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2008.01.06
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カテゴリ:抑うつ感

食べなくて済むのなら、

ずっとずっとお酒を飲んでいたい。

若しくは

ずっとずっと眠っていたい。

そう、願って止まない。

もう、疲れてしまったから。







こういった想いが

現実逃避であり、何の為にもならない事は

自覚している。

けれども、本当に疲れてしまった。

「隠居したい」

こころからそう想う1日だった。

元日に、親戚の人達に掛けられた

言葉の数々が、まだ胸に残留していて

もやもやと霧のように広がりつつある。

両親が離婚した時、親戚の人達は

「これからは○○ちゃんがお母さんを支えるんぞ。

 それで、ちゃんと兄弟の世話もするんぞ。」


と何度も何度も私に言い聞かせて、

私はそれを忠実に守った。

だが、私も辛く苦しい想いを抱いていた。

けれどもそんな想いをネグレクトしない事には

母の支えにもなれなかったし

まだ幼い妹や弟の面倒も見られなかった。

段々と歪が大きくなり、

やがて私は摂食障害を発症する事で

自分の苦しみを表出した。


だが、私が14歳の頃は

摂食障害という病に対する周囲の理解は

全く無かったので、責められるばかりだった。

それらに耐え、10年以上経って漸く

母から理解を得られるようになり、

自分の生きる道を模索しつつあった所にまた、

親戚の人達の言葉に苛まれる事となった。

「お母さんがいつまでも働ける訳じゃないんぞ。

 何れは○○がお母さんの世話をせんといかんのやけん。

 いつまでも甘えとったら痛い目見るぞ。

 まあ、お母さんが倒れんと分からんかも知れんが。」


妹と弟の面倒を見る事から解放されたら、

今度は母の世話をしなければならない年齢に

なっている事を突きつけられた。

だから、私は私の人生を生きる為に

生まれた訳ではないのである。

改めて痛感した。

投げ遣りな気持ちになると、消えたくなる。

母は、度々アルコール性健忘の症状が見られる。

それが顕著になっていくのは時間の問題であろう。

私は、自分の問題を沢山抱えていて

病症に振り回されている。

どうしたらいいのか、分からない。


結局、自分の人生を生きるのは諦めろという

事なのであろう。

それを、周りの人々は望んでいるのであろう。

勿論、妹や弟に親戚の人達は

上に記した事を決して言わない。

私が、長女だから。結婚するわけでもなく

母の脛を齧って生きているのだから

老後の世話をするのは私に決まっている、

当たり前だと言う事なのであろう。







「隠居したい」だなんて。祖母でさえ、

今もバリバリとお仕事をしているのに。


私は本当に人生をなめている。

愚か者である。

祖母が、体操の先生として活動を

開始したのは40代だったという。

でもその前に祖父と結婚して子どもも

2人、産んでいた。

体操の師範の資格を取るまで、

沢山の努力をした事を聞いた。

ヨガやピラティスのような要素も

入っているが、東洋医学をまず

把握していなければならず、

体の経絡に関しては完璧に覚えておかねば

ならないものである。

体操の動作1つ1つが、そのツ経絡・・・ツボと

関係しているからである。

そしてその体操は1人でやるものと

2人1組でやるものがある。

それらを合わせると150強の

体操があり、順序も間違えてはいけないし、

呼吸法や掛け声も必要である。

この体操の支部は北海道から沖縄まであり、

大会となると、東京の武道館がいっぱいになる。

祖母はそこで審判員をしている。

体の柔軟さや、筋肉の力が必要とされる

かなり厳しい体操であるが、

これを週に3回続けていると、

本当に健康になるのである。

祖母は、この体操に出会うまで

内臓のあちらこちらが悪かった。

だが、続けた事で一番悪かった肝臓が

快復し、こころの面でも健康的になった。

本部は、私が住んでいる地域であり、

祖母はそこの会長である。

これはとても誇らしい事と考えている。

ただ、祖母の跡を継ぐ人間が居ないという事なので

私は、この職業も考えている。

近所の公民館でも、この体操が行なわれている事を

知ったし、十代の人も習っているという事なので

もしも心身に余裕が出来たら、

申し込んでみたいと想う。

月謝も、ピアノの月謝より安い半額という

格安である事も嬉しいし、

身体も健康になるのであるから

それを目標としてみたい。







今朝は苛立ちが募り、眠剤を服用した後にも拘らず

また過食を始めてしまった。


自暴自棄であったというのが

本当の気持ちである。

アルコール度数の高いお酒が手元にある事で

それを飲んで、手早く意識を消したかった。

意識のある自分が厭だった。

周囲に迷惑を振り撒き、母に負担を与えて

生きている自分が途轍もなく腹立たしかった。

自傷するか、お酒を飲むか、過食と嘔吐をするか。

どれも自分を傷つける事には違いない。

私は徳利に日本酒を注ぎ、

お猪口で少しずつ飲みながら読書をした。

すると、言わずもがな、過食したい気持ちに

衝き動かされて、寒さを感じながら

甘い菓子パンや冷たいカフェオレを

胃に詰め込む作業に没頭した。

眠剤が効き始めて頭がぼんやりしたり

立ち上がった時によろけたりしながらも

私は吐くまで食べた。

もう、何も考えたくなかった。だが次から次へと

自分の醜さや愚鈍さがこころに突き刺さった。

何も生産しない自分。無駄に息を繋ぐ自分に

苛立ち以上の嫌悪を感じ、生きているのが厭になった。


何故、生きなければならないのだろうか。

私が生まれてきたこと自体、間違っている。

それを痛感する度に、己を傷つけたくなる。

傷つけるのを我慢すればするほど

衝動は高まり、やがて大きな力で自分を

破壊しようとする作用が働く。

私は生きていても、仕様が無いのに。







弟がまた、母にお金をせびっている。

今回は、【歯の治療】という理由があるけれど、

原付の修理代、歯の治療費、

それは母からだけではなく父からも

同じ理由でもらっているので

弟は、2倍お金を得ているという事であろう。

それを考えると、

「私さえいなくなれば、母さんの負担は減るんだ。」

という想いに繋がる。

そう。私さえいなければ良いのである。

でも、死ぬ勇気が出ない。

また、私が死んでしまったら、

母はその事実を受け容れられず

もっとお酒に溺れてしまうであろう。

働けなくなってしまうであろう。

だから私は母と、

「お母さんが生きている限りは生きているよ」

という約束をした。

この約束だけは破ってはならないと想いながらも、

“死”という【楽になれる】誘惑に

なびいてしまう事もある。

でも生きよう。

生きる事が最低限、私の出来る事であるから。







どんなに手首が傷だらけになろうとも、

摂食障害の症状が出ようとも、

それで苦しかろうとも、

私は生きねばならない。

生きる道を歩む事がこんなにも苦痛だとは

子どもの頃、考えもしなかった。

子どもの頃は、母が結婚した24歳には

私も結婚していて、赤ちゃんも産んでいる筈だと

信じて止まなかった。

きっと、どこかで正しい道を踏み外し

考え過ぎる私の癖が悪い結果へと

導いたのかも知れない。

自業自得。自業自得・・・。

それ以外の何ものでもない。

だから私は己を傷つける事で

何らかの赦しを乞うのであろう。

もっと、明るい陽差しの射す方向へ視線を向けて

温かい気持ちで歩みたい気持ちがある。

このブログに、

【楽しかった】【嬉しかった】

という言葉を綴りたいという想いもある。

けれども私は、生きているだけで精一杯であり、

これから先の事を考えると、粘度の高い

底なし沼にずぶりずぶりと沈み込む感覚に陥る。

何れにせよ、今のところ解決策は皆無である。

今を生きる事。これを大切に過ごせれば

もしかしたら、光も見えてくるかもしれないという

希望を持ちつつ過ごしたいものである。





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Last updated  2008.01.06 22:42:58
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