|
カテゴリ:虚無
ブログをお休みして、 私はゆっくりと 『吉原炎上』を堪能した。 31歳の観月ありささんが、 18歳という少女時代からの “内田久野”という役を演じていたが、 違和感は全くなくて、 殆どノーメークに近くても 若々しい肌と顔立ちだったのが 凄いと想った。 作品の中で印象的だったのは、 将来結婚しようと約束した人に 裏切られ、酷い言葉を吐かれ 河原で大声を上げて泣き叫ぶシーンと 花魁道中のシーンである。 泣き叫ぶシーンは、真に迫っていて、 胸が締め付けられるように 久野の哀しみ、悔しさが身体全体から 湧き出ていた。 花魁道中は本当に華々しく、美しく 強く惹きつけられた。 ただ、本当に家族全員で観られるような 作品であったというか、 親と観ていて気まずくなるような シーンは殆どなかった。 久野の初仕事の後でも 着衣の乱れもなかったのが 少し不自然でもあった。 しかし、観終わった後、 満足感でいっぱいになり、感嘆の溜め息が出た。 年末に、嬉しい事があって 自然と笑顔が浮かんだ。 もう1つ、昨日は嬉しい事があった。 カウンセラーからお手紙が届いたのである。 8月、カウンセリングを キャンセルした電話の後、 私はどんどん調子が悪くなっていって 外出が困難になった。 近所のスーパーに行く事も苦痛で 息苦しくなる。 そして、このままカウンセリングは なくなり、カウンセラーとの接点も 無くなってしまうのかと 凄く心配だったし、哀しくなっていた。 だが、 「体調が良くなり、外出できるようになりましたら お電話をしていただければ、 いつでもカウンセリングは再開しますよ。」 という1文があった。そして年明けは 1月は何日からカウンセリングは始まるという予定も 書かれていた。 実は、この手紙が届く前日の夢に カウンセラーが現れた。 私は近所のスーパーからリカーショップへ 行こうとしていて、 何のお酒を買おうかと駐車場で迷っていた。 そこに、遠くからスーツ姿の カウンセラーが近付いてきて、 「こんな所に何故?」 という気持ちと、 「久し振りにお会いできて嬉しいけれど、 ずっと会っていないから何を話せばいいんだろう。」 という気持ちでどぎまぎしていた。 しかし夢の中のカウンセラーは 日常で会うカウンセラーと変わらず、 「お久し振りですね。体調は如何ですか。」 と気遣ってくださり、 「また次、お会いしましょう。」 という次の約束をして去っていったのである。 夢の中では、握手をしたように想う。 だから、夢を見た次の日に手紙が届いたので “来年こそカウンセリングに行けるかも知れない” という希望が湧き、目標となった。 カウンセラーからの手紙は、 【4日遅れのクリスマスプレゼント】 という感じがした。嬉しかったからである。 物凄く楽しみにしていた『吉原炎上』・・・ 終わってしまったら、虚脱感に陥った。 何事もそうなのかもしれないが、 “楽しみにしている物事が始まるまで”が、 一番わくわくしているのだと想う。 子どもの頃であれば、家族旅行の前日とか、 誕生日の前日など・・・。 その日を迎えてしまうと、“楽しみ”の時間が どんどん減っていくだけであり、 寂しさが増していくのである。 小さい頃は、例えばコップに半分ジュースが 入っていたら 「あと半分も残っている!」 と考えるよりも、 「もう半分しか残っていない・・・。」 と考え方をしていたのである。 現在は大分変わったように想う。 物事に関する価値観は、年齢を増す毎に 変わってきた。出来るだけ、 感謝のこころを持つように 努力をするようになってきた。 でも、『吉原炎上』が終わってしまった後の 虚脱感は、否めない。 空気が抜けた風船の如く、しなしなとこころは萎んだ。 何かが終わるという事には、 何処か物悲しさがある。 始まりがあれば、終わりがあるのだから それを受け容れねば生きてはいけないが、 私はどこまでも強欲な部分があるから 「もっと楽しんでいたい。」 と想ってしまうのであろう。 これは、改めねばならない。 来年の課題にしようと想う。 でも虚脱感からは 中々脱け出せない。 とうとう、今日はピンク色の剃刀を 買ってしまった。 いつでも自分を傷つけられるようにと。 これはもう、虚無ではなく 無力感の方が大きいのかも知れない。 最近の自傷は、以前のように手首から肘にかけて 数え切れないほどの傷つける事は なくなった。 同じ場所をなぞるように切る。 出血よりも痛みを求めて。 これは、自分を罰している感覚が大きい。 自分を痛めつける事で、何かに“赦し”を 乞うている感じさえする。 けれども、自傷をすると食器洗いや お風呂上りの際、母に見つけられる場合があるので なるべくやらないようにしたい。 母のこころの負担になるからである。 無力感から抜け出すのも、もう少し 健康的な方法を考えたい。 年末は、TV番組の構成が大きく変わるので 曜日の感覚が掴みにくい。 日付は何となく分かるけれど、突然 「今日って何曜日?」と聞かれると 答えられない。 現に、今日が日曜日であるという事を 度々失念していた。 スーパーで、やけに人が多いという事を感じ 何となく「そういえば・・・」と分かったのである。 でも、私には曜日も何も関係ない。 毎日、決まった時間に決まった事を するだけで精一杯だからである。 勿論、その曜日毎に楽しみにしている番組は あるし、年末面白そうだなと 想っているバラエティ番組もある。 レッドホワイト歌合戦は観ないと想うけれど、 ダウンタウンの番組は観ると想う。 たとえ下品でも、笑えたらそれで良い。 私は笑って今年を終えたいと考える。 今年は余りにも哀しい出来事が起きたからである。 ブログをお休みすると、サイクルが狂い調子も狂う。 ブログをお休みする時、 自分の管理画面を開く余裕が無い。 前回は熱があったことからネットにも 繋げなかった。 今回、PCに『吉原炎上』を録画して DVDに落とす為だけに、ネットに繋いだ。 録画の設定などをして、後は 本を読んだり、カクテルを飲んで煙草を吸い ぼんやりしていた。 こころは、ドキドキわくわくしていたが。 ブログを綴る日は、色々とやる事があるので 時間はあっという間に過ぎる。 その後、過食と嘔吐を済ませて 眠るのは3時半頃となり、5時過ぎに目を覚ます。 そして朝の読書を始める。 また過食と嘔吐をして漸く長時間眠れるよう 眠剤を服用して床に就く。 そういった流れが出来てしまっているので 違った行動をすると、戸惑いや混乱が こころに生じて、夜中は過食と嘔吐の回数が増えた。 あられの降る寒い中、熱いカフェオレと共に 甘いものを食べていた。 その後、『ドラゴンヘッド』の9巻を読んで 20分位うとうとと眠り、目は覚めてしまった。 普段は1時間半ほど眠っていられるので 少し調子が狂っている。 元日、お昼前には家を出て 家族みんなで祖父母の所へ行くので 少しまたサイクルを変えねばならない。 ちょっと頭を悩ませているが、 みんなで炬燵に入り鍋を囲めるなんて、 滅多にない事なので 楽しみにしていようと想っている。 『吉原炎上』を観るまで、現代を舞台にした作品しか 観た事はなかった。江戸時代等に 余り興味が持てなかった事と、 洋服を着ている姿に見慣れている女優さんたちが 着物を着ている違和感にむず痒い感さを 覚えていたからかも知れない。 けれども、大好きな女優さんだからこそ、 綺麗な花魁道中の美しさを観たいと こころから想えた。 選り好みをしていると、価値観も狭まってしまう。 小説に関しても、時代物は読んだ事がない。 これをきっかけに、少しずつ 現代物とは違った世界を 感じてみたいと想った。 歴史があってこそ今の自分があるのに それを無意味に避けるのは損であると想った。 リラックスするのを大切にして 今日はゆったりと過ごしたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.12.30 23:06:32
[虚無] カテゴリの最新記事
|