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凍えたココロ

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2007.12.25
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突然、こころが沈んでいく。

突発的に、生きるのが厭になる。

けれども夜、冷たく強い風に

吹かれていたら

そういった想いは流されていった。

自然の偉大さを、改めて感じた。







母の風邪はほぼ治りかけていて

体調も良いようである。


それに伴い、緊張していた

私のこころにも、少しずつ

ゆとりが生まれ始めた。

想えば私は、調子の悪い母に

迷惑をかけないよう、

過度に緊張や遠慮をして過ごしていた。

だから余所余所しい態度になり、

母もそれに対して苛立ちを覚えたと考える。

また、母が風邪を引いている時に

私も風邪を引いたり、

こころの具合が悪くなったりと

何とも悪いタイミング

重なった為、今まで普通に過ごしていた感覚が

一時、麻痺してしまっていたのであろう。







主治医との電話診察の中で

冒頭、

「神様はいるって信じる?」

と聞かれた。私は

「いないと想っています。」

と即答した。

それには様々な理由があるけれど、

割愛する。

主治医の見解は、

「ぼくも無宗教だし、何が何でも神様がいると信じる事は

 ないけれど、言うなれば“タイミングの神様”

 いると想ってるんだよ。」


というものであった。

“タイミング”・・・これは本当に不可思議なものである。

「何故このタイミングで?」

と首を傾げたくなるほど良い事が起こったり

逆に、悪い事が重なったりする。

そのタイミングが、今まで滞っていた状態に

新しい風を吹き込ませて、

物事が動くという事がある。


もしも、母の風邪が完璧に治った後、

私が風邪を引いたら、母との間に

険悪な空気が流れなかったであろうし

母も苛立つ事はなかったと想う。

でも、母の調子が悪い時に、

私の調子も悪くなった事・・・

そのタイミングにも意味があったと

今となると考え直せる。








悪い事が重なると、本当に苦しい。

タイミングの悪さを呪い、自棄を起こしそうになる。

だが、その事柄を乗り越えた際、

何かを得られたと気付く。

何度も此処で綴ったように、

悪い状態がいつまでも続く事はない。

1つ1つ、出来る事から手を付けていって

こなしていく。

苦しい時間を耐え忍び、どんな気持ちで

いたかという事を、後に想い出して

未来への出来事に対する参考となる。

人は、学習できる。その能力があるから

生き延びてきた。

私も、【タイミングの神様】

存在するような気がしてきた。







こころの状態は、携帯電話の電波に

似ているかもしれない。


主治医が例えて仰った事から

そう強く感じた。

3年前まで、私の存在は

母をはじめ家族のこころの圏外にいた。

毎日リストカットをして血だらけで、

手首から肘まで皮膚が赤く腫れていたけれど、

誰も気付かなかった。

私も気付かないのが普通だと考えていたので

過食と嘔吐をして、自転車で40分かけて

大学に通い勉強して、帰ったらまた過食と嘔吐をした。

その合間にリストカットをしていて、

なのに私は精力的に動いていた。

バイポーラで言う“躁”状態だったのであろう。

だから周囲の目にも私は元気に見えたと想うし、

まさか私が

「いつでも死ぬ事が出来る。疲れたら死んでしまえばいいんだ。」

と考えていたとは、主治医とカウンセラー以外は

気付かなかったであろう。

その、【疲れたら命を放擲すればいい】という

究極の能動を持っていたから、

私は生きてこれたと言っても過言ではない。







話を元に戻す。

3年前まで、私のこころや存在は

そうして圏外に置かれ、

精神的なネグレクトをされていた。

けれども今は違う。

電波を示す棒が3本立っている時があれば

1本しか立っていない時もあるけれど、

決して圏外になる事は無くなった。


それだけでも物凄い変化である。

そうなった【タイミング】は、

私が23歳の誕生日、家に帰ったらすぐ眠れるよう

お薬をちょっと多く服用した際に、

思いもよらず倒れてしまい、救急車で

主治医によって県病院に運ばれ

HCUで生死の境目を彷徨った時であろう。

あのタイミングで私が死にかけたから、

母のこころにわたしが漸く入る事が出来た。

そして紆余曲折を経て今の

少しずつ良い関係を築いているという状態に至る。

タイミングとは本当に不思議なもので、

そこにはきっと神が存在している事を

信じたくなる場面がとても多いと感じる。








世間はクリスマスで盛り上がっている。

スーパーでは耳にたこが出来るほど

12月に入ってからはずっと

繰り返しクリスマスソングが流れていた。

今日を境に、明日からはお正月の音楽が

流れると私は予想している。

クリスマスソングは、殆ど賑やかで

明るいものが多いけれど、

お正月の音楽は、余りにもしんみりとしていて

これまでリズムもテンポも速かった音楽に

聞き慣れていただけに、

ふにゃりと力が抜けてしまいそうである。

また、スーパーではおせち料理の材料や

出来合い品ばかりを売り始める為、

いつも購入していたものが消える可能性がある。

それが、今は不安である。

年末年始は、こうした変化があったり、

スーパーも休業したりする事から

遠出しなければいけなくなるので、

生活のリズムが狂ってしまい、

不安定になる可能性がある。

それもまた、いつ訪れるか分からないタイミングで

起こるハプニングが

何かを感じさせてくれて

私はそれを学習していくのであろう。







何事に関しても、私は考え過ぎる傾向にある。

これは自分でも気付いていたが、

今日、改めて主治医から指摘された。

母と“共に”過ごす事。母が風邪を引くまで

ちょっとずつ上手く過ごせていたのだが、

私が変な遠慮を始めた事から

その関係に不穏な空気が漂い始めた。

原因は勿論、

【私の考え過ぎ】

である。

例えば、自転車に乗るとき、意識しなくても

バランスをとっているし、

坂道や砂利道、柔らかい道でも

自然と人は感覚でハンドルを動かし

ペダルを漕いでいる。そして結構前を見て

走っている。

決して、下を向いて

「石が多い所だからハンドルの角度はおよそ45度位で・・・」

なんて考えて自転車で走ってはいない。

生きるという事にもそれに似た部分があり、

少し先を見ることが必要であり、

いちいち何かを予測して角度がどうとか

「ああなったらこうしなければならない」

なんて考えていたら

こころがパンクしてしまうであろう。

生きる事が自転車に乗る事と似ているのは、

【大体は自然に出来るものである】

という前提があるからこそ言えるのである。

余り考え込んだり、考え過ぎないように

気を付けて、今年最後の電話受診日である

金曜日までタイミングの神様を感じながら

やっていきたい。





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Last updated  2007.12.25 23:00:40
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