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2007.12.07
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カテゴリ:想い
ざあざあざあ。

雨音は早朝から

そこら中に広がっていて

地面で弾けていた。

水溜りを跳ね上げて

車が走り抜けていく。

その音が懐かしく

こころは子どもの頃に戻った。







外で遊ぶのが大好きだった私は、

雨が降ると家で本を読むしかなかった。

それに飽きたら、2階の窓から

グレーに染まった空と、

国道を行き交う、無数の車を眺めていた。

しゃーっと車道に溜まった雨水を

心地好い音を立てて走り去っていく。

次にやってくる車の色当てをする。

何色の車が来たら、ラッキィだと

決まりごとを作る。

そんな遊びをしていた。

時に、ゴロゴロと雷鳴がして

刻一刻と表情を変えていく

空やその空気の動きが

面白かった。

その頃も、親から虐待を

受けていたけれど、

そうして傍から見ればなんて事ない

雨空を見上げ、音を楽しんでいると

こころが落ち着いたのである。







現在は時々、家に1人で居る際

雨音を聞いていると不安になる。

車に乗って仕事に行っている母の事が

心配で堪らなくなる。

視界が悪くなるし、母が事故を起こすのではなく

事故に巻き込まれたらどうしようと

不吉な事ばかり考えてしまうのである。

そういう想いが浮かんだ時は、

「気を付けてね・・・。」

と小声で呟くのが癖になっている。

お仕事から帰ってきた母を迎えられた時、

漸く安心するという毎日が続いている。







私がこうして生きていられるのは、母のお陰である。

当たり前の事であるが、

つくづくそう想う。

この世に生まれて、母から母乳を

与えられなかったら、

死んでいた。

何も出来ない赤ん坊の頃、

大切に大切にお風呂に入れてもらい、

ミルクを与えられ、

オムツを替えてくれたから、

成長する事が出来た。

勿論自分でご飯は作れないから

離乳食を母が作ってくれて

食べさせてくれたから、

食べられるものが増えていった。

躾と称する虐待こそあったけれど、

母はきちんと食事を作って

3度の食事を食べられていたし

お風呂にも入れた。

お洗濯もしてくれたから

清潔な下着や洋服を着用して

過ごせていた。

母の打擲は厳しいものだったけれど、

基本的な事はきちんとこなしていた。

子どもである私たち兄弟が

ひもじい想いをする事はなかった。


だから、今も私は生きているし、

母によって生かされている。

虐待というこころの傷は

簡単に癒えるものではないが、

【その過去をも受け容れる】

という事を実践していきたいと想っている。







スティーブン・レベンクロンの

『自傷する少女』を読み終わった。

彼の著書である

『鏡の中の少女』

『鏡の中の孤独』

という作品は、大学生のときに

読んでいた。

この2作品は、拒食症の少女が

主人公の物語である。

『鏡の中の孤独』の方は、

過食症で、過食と嘔吐を繰り返す

主人公の友達の少女が、

食べては吐き、吐いては食べるという

行為を繰り返した為に

心臓に異変が起きて

トイレに突っ伏して亡くなってしまった。

その場面は衝撃的で今でも

忘れられない。

読んだ当時は、自分もそうなるのではないかと

毎日過食と嘔吐をする度に

びくびくしていた。

なので、スポーツドリンクや

野菜ジュースを飲んでカリウム補給をしたり

糖分を補給したりする事を

欠かさないようにした。

そして浮腫み防止の為に、

豆乳を飲むようにしている。

摂食障害は、死亡率が高い病気であることも

忘れてはならない。








『自傷する少女』は、購入して

大分経っていた。

そして2日位前からふと気になって

少しずつ読んでいた。

ネタバレになるので

ストーリーの内容については

余り記さないけれど、

「何故、自分を傷つける事で安心感を得られるのか。」

という事が、極めて患者側に近い所で

表現されていた。

主人公のケイティは、もうすぐ16歳を

迎えるといった年齢であり、

フィギュアスケートで

オリンピックを目指して

早朝から学校の授業2時限目に

間に合うまでリンクで練習して、

放課後もまた、リンクで滑っていた。

友人と遊ぶ暇もない。

夜更かしも出来ない。

パーティーにも参加できない。

それでも、母と2人暮らしである

その母の期待を裏切らないよう

自分のこころを押し殺して

必死に毎日を過ごしていたが、

段々とリストカットが悪化していった。

そこから、様々にストーリーが

展開していくのであるが、

この作品は、現在リストカットが続いている

思春期の女の子が読むと

引き込まれる物語かも知れない。

私も、一部ではあるが、

主人公のケイティがどうして

手首を傷つけねばならない状況に

陥ったのか、どうして悪化していったのか、

気持ちが分かるような気がした。

今も時々、自傷したいという衝動が

生まれるので、その想いを

汲み取れるのかもしれない。







起き上がるのが、辛い。

ずっとずっと、温かいお蒲団の中で

丸まっていたいと想う。

過食する為の食材を購入しに行く事も、

シャワーを浴びる事も、

全て擲って眠っていたいと想う。

だから、今日は電話診察を受診する日

であったのに、お蒲団から出られず

出来なかった。

タイマーをオフにして、

シャワーを浴びる時間ギリギリまで

眠り続けてしまった。

決して、こころに余裕がある訳ではない。

現実のこの日常を生きる為には、

主治医との話し合いが必要不可欠である。

だが、身体が動かなかった。

眠りが、眠気がお蒲団の温かさと相俟って

心地好い事この上ない。

「起きたら、煙草を吸って、シャワーを浴びる。

 スーパーへ行く支度をしてスーパーで買い物をしたら

 暫く身体を温める。そしてブログを更新して

 夜中の過食をする時間まで時間を潰す・・・。」


これが普段の習慣であり、

些か決まっている事にうんざりしてしまうけれど

その通り動かねば気持ち悪いといった

半ば強迫行為に沿った

動きをしている。

ただ、今日はMステに大好きな

Coccoが出演していたので

TVを観ていたから、いつも通りの

“決められた時間通り動く”という事は無くて

それはそれで、少しこころが軽くなった。

Coccoの力強く澄んだ歌声は、

私のこころを溶かしていくようであった。

母も観ていたようで、

「いい曲やったねえ。」

と笑顔で言っていた。

どこか、懐かしい響きのする曲だった。







話は戻って、母のお陰で生きている

という事実には、もうひとつ

重要な事柄がある。

私は、生まれてからずっと“母の味・おふくろの味”で

育ってきた。病気を患うまでには沢山の

経緯があった。なるべくして病気になった。

私の場合の摂食障害は、普段は飲み物で過ごし。

過食と嘔吐の時だけ食べるといったものである。

だが、母の味であるお味噌汁や煮物、鍋物

そしてミネストローネは、美味しさを身体が

感じるだけでなく、こころも感じている。

病気を治す為には、先ず“母の味”を

味わって大切に頂く事から始まるのかも知れない。


急に、それを成功させるのは難しいであろう。

固形物と分かると、胃の不快感から

吐いてしまうのであるから。

だから、自分のペースで少しずつ

例えば赤ちゃん用の小さな器に1杯の

スープ、または煮物のお野菜1個など

そういうところから始めていきたい。

言葉では表せないほどの痛みと共に

私を産んでくれた母。

その母が作る料理の味を覚えて育ってきた自分。

母のお陰で今まで生きてこれた事。


決してそれを忘れてはならないと肝に銘じたい。







お昼頃、雨はやんだようである。

私が深い眠りにつくまでは、

過去を想起させる雨音が響き渡っていた。

ぴちょん、ぴたん、と

屋根から落ちてくる雨雫は、

優しい音がした。

朝陽は余りにも眩しくて、

何も出来ない自分を浮き彫りにするから

お蒲団を頭から被って避けてしまう。

今の私には雨が似合っているかも知れない。

ネットのニュースで、大好きな女優さんに

熱愛報道が流れたけれど、

彼女は友達がとても多くて、その旅行も

友達7人で行ったものらしい。

だが、31歳なのだから、

恋愛の1つも無い事の方が

彼女の魅力を考えるとおかしいのかも知れない。

普通の人も、ごく自然に恋愛をするのであるから、

問題行動を起こさない限りは、

芸能人であっても恋愛しても良いであろう。

仕事に支障が出るという、

最悪な騒動が起きなければ、自由である。

今朝は、花魁姿のありささんを

TVで観る事ができて嬉しかった。

少し、元気が出た。

でも元気が出たからといって

調子に乗らず、うつ状態が当たり前だという

事を踏まえて過ごしたいものである。





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Last updated  2007.12.07 23:00:12
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