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カテゴリ:平穏
母と交わす朝の挨拶は、
毎日決まっている。 「おはよう。寒いねえ。冬は嫌やねえ。」 ストーブの側に居ても、 どんなに温風に近付いても、 隙間風の威力には勝てず、 部屋は寒いままである。 しかし、昨日から使用を始めた 貼るカイロが、かなり効果的に お腹を温めているので 少しは寒さ対策に なっているのかも知れない。 お腹に感じる温かさは、 母がプレゼントしてくれた温もりである。 相変わらず、私は1人の時間を 持て余してしまう。 【何かしていなければならない】 といった強迫観念が 後ろから追いかけてきて、 私はそれから一生懸命逃げたり隠れたり している感じがする。 もう一層の事、強迫観念に 飲み込まれてしまおうとも想う。 そうすれば、逃げたり隠れたりする必要は なくなり、たとえ症状は苦しくても 行動している間は何も考えなくて済む。 だが、それでは何の解決にもならない。 心身が疲れ果て、動くのも考えるのも 億劫になった時の逃げ道として こうした行動はとって置くべきなのだろう。 母が仕事から帰ってきたら、 それまでピンと張っていた 糸がたわむ。緊張が、解れる。 深い安心感が押し寄せる。 私の顔にも表情が戻り、 いつの間にか笑顔で会話している。 抑うつ感の酷い時は、 無理をして笑っている事が多い。 けれども今日は、こころに余裕が あったからか、母との他愛ない会話を 愉しんでいた。 スーパーで買い物をしている間も、 思い出話をしたり、 この店は安売りしている商品が 少なすぎるなど愚痴を言ったりと 話は尽きなかった。 明日、お仕事が休みだから きっと母にも、こころに余裕があったのだろう。 家に帰り着いてからも、 かしましくお喋りしていた。 私は何故か、母の行く所行く所 ついて回る状態になっていた。 意識はしていなかったし、 そこに用事があるから キッチンやエアコンが効いていて 暖かい部屋に行ったのであるが、 常に側に居た気がする。 以前は考えられない事であった。 いつも2人別々に行動していたし、 近付くと、お互い険悪な空気が 漂う事もあったからである。 だが、今は違う。 傍に居ると安心する。 母の存在を感じると、自分も生きていると 感じられる。 以前の母と私の関係を見てきた 主治医は当初、 母と私の間に距離を置こうとしていらした。 そのほうがお互いの為だと。 1人暮らしを勧められた事もあった。 だが、その当時私が1人暮らしをしたら 過食や嘔吐は際限なく続き、 誰も見張る人はいないから リストカットも常にしていたであろう。 つまり、自分と向き合う事から逃げたと想う。 今は、どうして過食と嘔吐をするのか、 どうして自分を傷つけて痛みを感じ 血を流したいと想うのか、 行動に至るまでに“間”を置ける ようになっている。 これもきっと、母との関係が 少しずつ良いものへと変化してきた からであろう。 私は未だ病気の症状が出ているけれど これは、生きる為に必要な杖なのである。 満身創痍である私から その杖を奪われたら、歩けなくなる。 他に、生きる術を見つけ、 健康的な方法で無力感の 脱け出し方を知っている人は、 病症を必要としないから 病気は寛解する。治っていく。 現在、私が置かれている環境は、 まだまだ問題が多い。 母の事。妹・弟の事。 そして自分自身の事。 背負わなくていいものまで背負っているのかも 知れないけれど、 私は長女としてそれを背負うべきだと 育てられてきたので、 今更それらを放擲する事は出来ない。 治癒が遅々として長い道程になっても、 私1人が救われる訳にはいかない。 家族全員が海底から水面へと浮かび上がり、 呼吸が出来るまで 私はどんな苦しみも甘受するつもりである。 生きている事に疲れる事がある。 それは、無力感に身体の半分を 飲み込まれている状態である事が多い。 「もう全部・・・何もかもに疲れた。」 それが無意識に、口をついて出る。 過食と嘔吐は、無力感から脱け出す為の 足掻きのひとつであるが、 それさえも虚しくて、空々しく感じる。 食べている時は無我夢中だから そんな事考えないけれど、 全てを終えて、煙草を吸っていると 「私は一体、何をしているんだろう。」 と厭世的になる。 無力感から脱け出している状態で 全く後ろめたさを感じないでいられるのは、 睡眠時間のみである。 この世に私は存在していても、 意識は夢の中にある。 過食と嘔吐もしないし、自傷もしない。 例外として夢の中でも過食や嘔吐に 走ってしまって、「吐かねば」と 焦っている場合もあるが、 それは夢から醒めた時に安心できる。 また、睡眠は心身の疲れを取る。 普段、行動範囲は広くないので 身体は疲れないだろうと想うけれど、 こころが弱っていくと、身体も共に 衰弱していくのである。 こころと身体は繋がっている事を 痛切に感じる。 過食と嘔吐にしても、食べるという行動 嘔吐するという行動で 体力を消耗していく。 「ああ、やっと眠れるんだ。」 と想える時が、私の癒しである。 起きていて意識のある間は、 漠然とした不安や恐怖から 全速力で逃げてばかりいる。 これでは、病気を治す姿勢に入れない。 逃げてばかりの私であるが、 少しずつ、自分と向き合う時間も 取れるようになってきた。 それによって、こころにも 変化が現れてきた。 自分のこころを見ないように していた頃、 私はすぐに解離した。 現実感が遠ざかっていって、 今、自分がどのような状況に置かれているのか 分からなくなり、 表面上だけ笑っている自分を遠くで感じる。 それは、他人との会食時であったり、 カウンセラーと話している間にも起こったりした。 自分で受け止められないほどの“思念や想い”が 一気に襲い掛かってくると、 ふっと自分が己の身体から一歩後退するのである。 また、その頃は何か怒れる事があっても、 先ず恐怖やパニックに襲われた。 その後に、沸々と怒りが湧いた。 でも今は違う。 リアルタイムに、これは怒る事だと感じたら 少しずつ堪忍袋に収められるように なってきている。 怒りが爆発してしまっても、 それは自業自得なので、自分で処理している。 最近は、怒りよりも呆れる事が 多かったので、堪忍袋の出番は 無かったけれど、 ヘドロやゴミのような穢らわしさに 触れる事はあった。 これは、綺麗に洗い流せば すっきりするものである。 少しずつ、自分のペースで歩んでいる事を 感じている。 今夜は、母の居る所に用事があって 行ったり来たりしていたので、 「まるで金魚のフンみたいだね。」 と笑った。だけど、狭い家なので 行動範囲も狭いからどうしても 母の後を追う事になってしまう。 ブラッディメアリーを作る際、 また母がキッチンにいたので 「金魚のフンがきましたよ。」 と笑顔で言うと、 「私の可愛い金魚ちゃん。いつでもおいで。」 と柔らかく面白い返し方をしてくれた。 夢現の意識の中では、いつも母がいる。 母は、どんなお薬よりも こころを安定させてくれる 存在である。 母と2人、大好きなホルモン焼きのお店で 忘年会でもしようかという案が 出てきている。 母の息抜きに、私もお供したい。 こうしてゆっくりと、 行きつ戻りつしながらも 母との関係は築かれていくのであろう。 決して焦らず、慌てる事無く 母との距離感を保っていきたいものである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.12.10 22:33:13
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