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2007.12.19
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カテゴリ:想い
『ガリレオ』最終章を

今朝、やっと観た。

前編と後編を続けて観たので

少し疲れてしまったが、

面白かったので満足感が

大きかった。







ただ、かなりの危機に直面しながら

湯川先生はいたって冷静だから

その臨場感が余り無かったのは

残念だった。

でも、いよいよ危なくなった時に

緊張感が走り、

内海刑事と湯川先生が起こした奇跡を

観た瞬間、涙が流れた。

笑いながら涙が流れたのは

凄く久し振りだったように想う。

SPドラマがあれば、また観たいと

想うけれど、

映画化されても、映画館に足を

運ぶ事はないかも知れない。







それよりも何よりも、

母が風邪気味であるから心配で堪らない。


咽喉がむず痒く、

さらさらとした鼻水が

止め処なく出るらしい。

また、夕方は微熱があった。

仕事中も、食器を洗う時など

下を向いていたら

ぽたりぽたりと鼻水が落ちて

困ってしまったそうである。

私は何も出来ないことがもどかしい。

今はもう、熱は下がっているが、

相変わらず鼻がぐずぐずとしていて

怠いと言う。

「風邪には生姜と葱をたっぷり摂取して

 身体を中から温めて、ビタミンCを摂ると良いよ。」


とアドバイスしたので、

冷凍の鴨出汁うどんを

買っていたが、食べる気になれないらしく、

湯豆腐に変更したみたいである。

そこに葱をたっぷり

切り入れて、

ポン酢に生姜を摩り下ろした

ものを入れて食べるらしい。

さっき、何かできる事はないかと

キッチンへ行ったら、葱を切っている

所だったので、生姜を摩り下ろさせてもらった。

それだけしか出来なくて悪いなあと

想ったけれど、母は喜んでくれた。

お酒も、普段はビールオンリーの母が

「熱燗が飲みたいなあ。半分こしよう。」

と、カップ酒を温めていたので

私も寒さを少し癒せるであろう。







私は、やはり“理想”を追い求め生きている。

これは、常にマイナス思考になる

原因でもある。

「前向きに生きたい。」

という理想も、そうできなかった時に

自分を責め、減点していくからである。

主治医のアドバイスは、

「理想イメージを追い求め、何かを目指すのではなくて、

 “どうあるか”という事を考えてみてはどうだろう。」


という事であった。

【どうあるか】

という状態。

それは、

【共に考え、共に生きる】

というものであろう。

母と、共に。

主治医と、共に。

支えて下さる皆様と、共に。

考えを積み重ねる事に、意味があると

私は考えている。


母と共に、様々な事を考えて、

共に生きるために支え合う事。

手を取り合って苦難を乗り越える事。

綺麗事かも知れないが、苦難を乗り越える

姿は、決して綺麗なものではない。

汗にまみれ、傷付き血を流し

痣だらけになって

漸く、乗り越えられるものなのであるから。

一緒にいたら、傷つけ合うときもある。

そんな時は、距離を置いて

頭を冷やし、考え直したり反省したりして

悪いと想った事は、きちんと謝る事が必要である。

そういったプロセスを踏んで、

私の病気は治る道を辿り

母と生きていける扉が開かれるのかも知れない。







“取り戻す事”もまた、生きていく為に必要な事である。

“取り戻す”という言葉は

誤解を招きやすいが、

誰かに奪われたものを取り戻すのではなくて

今まで生きてきた中で得られなかった“大切な何か”を

取り戻すのである。


それは、

【甘える事】

【こころをいたわる事】

【手当てしてもらえる感覚】


等が挙げられる。

私は妹が生まれた時から

“お姉ちゃん”になり、

その役割を生きねばならなくなった。

弟が生まれた事から、

妹や弟の模範でいなければならず、

勉強や運動が出来て当たり前、

習い事を毎日こなして当然という空気が

流れていた。

“妹・弟の模範となる姉”が

私の役割であった。


主治医が仰るには、

「役割を生きる事から脱け出さないと

 病気が治る事はない。」


という事である。私は少しずつ

その説に納得しつつある。

怪我をしても手当てをするのは自分だった。

風邪を引いて熱を出したら怒られた。

余りの胃痛にのたうちまわっていても

腹痛は仮病と見做された。

言うまでもなく、甘える事など許されなかった。

だから、役割を脱ぎ捨て

今、私はそれらを取り戻しているのであろう。

母と共に








こうして取り戻す行為が出来つつあるのは、

“私のこころは死んでいなかった”

という事だと想う。

それは多分、小学生の頃から

こころの逃げ場であった

観月ありささんの存在が大きい。

死ぬ事も停止する事もなかったのは、

観月ありささんという存在を感じる事で、

其処にこころを一時保存していたのであろう。

健全な、救いの部分であった。

大学に入ってからは、Coccoさんや

椎名林檎さんの音楽に救いを求めていた。

2人の音楽は、初期のものが好きである。

鋭さと、痛みが混在している中に、

何処かこころ落ち着く部分があった。

現在は、読書をする事で

健全な現実逃避を図り、それなりに

過ごしていると感じる。

DVDを観る事や、録り貯めたドラマや

映画を観るのも、無心になれる。

病気たちと向き合う事も大切であるが、

四六時中向き合っていると

疲労困憊してしまう。

息抜きというものも肝要だと考える。








実は今朝、また弟が母からお金を貰って行った。

一昨日、節約すれば1週間は暮らせるほど

貰ったはずなのに、

急に何か買うために必要になったと

一昨日の半額ほど、無心して帰っていった。

やはり、私は消えたくなった。

何故か、弟が働きもせず

お金が無くなったら母に貰えばいいという

態度を示す姿を感じると

私は自分の存在を消したくなる。

それは多分、弟を通じて

自分の浅ましさや卑劣さが

見えるからであろう。

摂食障害を生きるための杖だとしたら、

いつかその杖を捨てて

自力で歩けるときが来る。


その望みは捨てないで生きていきたい。







母が生きているから、生きていてくれるから

私も生きることが出来る。

「一緒に生きていこう」

と私の存在を認識してくれる喜びを

噛み締めている。

私は以前のような“お姉ちゃん”という

“役割”で生きているのではなく、

自分個人の人格で生きることが出来ている。

だからこそ、何かを取り戻したり

考えを積み重ねたりできるのであろう。

共に考え、共に生きる事を大切にしたい。

そして、機能しなくなった

殆ど強迫観念でやっている事は

少しずつ切り離していきたい。

このブログから離れるのは、

きっとその練習の1つであろう。

今は気持ちの整理の為に役立っている部分はあるが

いつか、この機能を使わなくても

自分自身の中でこのブログで

やっている事が出来るようになるよう

のんびり過ごしたいものである。





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Last updated  2007.12.19 22:21:05
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