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カテゴリ:想い
雨は降ったり止んだりと
思う儘に空模様を変えた。 まるで、私のこころを 反映しているようだった。 腹痛も腰痛も無くなり、 漸く鎮痛剤の服用を免れて 胃痛に怯えなくて済んでいる。 私の胃痛は、急に胃の辺りが 締め付けられるように痛み、 それが食道から奥歯、 頭へと急激に突き上げていく 変わった形で現れる。 その疼痛は酷く、脂汗が出て 顔面蒼白になり、 立っているのもやっとという状態になる。 それがスーパーで買い物をしている時に 襲ってくるのであるから、 戦々恐々としているしか術はない。 ただ、買い物の途中で母と一緒に ココアを飲むようになってからは 酷い胃痛に悩まされる事は少なくなった。 多分、胃に何もない状態が、 胃痛を引き起こすのであろう。 今朝はいつもより起きるのが遅かった。 普段は2時半に眠り、4時に目覚めるが、 3時過ぎに眠ったからか、 目覚めたのは5時だった。 身体を温める為に お湯を注ぐだけで作れる、松茸のお吸い物を ゆっくりと飲んで 自室で読書を始めた。 でも何故か、集中できず TVをぼんやり眺めている時間の方が 長かったような気がする。 そこに、母がやってきた。 遅出なのに、早く起きてしまったんだなと 想って色々お喋りしていたら、 「これ、ちょっと早いけど、クリスマスプレゼント。」 といって可愛い赤色の ショッピングバッグを渡してくれた。 凄く嬉しくて、 「うわあ、ありがとう!今、開けて良い?」 と聞いて封を解いたら、 私が欲しいと想っていた真っ赤な もふもふとしたマフラーと、 薄い藤色のマフラー・手袋セットが 入っていた。 こころから感激した。 とてもとても嬉しかった。 そして母のセンスの良さにも感動した。 もう何もかもが嬉しくて、 こころの中が喜びと嬉しさで 溢れていった。 母に感謝の気持ちを沢山告げて、 ためつすがめつプレゼントされたものを 眺めて、マフラーを首に色々な形で 巻いて嬉しさを味わった。 母も、嬉しそうに笑っていて、 「その赤いマフラー、似合うね。良かった! クリスマスまで渡すのを待っとこうと 想ったんやけど、寒いからねえ。 今渡した方が良いと想って。」 と、にこにこしていた。 私も、小さなものしかプレゼントできないけれど 今から何を送るか考えておこうと想った。 思いがけないプレゼントに、そして母が私を 想ってプレゼントを選んでくれた事に、 私のこころは温もりで満たされた。 普段の私は、寂しさや心細さ そして満たされぬ何かに困惑している。 無論、丁度良い距離で母と接する事が 出来ている時は、落ち着いている。 けれども、1人で過ごす時間の方が長い。 “満たされぬ想い”とは何であろうか。 考えていてもキリが無いけれど、 主治医は仰った。 「満たされる為には、色々な物事を感じ取る事だよ。 それによって得られるもので、こころは 豊かになっていく。積極的行為だね。」 確かに、ふと空を見上げた時、 星が煌めいていたら じんわり胸が温もるし、冬独特の月光は 蒼白く、美しく感じられる。 夜空を流れていく雲を眺めていても、 それは儚げであり、何かがこころに残る。 一方、過食と嘔吐では 一時、食べ物によってこころと身体は満たされるが 全て嘔吐するので何も残らない。 空虚感と、酷い疲弊感が襲ってくるだけである。 それを分かっていて 食べたり吐いたり繰り返さないではいられないのは、 【生きるため】 という理由がある。 “成長モデル”が及ぼす悪影響。 こころの病全てに言える事であるが、 「現状から脱出せねばならない。」 「成長しなければならない。」 といった観念がどうしても付き纏ってしまう。 だが、私は成長する事よりも先ず、 【こころを豊かにして、ゆとりを持つ事】 を最優先すべきだと考える。 そうすれば、自ずとこころは 縦横無尽に広がって大きな視点で 物事を見られるようになり、 生き方も変わっていくであろう。 そして気付いたときに、 「あの頃と比べたら、成長しているのかも知れない。」 と感じられたら、充分であろう。 固定観念に縛られたり、狭隘な考え方だけで 物事を捉えたりしない限り、 こころは広がっていく。 “成長”と言ってしまうと、 イメージは“上へ上へ”というものに なってしまい、上へと行けない自分を 責め苛むであろう。 そうしたら、こころは豊かにならない。 また、“上へ”というイメージは、 終わりの無い梯子を延々と 上り続けなければならないといった イメージがあって、 手を滑らせたら一気に落下してしまう。 つまり、成長できない、目標を達成できないと 感じた時が手を滑らせてしまったという事であり、 墜落してしまったら、ゼロからやり直し といった感じを受けてしまう。 けれど、一旦“成長”という 観念から離れて、様々に何かを感じ取り 【こころを豊かにする事】 へと想いをシフトしたら、 挫折してしまっても、失敗して転んだりしても、 豊かな心はそのまま此処にあるのだから、 墜落するダメージを免れる事ができる。 また視点を変えて、歩んでいけば良いのである。 こころの病、脳の病は 症状を取り除いただけで済む問題ではない。 こころの奥底にファクターがあって 何らかのトリガーによって、症状は現れる。 この症状は、“心を守るため”のものである。 私が以前、解離していたのも こころが沢山の物事に堪えきれなくなって すっと一歩身体から後退して 無意識の内に 何も感じないようにしていたのであろう。 過食と嘔吐も、 満たされない“何か”そして心細さ 寂しさ、哀しさ等を 直にこころに刻まない為に行なう 一種の逃避であろう。 私が子どもの頃から抱いている 満たされない“何か”や心細さなどは 触れると怪我をしてしまうほど 鋭利なものとなっていると感じる。 沢山のオブラートで包む事でやっと 向かい合える想い達である。 また、 私は一体何で満たされたいのかが よく分からない。 何に満足を求めているのか、 勿論、摂食障害が治る事が 最終目的ではあっても、 この、こころに開いた穴は何によって 埋まるのかは分からない。 主治医と相談した結果、 【下手な目標は持たないほうが良い】 という答えが一旦、導き出された。 だから私は、 【母が作ってくれた料理を少しだけでも味わって 美味しいと感じながら頂く事】 を目標にしたいと想った。 まだ、肉など脂質の多い食べ物は 拒絶してしまうけれど、 母が作る大根の煮物や鍋物は 私にとって世界で一番美味しいものである。 そしてよくよく咀嚼すれば 胃の異物感も薄れる。 小さな目標。 または、目標を持たない事を目標として 自分のペースで歩きたいものである。 母がプレゼントしてくれた赤いもふもふマフラーを 早速首に巻きつけて、スーパーへ行った。 冬になると、着る服はダーク形の色が多くなるので、 そこに鮮やかでも深い赤色が加わると、 気分が明るくなる。 また、母が私のために選んでくれたという 嬉しさが、もっと身体を温めてくれる。 母は孫・・・つまり私の姪っ子への クリスマスプレゼントを考えていた。 姪っ子は、お化粧セットがほしいと 言っていたが、実用的ではないので、 姪っ子の母である妹の判断で ジャケットになった。 この前までサイズは90から100だったのに、 もう120のものを着ているとは、 本当にすくすくと成長しているんだと感じて ほのぼのとした想いを抱えた。 姪っ子は、よく動き、よく食べる。 だから4歳にしては身長も高く すらりとした体型をしているのであろう。 よく動くから、太らないのだと想う。 私も見習って、運動を始めねばと考える。 ぐずついたお天気は続いているけれど、 冬の雨降り空も、味があって好きだと想える。 身近な自然を感じる事から始めて こころを豊かにしていきたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.12.13 00:40:53
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