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カテゴリ:想い
皆様、どうぞ今年も宜しくお願い致します。 時は遡り、元日は様々な想いが こころの中に去来した。 母と私、妹と妹の彼氏、姪っ子と共に 祖父母の家へ1台の車で向かった。 途中、弟を迎えに行くはずだったが、 眠っていた為連絡がつかなかったので 先に行って、鍋の支度をしていた。 鍋の材料は、近所のスーパーで購入した。 【かに鍋】 かにを食べるなんて、何年振りだろう。 かには、祖母が大好きなので、 水炊きにかにを入れるものとなった。 他には、白菜・ねぎ・椎茸・牛肉・鶏肉 豆腐・くずきり等が入っていた。 出汁もよく効いていて、ポン酢で 頂いたのであるが、 凄く深い味がした。 最初から過食前提で食べたくなかったので 私は白菜とお豆腐とねぎを少しだけ よそってちびちびと頂いた。 その間に漸く弟と連絡がついたので 妹と母と姪っ子が迎えに行った。 妹の彼氏と私と祖父母が居るという 状態になったので、 ほんの少し気まずい空気が流れた・・・ と想ったけれど、それはすぐに解消され 妹の彼氏・・・S君はビールを飲み 沢山食べてリラックスしている様子だった。 鍋が出来上がったとき、先ず祖父に たっぷりよそった。 酸っぱいものが駄目になったらしく、 お醤油で食べていた。 「おお、美味い!おいしいなあ、これは!」 と笑顔で食べていて私まで嬉しくなった。 作ったのは母と祖母であるが。 私は、祖母とおしゃべりしながら 常温の日本酒をお猪口でちびりちびり 口に運んでいた。 かなり美味しいお酒だった。 そうしていると、母の妹夫婦がやってきた。 予定はなかったのであるが、 祖母の家にお米が少なくなったとの事で 持ってきたそうである。 母の妹夫婦は兼業農家である。 そして鍋の材料はまだまだ沢山あるので、 食べていってもらうことにした。 母の妹も、久し振りに妹の子どもと 会いたいと言っていたので丁度良かった。 しかしやはり、私はそこで色々とツッコミを 入れられた。 「旦那さんの紹介するんは○○ちゃんが先やろう! しっかりしろお!」 と笑いながら肩を掴まれ揺さぶられた。 「やっぱり外に出ないと出逢いは無いよ。」 「その歳で勿体無い。私がその歳に戻れたら もっと一杯やりたい事やりたいなあ。」 「青春を自ら捨ててどうする!」 矢継ぎ早に入ってくるツッコミに 曖昧な笑顔を見せる事しかできなかった。 自分の病気の事は、余り詳しく 母の妹夫婦には話していない。 そして働いていない事に対しても、 叱責の言葉があった。 今はお母さんに頼れていても もしもお母さんが倒れたらどうするのかと。 これは言い訳であるが、今を生きるだけで 必死である私にとって、未来はおろか 明日の事すら考えるのも辛い。 出来る事なら普通の人みたいに 年齢に相応した暮らしをしたいと願う。 仕事をしたり恋愛で悩んだりしてみたい。 でも今は、生きる事自体に疲れている。 余りびしびしツッコミを入れられると 結構胸は痛む。 久し振りにお化粧をしていたので 元気そうな表情であり 眠っていないから顔が浮腫んでいて 4枚も服を着るという厚着をしていたので ガリガリには見えなかったようだ。 その点では成功していたけれど、 だからこそ、沢山叱責を受けたのであろう。 一応、それらの言葉はこころのどこかに 仕舞っておきたい。 弟とも久し振りに会ったが、 吃驚した。 「お前はどこかのミュージシャンか!」 と私がツッコミを入れたくなった髪形と 眉毛の形をしていた。 左眉毛を二箇所、剃っていて 似非パンクのようであった。 ヘアースタイルは言うなれば “スーパーサイ○人”だった。 呆れて声も出なかった。 そして働かないのは、彼女がお金持ちで 一緒に住んでいる所も結構広い オートロックのマンションで CATVが観られる為、アニメばかり 観ているからという理由もある。 一旦、心地好い生活に浸かると 脱け出せない。特に弟は意志が弱いので 働く気になれないのであろう。 そして新しい事実を知った。 母からだけではなく、父からもお金をもらっていたのである。 しかも父は、弟が働いていると 信じているらしい。 生きていく気が、失せてきた。 祖父の認知症は、進んでいた。 脳出血による認知症であり 年齢も今月84歳になる事から 坂道を下るように症状は酷くなっていた。 祖母はしっかりした人なので、 認知症だから仕方ないと想えばいいかも知れない と想うけれど、どうしても 腹が立ってしまう事が多いと言っていた。 祖父に、“誇り” “プライド”は残っているのである。 だからこそ、見ているだけで哀しくなってしまう。 お茶碗にご飯をよそうのにも やり方を途中で忘れたり、 おかきを食べていても、途中で目の前にあった お酒のあてであるボイルたらこを 食べていたりしていたのである。 そして、寡黙である時間が長くなった。 幾ら皆と一緒に炬燵に入って 温まろうと言っても、 ダイニングキッチンにあるテーブルの所で 椅子に1人で座ってぼんやりしていた。 「寒いやろ?こっちでお話しよ。」 と誘ったら、 「いや、寒くない寒くない。此処でええんよ。」 と、またぼんやりしている。 そんな祖父も、ひ孫と一緒の時はずっと笑っていた。 軍歌を、歌っていた。 姪っ子は、それに合わせて踊ったり、 手を叩いてリズムを取ったりしていた。 姪っ子は言葉が達者なので、 「じーちゃん、ここはこうして、こうしてね!」 と指導しながら一緒に踊っていた。 そのときの祖父の笑顔は、 嬉しそうで嬉しそうで 私は鼻の奥がツンとした。 私達が、やっと皆揃って 落ち着いてお鍋をつついている時、 祖父はひ孫とダイニングキッチンで遊んでいた。 姪っ子もご機嫌だった。 ただ、祖父は前に会った時、軍歌を歌う事など無かった。 しかし最近は、同じ軍歌を暇さえあれば 口ずさんでいるという。 桜と共に、散っていこうというような歌詞の 軍歌だった。 祖父は、船乗りだったので 徴兵制度で一応兵隊にとられたけれど、 訓練で散々殴られたり蹴られたりしている内に 終戦を迎え、戦地に赴く事はなかった。 そしてその後も同じく船乗りを続けたという。 私はずっと船乗りをしていたものだとばかり 想っていたので、そういった苦しみがあった事を 初めて知った。 そこからまた思い出話が沢山出てきたが、 此処からの続きは明日にしたい。 元日は、色々な想いを感じたので 2日に分けて綴りたい。 最終的に、私は帰りの車の中で 解離してしまったのである。 それほど感じる所が多く、疲れてしまったのである。 しかし、帰宅した後きちんとお薬を服用して 『はじめてのおつかい』という番組を観て 涙を流し、過食と嘔吐をしてもっと疲れて 眠ったら、少し楽になった。 また、今日も10時間ほど眠っていたので 精神的にも体力的にも回復傾向にある。 今年は様々な変化がありそうなので それに備える為にも、休養を大切にしたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.01.02 23:36:26
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