ちが 膨張し続けていたからか、 1時間ほどで目覚めてしまった。 いつも起きる時間まで2時間も 空白が出来てしまい、 読書をする気も起きなかった。 そして私は欲求の為すがままに 黙々と食べ始めた。 ふと、想った。 「夜も明けぬ朝方から何をやっているんだろう。 私は本当に食べたかったんだろうか。 それが本当の気持ちだったんだろうか。」 分からなかった。 無力感が余りにも大き過ぎて 私はただ飲み込まれないように 全速力で逃げているだけかも 知れないとも感じた。 無力感を覚る事は、決して無力ではない。 消極的でもなく、積極的行為である。 つまり、そのおびただしい無力感に 飲まれてしまうと、 【希死念慮】 が待っているのだから、 病気の症状という手段でも そこから脱出するのは、力が残っている訳であり 無力でないという事である。 無力感は得体が知れない。 様々に形を変えて襲ってくる。 もう、死ぬしかないのではないかといった 想いが、身体を包み込む作用がある。 私の場合、【空白の時間】が危ない。 強迫観念、強迫行為も手伝って、 何かしていないと落ち着かない。 夜は、発泡酒を飲みながら 煙草を吸ったり、 こうしてブログを綴ったりする。 集中できない際は、ぱらぱらと 本を読んだり、TVを眺めたりする。 ブログの更新を終えて、 コメントを下さった方々への お返事が済んだら、 色んなサイトへ飛んで 文章を読む。 今は、携帯小説をPCで 読むこともある。 その間にも、“食べる練習”をする為 カロリーの低いはんぺんを 小さく刻み山葵醤油で ちびりちびりと食べる。 考えてみれば、私は常に何かをしている。 だから夜中から朝方にかけて 少しうとうとと眠り 目覚めた時間が早いと 出来てしまった【空白の時間】に 何をしたらいいのか分からないのである。 寒いから、お蒲団から出るのも 面倒だと想ってしまうし、 読書が好きだといっても、 気が乗らない時もある。 そういう時、私は食べてしまうようである。 摂食障害の症状が 今は一番強く出ているから、 過食と嘔吐は日々避ける事のできない 行為である。 それが、今の私にとって 生きて歩いていく為の杖であるから。 うつ病の抑うつ感が物凄く酷い時は、 無気力なので、寡黙になり笑えなくなる。 お気に入りのバラエティ番組を観ても 面白いと感じられない。 時間と共に、目の前を流れていってしまうのである。 生きたいかどうかも分からなくなる。 存在していいのかどうか疑問を感じる。 生きていくのが辛い。 しかし、辛くしているのは自分自身である。 分かっているけれど、動けない今は どうする事もできない。 Bipolarである自分をどう受け容れるか。 私は、抑うつ症状が主なバイポーラである。 躁状態になるのは、外出しなければ ならない時や、 沢山の人との会食のとき、 針が振り切れたように また、スイッチが切り替わったように 明るい自分、笑う自分・・・つまり躁へと変わる。 勿論、私は抑うつ感を抱き続けているのが 普段の状態であるから、 躁状態になった次の日は、 酷く気分が堕ちて1週間は辛い日々が続く。 無理をしてテンションを上げた代償である。 主治医のアドバイスとしては、 「自分の状態が“しんどい、辛い”という事を きちんと念頭に置いて、その上で 無理にテンションを上げる事無く、 自分の調子を守る事。」 というものであった。 自分が抑うつ感を抱いている事を自覚して 物事に対処するのと、 何もかも振り切って テンションを上げてしまう事には 後々身体とこころの調子に 大きな差が生まれる。 前者は、決して無理をしていないから、 1~2日位で疲れは取れる。 しかし、後者は元に戻るまで つまりなだらかな状態になるまで 最低1週間はかかるのである。 だから私は、未だ自分の調子を 掴む事が苦手であり、いつも 身体とこころの調子を崩すのである。 1日の間にも、その変動はあり、 食器を洗いながら歌を口ずさむ余裕があるほど 楽な状態であるときは、危ない。 後にズドンと沈むのである。 だが、こうして“どうして気分が沈むのか”という事を 念頭に置いておくだけでも大分違ってくる。 兎に角、調子が悪いときは ゆっくりと養生するに越した事はない。 テンションが上がっていると感じたら、 深呼吸をして一旦心を落ち着けねばならない。 こうして、1日1日の積み重ねで 【自分のこころとの付き合い方】 を学んでいくのも大切であろう。 年末に向けて、やらねばならない事が 沢山あって困っている。 部屋の大掃除や、年末年始の買い物の事。 考えただけで自分が動けるのかと 不安になるが、どうにか乗り越えねばならない。 近所のスーパーは、元日は開店するが 2~4日までお休みなので、 母と車で遠くのデパートまで行かねばならない。 広いし、お惣菜がいつ半額になるのか 今はもう忘れてしまったので 節約に節約を重ねなければならない。 でも、母と共に広い店舗を歩き回るのも 楽しいかも知れない。 12月下旬には、祖父母の家でお餅つきもするので それもまた楽しみである。 行ったら必ず、祖母と共に 全国チェーン店の安い事で有名な ショップでお買い物を楽しめる。 最近、ずっと祖父母と会えない日が続いているので 絶対身体とこころの調子を整えて 会いに行きたいものである。 冷たい空気は、清々しさを乗せて やがて去っていく。 冬の風は、夏よりも強く吹き荒ぶ。 風を全身で受け止めると、身体にまとわり付いている 煩わしい仄暗い想いを 吹き飛ばしてくれる爽快感がある。 無力感は、生きている限りずっと 私のこころの中に棲み続けるのであろう。 今は、病症によって誤魔化し、 何とか脱け出す状態であるが、 いつかは健康的な方法で 無力感から脱け出せる 方法を見つけ出したいものである。 それには、様々なプロセスを踏む必要がある。 大切なプロセスを飛ばしてしまうと、 重要な事を得られないままで きっと病気の寛解が遠くなってしまうであろう。 少しずつ、自分の歩幅で 進みたいものである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.12.06 22:30:15
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