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凍えたココロ

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2007.12.26
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カテゴリ:抑うつ感

意識がぼんやりとしてきて、

うつらうつらし始めたら、

私は漸く安心できる。

「もう食べなくて良い。」

「もう何も考えなくて良い。」


そして私は夢の世界へと、足を踏み入れる。







クリスマスとお誕生日は

年に1度ずつある

【贅沢が許される日】

なのかも知れない。

普段、生クリームたっぷりの

ケーキなんて絶対食べられないし、

骨付き鶏もも肉の柔らかいソテーも

口にする事はない。

どちらも高くて買えないからである。

昨日は私の大好きなえびの塩茹で

ゆっくり味わって食べられた。

これが一番嬉しかったかも知れない。







母は快復した。私達の関係も、元に戻りつつある。

それがどんなに楽なものか、痛感した。

遠慮し過ぎて、関係がギクシャクしたり、

迷惑をかけまいとして甘えられなくなったりと

自分のペースも崩れていた。

いつもどうやって母と過ごしていたか

混乱して分からなくなっていたのである。


そんな中で、弟がまた家にやってきた。

今回は、原付が壊れたそうである。

ある程度いじれるので、直せる部分は直して

それで修理に出そうとしていたらしいが、

何度もそれに乗って事故に遭い、

乱暴な乗り方をしていたので

もう全て修理するしか術はなかったそうである。

その修理代を母に貰いにきたのだ。

確かに、原付がないと移動手段が

自転車になって大変だろう。

けれども、私が弟の年齢の頃

何処へ行くにも自転車だった。

大学までは40分かかった。

彼氏のアパートまでは1時間弱かかった。

真夏の暑い日も、台風の日も、

真冬で雪がちらついて寒い日も、

私は必死で自転車を漕いでいた。

自分の選んだ道だから、仕方がなかった。

でも、弟の上手な【親への甘え方】

少し羨ましいと感じた。







主治医も、弟の甘え方は上手だと

仰っていて、見習うのも良いとの事だった。

無論、“金銭面だけで甘える”というのは

問題であるが、

【本当に困っている時、素直に甘える】

というのは、私には出来ない事である。

素直になるという事が、難しい。

感情を、そう表現するのも苦手で、

つい抑えてしまう。

だから色々と問題がこじれてしまうのであろう。

分かっていても、天邪鬼な私は

いつもいつも捻くれている。







病状は、後退の一途を辿っている。

抑うつ感が酷く、突如脳裏に

「私は死ななければならない。」

という思念が浮かぶ。

これはきっと現実逃避であろう。

生きている事自体に嫌気が差す瞬間が、

以前より増しているのである。

だから、死んで終わらせようとする。

終わりになるのは、私だけであり、

遺された大切な人々はきっと、

死ぬまで私の死を引き摺るであろう。

それを想うと、死ぬ事が出来ない。

それに母との約束もある。

【母さんが死ぬまでずっと一緒にいる】

これは決して破れない約束である。

だから、頭の中で自分を抹殺する。

時に、リストカットなどの自傷によって

己に傷を作り、痛みを感じて乗り越える。

主治医は、病症を無理矢理止めない。

何故なら

過食や嘔吐、自傷等の症状が出る事に

よって、無力感から脱け出しているからである。


私にとって病症は一時的な

【救い】であるとも言える。

無力感に取り込まれ、抵抗もしないでいると

待っているのは“死”である。

病気の症状は言うまでもなく苦しい。

だが、過食したり自分を傷つけたりしても

無力感から脱け出している限り、

私は死なないでいられる。

だから無闇に病気の症状に敵意を感じ

“悪しきもの”としないでも良いと

主治医は仰りたいのであろう。そして

いつか、病気の症状以外の方法・・・

健康的な方法で、無力感から脱け出せたら

病気は自ずと治るであろうという希望がある。


そのことを踏まえておきたいものである。







タイミングの神様。その存在を日々身近に感じる。

想えば、私が23歳の誕生日に倒れ

入院した事実は、現在母との関係が

良好なものとなる“きっかけ”となった。

あの事がなければ、未だ母との関係は

険悪なもので、病気の事も

何もかも理解されないまま

私は今、生きていなかったと想う。

生きていく約束も交わさなかったであろうし、

「いざという時がきたら死んだらいい。」

という考えを持っていたから、

迷わず命を放擲していたと想う。

大学を卒業する事だけが目標だったので、

それを達成してしまって、

どうしたらいいのか本当に分からなくなっていた。

その中で、家族からは病気の事で

なじられ、罵倒され、貶されていた。

神様が生死の境を彷徨わせるというのも

おかしいかも知れないが、

私はそれによって今、生きている。

不思議なものである。







人間は環境によって、変わる。

特に母は、良い意味で普通の人だけれど、

嫁いだ先である父方の家によって

人生が狂ってしまったのだと想う。

それまで社交的で人と話すのが好きだったのに、

父はそれを禁じて家に閉じ込め、

日々の買い物さえ隣に住む兄嫁と

行動を共にするよう命じた。

行動を制限され、母は

【食べる事】

によって、ストレスを発散していた。

結婚当時40kg台だった母は、

あっという間に70kg台まで太った。

そして、親戚中からの苛虐もあり

父も母を庇う事がなど無く、

母は窮地に立たされた。

だから、子どもである私への

“躾”はその領域を超えて

“虐待”となってしまったのであろう。

弟が生まれた後、離婚を考え始めた母は、

見る見るうちに痩せていった。

気が付けば40kg台前半まで体重は

落ちていたのである。

今想えば、母も食事に関する問題が

あったのかも知れない。

ただ、現在とても落ち着いている母と、

あの頃鬼のように怖かった母とは一致しない。

けれども主治医が仰った、

「環境によって人間は変わるんだよ。」

という言葉には納得できる。







クリスマスを過ぎて、スーパーではもう

おせち料理の材料が売られている。

ただ、流れている音楽はまだお正月のものでは

なかったので、予想は外れた。

カーペンターズの『Please Mr. Postman』が

流れてきて何だか嬉しくなった。

少し、とても小さな声で口ずさんだ。

おせち料理で売られている一品一品は

どれも高くて本当に吃驚する。

黒豆の煮物も、出汁巻き卵も少量であったり、

小さいものだったりするのに500円位する。

栗きんとんも高値である。

栗きんとんといえば、祖父が認知症になる前は

毎年手作りしてくれていた。

薩摩芋を使わず栗だけで作る、

ほんのりとした甘さの

とてもとても美味しいものだった。

でも現在の祖父は、もう作り方を覚えていないので

あの美味しさを味わえない。残念である。

数日後、お餅つきがあるので

久し振りに祖父母の家に行く。

楽しみである。

その為にも、心身の調子を整えたい。





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Last updated  2007.12.26 22:44:52
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