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2007.12.31
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カテゴリ:想い

普段と全く変わりなく、

大晦日を迎えた。

明日はもうお正月だという事に

余り実感が湧かない。

それでも今年最後の日だという事で

シャワーを浴びる際は

いつもより丁寧に身体を磨いた。







今年も今日が最後だと想うと、

どうしてもこの1年を振り返りたくなる。

例に漏れずやはり振り返ってしまう

自分がいた。

今年は、余りにも波の大きい1年だった。

3月、妹の大親友Kちゃんが亡くなった。

ここから、私のこころは頻繁に

うつ状態へと陥るようになった。

物凄く、そして果てしなくショッキングな

出来事だったからである。


それまで、笑顔で会話をしていた人が、

自殺という形でこの世から

去ってしまったのであるから。

彼女は毎日、仕事が終わったら妹と姪っ子の住む

アパートへ行き、共に時間を過ごした。

共にご飯を食べ、共に姪っ子の相手をして

共に笑い・・・。

妹にとっては、私達家族よりも

密な関係であった。

そして私達家族も、Kちゃんがいるなら

妹は姪っ子と無事暮らしていけるだろうという

希望さえ持っていたのである。

無論、自殺に至るまで沢山の問題が起きていた。

それらを解決できないまま、

彼女は命を落とした。

妹や妹の友達は悔いても悔いても悔やみきれないであろう。

そして妹は、解離性健忘を起こすようになった。







私は、以前にもまして外出できなくなった。

自転車で40分掛けて病院へ行く事は

勿論、徒歩で14~5分の本屋にすら

行くのは困難となった。

“外出する”という事を考えると

憂鬱になり、凄く億劫な気持ちになるのである。

徒歩5分ほどのスーパーは、

食べ物を買う必要があるので

必死な想いで毎日出掛けている。

でも、心身の調子が悪い日は、

胃痛が激しく脂汗を流す結果となる。







この1年で、生活のサイクルも様々に変化した。

今年の前半は、多分夜中から朝方まで

ずっと起きていてカクテルを飲み

朝に過食と嘔吐をして、眠っていた。

やがて、夜は眠るようになり

朝から甘い甘いカクテルを飲むようになり

少し太った。これは

【お酒は太らない】

という思い込みの元、飲み続けた結果であり、

今あのカクテルを飲んだら一口で

辟易するほど飲めたものではない位

甘いものであろう。

そして夏、血を吐いた。

過食と嘔吐で胃が弱りきっている上に

アルコール度数の高いカクテルを

朝から夕方前まで飲み続けた所為である。

甘いカクテルをやめたら、

するすると体重が落ちて、

デニムのパンツやコットンのシャツなどが

全てぶかぶかになった。

以前より痩せてしまったのである。

【お酒は、種類によっては太る】

これが、其処から学習したことである。

情けない。







なんとか1ヶ月に1回は受けられていたカウンセリングも

外出が困難になった事から、

8月より休止状態となった。


カウンセラーとは、大学2回生の健康診断で

私が心の相談があるという所にチェックを

入れた事により出会った。

当初の目的は、

【過食と嘔吐をやめる事】

だけであり、それで全てが解決するとさえ

考えていたのである。

まだまだ私も摂食障害に対する

理解も無く、その病気自体が

自分に何をもたらしているのかも

分からなかったから、

症状さえ消えてくれたら

幸せにはなれなくても“普通”

暮らせるという風に考えていた。

しかし、私の症状は摂食障害だけでなく、

自傷もしていたし、常に希死念慮があった。

病の根は、深かった。

しかし、カウンセラーは辛抱強く、決して諦めず

毎回私の言葉に耳を傾けて下さった。


20歳頃からカウンセリングは

始まったので、約6年、私の変移を

見守って下さっている事になる。

大失恋した後、自殺未遂した事も、

家庭環境が悪くなって眠る為だけに

お薬を多く服用したら生死の境を彷徨った事も

ご存知である。

それでも希望を捨てず私の事を考えて下さった。

私が死ぬ事しか考えていなくても、

「今の苦しい状態がずっと続く訳ではないよ。」

心強い言葉を掛けて下さった。

それが、私の礎となっている。


そのカウンセラーから、年末に

お手紙を頂けた事も、来年を生きる勇気に

繋がったような気がする。







一番大きな変化は、母との関係である。

最初は、ぎこちなかった母との2人暮らし。

しかし、週2回主治医と電話診察を

重ねていく内に、

【共に生きていくことの大切さ】

を、少しずつではあるが

実感するようになった。

言わずもがな、何もかもがスムースに

いった訳ではない。

時にお互いの機嫌が悪い時もあり、

言い合いになる事もあった。

母の顔色を窺う癖は抜けず、

びくびく過ごす日々もあった。

けれども、

他愛ないおしゃべりをして笑い合ったり

ふざけ合ったりして楽しく過ごす時間も

微かではあるが、増えてきている。

それが、私は嬉しいと感じる。

先週、お互い風邪を引いてしまい、

またギクシャクする感じというのを

ひしひしと味わったが、

それは私の考え過ぎによる所から

湧いた部分も大きい。

3年前までは、現在のように

笑い合い、ふざけ合う関係なんて

全く考えられなかった。

母と私の間に流れていたのは、

冷酷で、乾き切った空気だけだった。

それが今では、しっとりと心地好い

冗談を言い合える関係にまで築けた。

でも此処が終わりでは決してない。

これからまだまだ“取り戻す”事。

そうしなければならない事が沢山ある。

“取り戻す”という行為によって、

私は病気が治るプロセスを

辿っていくのであろうと考える。







物凄く大雑把に今年を振り返ってみた。

今年の前半、まだ私は摂食障害の症状に対して

【厄介なもの】【忌むべきもの】

という捉え方をしていた。

しかし、考え方は変わった。主治医との話し合いの中で。

そして、『千と千尋の神隠し』の“顔なし”を

考える事によって。

だが、今は違う。

摂食障害の症状・・・それは

【現在、一時的にこころを救うもの】

【無力感から脱け出す方法のひとつ】


として考えるようになった。


それらの違いで、私の病気に良い兆しが見えたり

立ちはだかる壁を壊せたりする訳ではないが、

それでも生きる上では大切な事を

学んだような気がする。

そんな、1年だった。







21時からブログを綴っていたのであるが、

母が年越し蕎麦を作るお手伝いをしたり、

それをほんの少しだけ一緒に食べたりしたので

綴り終わるのはこの時間になった。

久し振りに、共にTVを観ながら

年越し蕎麦を食べた。

家は毎年、田舎蕎麦を食べる。

掛け蕎麦に大根と長芋を摩り下ろしたものを

入れるお蕎麦である。

吐かない事を前提に食べるので

少量しか食べられなかったが、

母と“共に”食べたお蕎麦は美味しかった。

味わってゆっくりと食べる事が出来た。

TVでは、濱口優が「とったどー!」と叫んでいて

「この極寒の中、芸人さんは大変やねえ。」

と一緒に溜め息が出た。

ただ、嬉しかったのは母と共に

「日本酒は美味しい!」

という事に気付いた事であろう。

2~3日前から急に寒くなって、

熱燗が恋しくなった。それで私は

カップ酒を購入してレンジで温めて

飲む日が度々あったが、とても美味しく感じた。

中辛が丁度良い。

お蕎麦と、日本酒が合う事を知り、

また嬉しくなった。

1日1日だけを見ていると、

何も変化がないように想えるが、

1年前と今を比べると、かなりの変化が

あった事に気付ける。

その変化を以後、どのように生かせるか。

来年はどのような変化があるか。

取り敢えず無理だけはしないで、

こころにゆとりや余裕を持たせて

過ごしていきたいものである。





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Last updated  2007.12.31 23:54:34
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