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凍えたココロ

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2007.12.20
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カテゴリ:抑うつ感
夜中、眠る前の

あの餓えた感じは

今でも何だったのだろうと

考えるほど酷いものだった。







過食と嘔吐を終えて、

身体はぐったり疲れ果て

眠いのに、

甘いものが食べたくて仕方なかった。

チョコレートパイやメロンパン、

クッキーや和菓子のイメージが

頭の中でぐるぐると駆け巡り

熱くて甘いカフェオレと一緒に食べたい

気持ちで一杯になった。

煩悶と悩んでいたが、

やがて眠気が勝ってきたので

お薬を服用して身体をお蒲団の上に

横たえたら、いつの間にか眠っていた。

確か『ドラゴンヘッド』という

漫画を読んでいた筈であるが、

最後に見た時計は3時前で

目覚めたのは5時だった。

久し振りにぐっすりと

居眠りをしたという感じがした。

あの渇望感や飢餓感は今でも

不可思議なものであると考える。







母が、本格的に風邪を引いた。

だが、午前中はカンファレンスがある為

お仕事を休めなくて

しんどそうに、出勤した。

その時も、37℃位の微熱は

あったようで、午前中のお仕事だけ

こなしたら、午後からのお仕事は

お休みを取り、部屋で眠っていた。

お仕事へ行く前に、PL顆粒と

ロキソニンは服用していったようであるが、

状態は余り良くならなかった。

咳の症状は殆ど無いが、

兎に角鼻水が止まらなくて、

身体が怠いという事だった。

心配で心配で堪らないのに、何も出来ない自分。

それを感じると、その無力感に

押し潰されそうになる。

風邪に効く料理なんて作れない。

そもそも、そんな知識も腕もない。

弱っている母を感じていたら、

段々私も弱ってきた。

共倒れになりそうな予感がした。

そしてその予感は当たった。


久し振りに、過呼吸の症状が現れた。







段々、呼吸が浅くなり

どんなに息を吸っても肺に入っている

感じがしなくて、

手が痺れ始めた。

身体が突然重くなり、座っている事すら辛くなり

その場に身体を横たえた。

横たわった状態で、深呼吸を試みたが、

どうしても吸気が浅くて

呼吸の数がいつもの倍になった。

手の痺れも酷くなって

「これは危ないな・・・。」

と考えていた。

それまで、母に負担をかけない為に

1人でどうにかならないものか

耐えていたのであるが、

とうとう母に弱音を漏らしてしまった。

身体が重くて、過呼吸気味である事を。

すると母は、

「あんたまで調子悪くなってどうするの。」

と冗談めかして言ったが、やはり

「お薬飲んだ?もうちょっと横になって休みな。」

と心配していた。

母も苦しいのに、心配を掛ける結果になった。

正に、共倒れである。







いつも気丈な母が、

弱っているのを感じると、

私の中で不安感がどんどん膨張していった。

そして弱っている母に対して

何も出来ない申し訳ない気持ちも加わって

自分の情けなさが顕著となった。

自分の弱さ、脆さ、小ささが

どうしようもなく、こころを蝕んで

己を責め苛んだ。

こころの不調は、身体の不調に繋がる。

スーパーへは無理矢理にでも行ってしまう

自分もどうかと想ったが、

食べるものを確保しておかないと、

もっと不安定になるので仕方がない事である。

必死の想いで家に帰ったら、

お腹が下り始めた。

何度もトイレと自室を往復した。

今も猶、お腹が下っていて止まらない。

身体の怠さも、それに起因しているのかも

知れないが、どう対処したら良いのかさえ

考えられないほど、思考能力も落ちていた。

だが、今はこうして

キーボードを叩いてブログを綴れる位には

回復してきている。

母もまた熱燗を飲んだ事により

冷えていた身体が温まったようで

鼻声が幾分和らいでいた。

私は少し、安心した。

そして母は、いつも観ているバラエティ番組を

観終わったら、すぐ眠り仕度をした。

「ゆっくり休んでね。」

と言うと、母は

「ゆっくりは休めんのよ。明日早出やから・・・。」

と言っていた。







母は、訪問介護のお仕事をしているが、

その雇用形態は、パート扱いである。

同じ職場で働いている方も母と同じ雇用形態である。

よって、有給休暇もなければボーナスもない。

無論、退職金などもない。

病気や怪我で休んだ分、お給料も出ない。

福利厚生は全くと言っていいほど保障されていない。

正社員である人の殆どは、介護士免許を持っていても

デスクワークをしている人ばかりである。

体力仕事もなければ、お仕事で怪我をする事もない。

病気を患ったら、有給休暇を取れて

ちゃんとお給料が出る。

でも、訪問介護のお仕事をしている人より

沢山お給料を貰っていて、有給休暇制度、

退職金制度などの福利厚生も整っていて

ボーナスも支払われる。

でも母は、今のお仕事が一番自分に合っていると言う。

今まで、保険のセールスレディや、事務職、

病院の食事を作るお仕事等色々してきたが、

団体の中で働いて人間関係に気を配るより、

自分の力を、利用者さんの為に発揮して

一生懸命になれるお仕事に生き甲斐を

感じているようである。

社会の中で団体となると、派閥やグループで

陰口を叩かれたり、苛虐があったりする事は

避けられない事である。

実際母も、職場で苛められた経験がある。

今のお仕事は年齢と体力を考えると

きつく苦しい部分もあるけれど、

母はそこに遣り甲斐や生き甲斐を見出し、

また、私と共に生きる為にも

働けると言ってくれる。

少しだけ、私も生きていていいのかなと想える。

問題は山積みで、目の前に立ちはだかって

いるけれど、少しずつ崩せたらいい。







私の中で一番酷い症状は、

やはり摂食障害である。

この病は、他の病をも呼び込むものである・・・

こころ、身体の病を問わず。

だが、過食と嘔吐という症状も、

酷くその衝動が現れても自然と何処かに

隠れてしまったように

なくなり、落ち着いて過ごせる事もあれば、

私がその症状から必死で隠れているのに、

見つけられて、気付けば過食と嘔吐という

症状の真っ只中にいる事がある。

まるで“Hide and seek”

・・・かくれんぼうである。

私は病気とそんな事をしている感覚に陥る。

とても深刻で残酷な、見つかったら後に辛苦が待っている

かくれんぼうである。

強迫観念もまた、私を探しているのであろう。

今は、大分こころが落ち着いているので

多分、何者にも見つからない安全地帯に

私は安らかに休んでいるのであろう。

「もういいかい。」「まあだだよ。」

そういった掛け声も無く始まるこの

追いかけっこは、病気が治るまで終わらない。

でも私は、逃げているだけでなく

追いかける側にもなる時だってある。

主治医と話し合っている時がそうなのかも知れない。

何れにせよ、焦る事はない。

ゆっくりとした、自分のペースで

歩む事ができればと考える。





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Last updated  2007.12.20 22:40:45
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