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カテゴリ:想い
夢から醒めたら
必死で母を呼んでいた。 多分、怖い夢を見たのであろう。 母が仕事でいない事に気付くまで ずっと「お母さん!」と 呼び続けていた自分に 微苦笑した。 約1週間遅れで 月経が始まった。 遅れた分、月経痛が酷い。 今朝は2時半に鎮痛剤を 服用したけれど 4時半に目覚めたときにはもう お腹に鈍痛が走っていた。 鎮痛剤は、普通6時間空けて 服用するべきであるが、 余りの痛さに耐えかねて 半錠だけ胃薬と共に 服用したら、少し痛みは緩和した。 何だか月を経る毎に 痛みが酷くなっている気が しなくもない。 身体の何処かに 如何ともしがたい痛みがあると、 全てにおいて気力が殺がれる。 過食と嘔吐をする事さえ、 億劫になる。 でもやらねばならないと こころと身体が反射的に動く。 読書をしていても、すぐ気が散って 部屋の片付けをしたり PCに録画している番組を観たりと 落ち着きがなくなる。 そして波のように襲ってくる 腰とお腹への鈍痛や疼痛。 その場合は必死で ツボを指圧して何とかしようとしている。 この指圧は、少しだけ効果がある。 祖母がツボに関して詳しく、 母も祖母から習っているので 私に教えてくれるのでありがたい。 母の思い遣りが身に沁みた。 私が顔面蒼白で 痛みに耐えている姿を見かねて、 貼るカイロを購入してくれたのである。 お腹を温めたら、少しは痛みも 緩和するとのアドバイスと共に。 そういうちょっとした思い遣りが 私にとっては物凄く大きい 優しさとなって、こころの中で 温かく広がっていった。 そのカイロは、今私のお腹を じんわりと温めていて 痛みも寒さも和らいでいる。 母の温かさが、具現化しているようである。 これは、お互い自分の事で 精一杯であり、 病気である私が邪険にされていた頃とは 大違いである。 2人で各々のペースで過ごせるようになり お互いを慮る余裕が生まれた。 だから、母は私の心配を してくれるようになって、 私のこころも落ち着いてきた。 時に、何もかも放擲して消えてしまいたくなる。 けれども、それを実行に移さないで いられるのは、 偏に母の存在のお陰である。 「母1人を遺して死ぬ事は赦されない。 そんな親不孝をしてはならない。」 この想いを常に自分へ言い聞かせている。 時に、何故か【生きる事への恐怖】を感じる事がある。 【死ぬ恐怖】ではなく、生きる事の方が 余程恐ろしいものだと私は感じる。 それはきっと、生きている限り 病気を治す為に病と共に生きねばならない 辛苦があったり、 治らないのではないかという 絶望感に襲われたりするからかも知れない。 けれど、それでも生きていられるのは、 「生きててくれるだけで良いんよ。」 という母の言葉が 胸に刻まれているからであろう。 大切な人が、生きていてくれるだけで良いと 私に言ってくれた事。 それだけではなく、 私が存在していても良いと認めてくれた事。 それが途轍もなく嬉しい。 子どもの頃は、いつも躾と称する 虐待が毎日あって 「私なんか生きていてはいけないんだ。 いつもこんなに怒られるなんて 駄目な人間なんだ。」 等と考えていた。 テストでどんなに良い点数をとっても、 縄跳び大会で1位になっても 余り褒められなかった。 私は、鈍臭い子どもだったから、 人一倍努力が必要だった。 だから、宿題をして予習をして 塾にも通って、 そして運動も欠かさずしていた。 結果だけを褒めて欲しいのではなく、 きっと子どもの私は、 「頑張ってるね。頑張ったね。」 という一言が欲しかっただけなのかも 知れないと感じている。 努力というものは、人知れずするものであり、 それを自慢するのは浅薄かも知れない。 でも子どもであった私は、 頑張った事や、努力した事、 それを含めた結果を認めてほしいと 望んでいたと気付いた。 そこには、虚しさと寂しさ、哀しみが 混合して無力感へと 繋がっていたのであろう。 固形物を食べる事。 未だに固形物の食べ物を拒絶する 気持ちは凄く強いけれど、 飲み物だけでは命を繋げないので 少しずつ、食べる練習をしている。 発泡酒を飲んでいる時だけ、 肴としてはんぺんを小さくサイコロ状に きったものを山葵醤油でつまんでみたり、 蒲鉾を薄く薄くスライスしたものを 同じく山葵醤油でよく噛んで食べている。 だが、それは時間の流れに沿って やがて過食と嘔吐になり 吐いてしまうので余り身体に吸収は されていないけれど、 【胃の中に何かがある不快感】 に慣れるための練習だと想っている。 あと、カロリーが低く、 いつまでも噛み続けていられる “あたりめ”も1本2本くらいなら ゆっくりゆっくり沢山噛んで 飲み込む事もできるようになった。 これは、半年前では出来なかった ものだと感じる。 過食と嘔吐の症状は、 今の私にとって生きていく為の杖だから 手放すと私は途端に転び 起き上がれなくなってしまうであろう。 これが甘えだとは決して想わない。 この摂食障害という病気が甘えだとしたら、 他のこころの病気や脳の病気 身体の病気も甘えだという事になる。 自分の意志で食べたり食べなかったりしている という部分は大きくない。 「やらねばならない。」 といった強迫観念や強迫行為によって 衝き動かされているのであるから。 中には、食べ物が勿体無いという方もいるが、 外食の際、注文しても料理を残す人がいて、 それは廃棄される。 総菜屋で売れ残り、消費期限が過ぎたものは 大量に廃棄される。 それは、外食産業の世界でも 同じ事であり、 摂食障害患者が食べて吐く量よりも多く 誰にも手を付けられる事のなかった 食べ物が、1日で何トンも廃棄されている。 しかし、摂食障害は 【食べて吐く】 といった異常な行動から 普通に食事が出来る人々の何かに 引っかかるのであろう。 その普通の人々は、大量に食べ物を 廃棄する業者に対して罵詈雑言を吐く事は 無いのであるから。 摂食障害の患者は、いつも願っている。 「普通に食事がしたい。」 「吐く事を考えず、食べ物を美味しく頂きたい。」 「人と笑い合いながら食事を楽しみたい。」 と・・・。だが、その想いは無視され、 「意志薄弱だ。」 「甘えているだけだ。」 「治そうと想っていないから治らないんだ。」 「気合も気力も足りない、情けない人間であり 生きているだけで国のゴミだ。」 といった辛辣な言葉で非難する人もいる。 私は、摂食障害の他にPTSDやうつ病 その中でもバイポーラであり 強迫性障害、睡眠障害なども患っている。 生きていくだけで精一杯である。 無力感というブラックホールが すぐそこまで迫っていて 必死に走って逃げているのである。 逃げる方法は、病症が現れている時間を 過ごす事である。 だから無闇に病人から病症を奪ってはならない。 例えば、リストカットを続けている人で 現在は、その症状があるから 生きていける状態を保っている人も多い。 無理矢理リストカットを止めたら、 こころが暴発してしまうであろう。 つまり、もっと酷い逸脱行為に 走ってしまう事すらある可能性も考えられる。 だから、信頼の置ける専門家である 精神科の医師や臨床心理士の力を 借りるという事も必要であると感じる。 いつの頃からか、私はセロリが食べられるようになった。 子どもの頃、母がお塩を付けただけで ぽりぽり食べているのを見て 1口もらったら、酷くクセがあって 駄目だと想った事を覚えている。 でもいつしか、大好きなお野菜の1つとなった。 野菜スティックにして、ぱらぱらと塩を振り 発泡酒のおつまみとして、また固形物を食べる 練習として食べられるのが、嬉しい。 子どもの頃、他にはもやしも食べられなかった。 今では、もやしを適当に切り刻み、 それをレンジで柔らかくして 酢味噌で食べるのも美味しいと想える。 そうやって、食べ物の好き嫌いは大分 克服したけれど、飲めないお酒が増えた。 ワインは、ODをした時一緒に飲んだ所為で もう飲めなくなってしまったし、 カンパリもちょっと薬草臭いのが 苦手である。 甘いカクテルも飲めなくなってしまった。 ビールも、外で飲むときは良いけれど、 家で飲むと味が濃いと感じて、 どうしても糖質ゼロの味がさっぱりした 発泡酒ばかり飲んでいる。 美味しいと感じるものが歳を経る毎に 変わっていくように、 もしかしたら、人と人との関係も 以前とは変わっていく可能性もある。 母との関係でさえ、 以前は「一生分かり合えないだろう。」と 失望感で一杯であったが、 今は2人手を取り合い支えあって 生きている。 何事も、時間という力が プロセスを生んで様々な方向へ 物事を変化させていくのであろう。 苦しい状態がずっとずっと続く訳ではない。 今の苦しみが、きっと未来に生かされる事も ある筈である。 それを励みに生きていきたいものである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.12.09 22:44:30
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