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2007.12.17
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カテゴリ:抑うつ感
空が白み始め、

朝を迎える頃

いつも私は黙々と読書をしている。

時々、TVでニュースを

チェックしながら

凄惨な事件が続く事に

胸を痛めている。







病気と共に生きるのは苦しみを伴う。

だが、今はそうするしか

生きる術はない。

摂食障害も、

うつ病・・・バイポーラも、

強迫性障害もPTSDも・・・。

それらの症状が出ている時、私は

如何に自分が無力であるかを

思い知る。

無力でも、生きていけるのは

傍にいてくれる母のお陰である。


私は今日、それを痛感した。







上に述べた病名は全て

病気である。

怠けているだけだとか、

気合が足りないだけだとか、

気の持ちようだとか甘えだとか、

そういう問題ではない。


病気を病気だと受け容れる事から

治療は始まり、プロセスを辿り

治るものである。

中には、突然治る方もいる。

それは、稀なケースであろう。

治った事で治らない人を非難したり

責めたりするのではなく、

どういう想いを持って治るプロセスを

辿って行ったかという事を

アドバイスできる方はとても

素晴らしいこころの持ち主であると考える。







抑うつ感が酷くなったのは、弟に会ったからである。

弟は、先月また仕事を辞めて

今はいくつかバイトの面接を

受けているみたいであるが、

中々採用されない。

彼女と一緒に暮らしているから、

母からお金を貰っていく。

今日は、晩御飯を作るためにと

鶏肉、砂ずり、キャベツ、もやしを

母に買ってもらった上、

お金を貰って帰っていった。

私さえいなければと想った。

私さえいなければ、

病気である私さえいなければ、

皆が幸せになるような気がした。

私が過食をする為に買う食べ物のお金も

使わないで済む。

光熱費や水道代も無駄にかからない。

そう考えると、思考は“死”へと

向かっていった。







弟が帰った後、私は母と共に

スーパーから帰宅して、

着替えもせず、部屋で塞ぎこんだ。

俯いたまま、頭や身体が

どんどんと重くなるのを感じた。

「死んでしまいたい。」

そう呟いたら、母は

「私は、許さん!」

と言った。

「一緒に生きていくって言ってくれたやろ?

 母さんが死ぬまで一緒におってくれるって。

 今度一緒にホルモン食べに行く約束もしたやん。

 これから一杯楽しい事もあるよ。

 な、だから死ぬとか言わんといて。

 病気は苦しいと想うけど、仕方ない。

 迷惑やなんて想ってないけん。

 一緒に生きていこ、な?」


私を柔らかく抱き締めて、

子どもを優しく諭すような口調で

囁いてくれた。

母と2人、涙を流した。

私は、謝った。

また、母を傷つけたり心配させたり

する事を言ってしまったと想うと

本当に申し訳ないと感じた。

うつ病からくる、希死念慮。

死にたいと強く想う気持ち。

でも、生きねばならないという現実。

母は、私がいなくなると働けなるとも

言っていた。私がいるから

働いていけるのだと言ってくれた。

「いってらっしゃい、気を付けてね。」

と送り出し、

「お帰りなさい、お疲れ様。」

と迎える事。

その変哲も無い、いつもの風景が

凄く愛おしく感じられた。

私の事を大切に想ってくれて

そして一緒に生きていきたいと

言ってくれる母が居てくれる限り、

私は生きていけるであろう。

また、母は病気の事を少しずつ理解してくれていて

苦しんでいるときは背中を擦ってくれる。

泣いていたら、抱き締めてくれる。

私はそんな恵まれた環境に居る事に

感謝しなければならない。


ただ、バイポーラ特有の

気分の波についていけなくて

希死念慮にこころが侵される事もあるが

どうにか乗り越えたいものである。







こころや脳の病気に正論など無い。

それは、人それぞれ同じ病名でも

症状は違って現れるし、

とある治療法が全ての人に

適応する訳ではないのである。

それぞれに人格を持った人間であるし、

生まれ育った環境も、今居る環境も

違っている。

例えば、「哀しい」と感じる

場面が人それぞれ違うように、

病気の症状が現れるトリガーも

違ってくるのである。

PTSDのフラッシュバックに至っては、

個々の体験によってそれが出現する

感覚も全く異なる。

そこに、健常者の正論を持ってくる事自体間違っている。

また、たとえ同じ病を患っている人でも

考え方は違うのだから

自分の正論を押し付けるのも

滑稽な事と感じる。


だが、自論を大切にする事も必要である。

自分という人格を確固としたものとして

病気が治る為に歩み、生きていく事。

だが、病気なのであるから、

その自論に固執したり拘泥したり

する事無く、時には信頼の置ける

人の話を聞くことも必要である。

間違っていると感じた所は

自分なりに考え直し、また

想いを築き直す事。

それに違和感を覚えたら

また崩せばいいのである。

人道的に間違っていない事でなければ、

受け容れるべきものは沢山ある。

私はまだまだ青い未熟者である。

だから、尊敬できる人・・・

つまり信頼を置いている主治医や

母の言う事を、ちゃんと聞き入れる耳を

持っていたいと想う。







何が正しくて、何が間違いか。

そんな粗探しをしていたらキリがない。


清廉潔白な人間は、極めて少ないと考える。

私は後ろ暗い所が沢山ある。

だが、人道的・道徳的に

どう行動すれば良いか

考えられる脳を持っているつもりである。

どうしても、病気の症状で

死にたい気持ちが何よりも勝った時、

母を哀しませてしまう事がある。

これに関しては猛省している。

そして必ず謝るようにしている。

これも自己満足の一種だと想うし、

気付かぬ内に、誰かを傷つけている事が

あるのは否めない。

逆に、心無い人の言葉に

散々傷つけられてきたので、

どういう言葉や行動が人のこころを

苦しめてしまうか、学んだ。

人に、特に病を患っている人に

罵詈雑言を浴びせる事をはじめ、

勝手な正論と想われる自論を

押し付ける事も、迷惑な事である。


だから、健常者がみんな迷惑をかけずに

生きているとは限らないのである。

その迷惑が、人のこころを傷つけている事もある。
(中にはそれが分かっていてぶつける人もいるが。)
人を慮る気持ち、身近な人を大切にする

気持ちから、全てが始まるのかも知れない。







犬が、甲高く泣き叫ぶ声が聞こえる。

何がそんなに哀しいのだろうか。

何を訴えたいのであろうか。

この寒い夜空の下、ただ吠える事しかできない

侘しさは、一体誰が引き取ってくれるのであろう。

私は、こころの中で唸り声をあげる。

生きていく事の辛苦に、

為す術もない病症の出現に。

でも、私には母が居る。

こころが、世界で一番温かい母が居る。

私は、それだけで幸せだと

こころの底から叫びたいほど想っている。

小さい頃からの傷は癒えていないから

全然綺麗事にはならないけれど、

母がいるから生きていけるのである。

プロセスを辿り、歩いていく事。

時に躓きながら転びながら。

疲れたら休んで。

そういうスタンスで、私は生きたい。





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Last updated  2007.12.17 22:44:19
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