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凍えたココロ

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2007.12.28
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久し振りに聞いた・・・

拍子木を打ちながら

「火の用心!」

と大声で唱えている声を。

年末が差し迫っているのだなと

つくづく思い知らされる。

朝から降り続いていた雨が止んだので

決行されたのであろう。

何だか懐かしい響きだった。

今朝の雨はやけに静かで

そして仄暗いものであった。







摂食障害の症状は物凄く苦しいが、

忌み嫌うことはなくなった。

何故なら意味が存在するからである。


こころが追い詰められている時、

苦しい時、食べる事によって

一時的ではあるがそれらから解放されている。

私は何事に対しても考え過ぎるきらいが

あるので、そういった発散の方法が

なければ、酷い逸脱行為に走っているであろう。

過食と嘔吐。決して良い方法ではないが、

私にとってはこころの薬でもある。

この病気が治るという事は、

病気の症状以外の方法で、

自分をいたわることが出来るように

なったという事である。


何故病気が発症し、治らないのか。

それは環境に起因する。

主治医との電話診察を受けている中で、

そういう言葉が導き出された。







【いたわり】や【共に・・・】という空気が

薄い所に、こころの病は多く発症する。


摂食障害を罹患している人の多くは、

特に【いたわり】の空気が薄い環境に

いるのかも知れない。憶測の域を超えないが。

私がそのような環境に生きていたので、

主治医の言葉に納得したのである。

以前述べたように、身体の病気・・・

例えば風邪を引いて熱を出したり

嘔吐下痢症に罹って大変な事になったりしても

【いたわり】の空気が薄かった。

母は医者の指示通り

私に薬を与え、病人食を作ってくれるだけで

傍に居てくれるという事は余りなかった。

病気になって身体の調子が悪いと、

物凄く心細くなる。

勿論、お粥等を作ってくれるのは

ありがたかったけれど、

高熱で朦朧としていて、

吐き気や下痢で苦しんでいる子どものこころは

不安で一杯だった。

でも私は、母の後ろ姿しか印象にない。

病気になっても、甘えられなかった。

その可愛げがないという所が、また

母の苛立ちを誘ったのかも知れない。


仕方のない事である。

当時の私は、“お姉ちゃん”という

“役割”を生きるので必死だったのであるから。







主治医には何事も、丁寧に扱うよう勧められた。

それは、病症も同じである。

丁寧に過食したり、嘔吐したりというのは

おかしな言葉であるが、

例えばきちんと味わって食べるようにする事、

嘔吐した後は、野菜ジュースを飲むなど

身体のケアを怠らない事が挙げられる。

正直言って、過食している時は必死なので

何も味わっていなかった。

ただ、こころの穴を埋める為に

胃が膨れたらそれで良いという考えだった。

これでは、余りにも自分を疎かにしている。

自分で自分をいたわる事も大切である。

ただ、【いたわられる】という経験が

余りないので、その感覚を掴みかねているが、

それは人間に元々備わっているものだと

信じたい。そして少しずつ取り戻せると。







死んでしまいたいという気持ちは、消えない。

きっと現実から逃げたいのであろう。

主治医に、

「未来に対する希望も何もない。」

と言ったら、

「今の世の中で希望を持っている人の方が少ないと想うよ。」

という言葉が返ってきた。

そして私は、何もかも完璧にやりこなそうと

するから、苦しくなるとの指摘も受けた。

人間は神様ではないのであるから、

出来ない事の方が多い。

完璧な人間もいない。

けれども私は強迫的に全てを

クリアにせねばならないという

考えがあるのは否めない。

そんな事が出来る筈はないのに、

出来ない自分に失望し、

絶望感を覚え、想いは死に向かう。

なんて極端なのだろうと改めて感じる。







思い起こせば、自主規制ばかりしてきた。

妹や弟は、親に甘えるのが上手だった。

父は特に、妹と弟を甘やかした。

私は父に、嫌われていた。

毎日罵詈雑言を浴びせられ、テストで良い点数を

取ったとしても、無視された。

逆に、100点ではなかった時に

間違えた部分を凄く馬鹿にされた事があった。

甘えてはいけない。良い子でいなければならない。

模範的なお姉ちゃんでいなければならない。


妹もピアノを習っていたけれど、

頻繁にずる休みをしていたし、

そろばん塾は私が6年習ったのに

妹は数ヶ月でやめても何も言われなかった。

テストで良くない点数を取っても

何も言われない所か、

「これだけの点数が取れたんだから良い事だ。」

と父に褒められていた。ほんの少しだけ羨ましかった。

主治医には、比べてはいけないと言われた。

あなたが特別で、病的だったのだからと。

今日の電話で、私が弟の年齢の時は

病気の症状が顕著で苦しくとも、

どんなに遠い場所も自転車で行っていた事、

人に頼らなかった事を話したけれど、

やはりそれは、バイポーラの躁状態が

そうさせていた事であり、普通ではなかったのである。

弟の原付が壊れ、修理費を父と母に払ってもらい、

バイトの面接は受けているようだが

採用されず未だふらふらしている。

心の深層までは分からないが、

身体は至って健康であるから、

働ける状態であるのに働かないというのを

悔しく想う。もしも私に身体の不調が無く

健康的であったら、今すぐにでも働きたいと

想っているからであろうか。







弟が、金銭面だけで親に甘えるという事には

大いに問題があると主治医も仰っていたが、

それは、親が限界を示さない限り続く

という事であった。

親は、無条件に子が可愛い。

だから何でもやれる事は

してやりたいと想うものである。

それを考える時、

「私さえいなければ、母の負担はもっと軽い筈である。」

という言葉がこころの中を駆け巡る。

母は、私がいなければ生きていけないと

温かい事を言ってくれるけれど、

母に迷惑をかけ、負担となっているのは確かである。

この考えもまた、極端さを物語っている。

人に迷惑をかけずに生きている人なんて

存在しない。

衣食住、全て誰かの手によって助けられ

そうして生きる事が出来ている。

全てが完璧に自給自足でない限りは。

中途半端に完璧を求めている事こそ

格好悪いかも知れない。

もっと自らを省みて生きていく上での

考え方を正さねばならない。







今夜、餅つきの事に関して祖母に電話した。

今年は、祖母が疲れている為に、中止となった。

それに、知り合いから沢山お餅を

頂いたそうである。

私の家も、余りお餅を食べない。

母はご飯等の炭水化物は食べないし、

私も過食の際お餅を沢山食べた時、

咽喉に詰まらせそうになった事から、

お餅を避けるようになっている。

お飾り用のお餅さえあれば、充分である。

でも、元日には妹達と祖父母に会いに行くのは

確実である。それを私は楽しみにしている。

それまでに、心身の調子を整えたい。




※明日は、お休みさせて頂きます。





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Last updated  2007.12.28 23:29:59
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