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カテゴリ:抑うつ感
毎晩、買い物から帰ってきたら 冷え切った身体を温める為 もずく入りお味噌汁を飲む。 しかし最近はそれさえも 【太るのが怖い】 という理由から、1回分の インスタント味噌汁を 3回に分けて使用する。 無論、薄いお味噌汁になるが、 もずくの酸っぱさで どうにか誤魔化されているし、 身体が温まるので、 それで良いとも想っている。 身体がぽかぽかしている間に、 カクテル用のクラッシュアイスを作る。 お店で買うロックアイスは大きく硬いので 結構骨の折れる作業である。 でも、黙々と集中してやる作業は 嫌いではないので 時々アイスピックで誤って指を刺して 流血しながらも 十数分後にはクラッシュアイスの山が出来上がる。 私は何だか満足感を覚えて 少し、笑みが浮かんでしまう。 それを氷専門の冷凍庫に入れた後 ブラッディメアリーを作る。 このカクテルを飲むのも、 楽しみの1つである。 100%トマトジュースには リコピンとカリウムがたっぷり含まれているので 過食と嘔吐を毎日している身体には 優しいカクテルかも知れない。 夜中、眠る前突然、自傷したいの衝動に襲われた。 今となっては何故あんなに強い衝動が 襲ってきたのかあやふやとなっている。 ただ、「傷つけねばならない。」という 想いでこころが一杯になった。 自分に対する苛立ちや、己の情けなさ、 生きている事に対する申し訳ない気持ちが 一気に高まったのだと想う。 気付けば新品の剃刀で 小さい傷を創り、同じ場所を何度も なぞって深いものとしていた。 側に消毒液が無かったので 滅菌用アルコールをコットンに滲ませ それで何度も傷を拭いたけれど、 中々出血が止まらなかった。 手首の表側と裏側にそれぞれ 3箇所ずつの傷。 掌側の手首は、大学生の頃から 毎日切っていたので皮膚がごつくなっている。 シャワーを浴びる際、傷は案の定沁みたけれど、 無視してごしごしとタオルで身体を洗った。 自傷する事でしか、気持ちを抑えられない。 大学の頃のように、1日分の新聞がたわむほど 出血するような酷い自傷はしないけれど、 自分に痛みを与える事で、何らかの気持ちを 抑えたり、発散させたりしている。 これでは悪循環を断つ事が出来ないので、 もっとこころも身体も大切にせねばならないと 肝に銘じたい。 母にもまた、傷が見つかってしまって 哀しませてしまった。 申し訳ない気持ちで一杯だ。 こころの調子が悪いと、身体の具合も同じく悪くなる。 私の場合は、胃腸に症状が現れる。 胃に疼痛が走ったり、下痢が続いたりする。 だから中々眠りにつく事ができず、 お蒲団とトイレの往復をせざるを得なくなって 夕方起きる時間になっても お薬が抜け切らず、脳がぐだぐだしている感じである。 起きてからもお腹が下っているのは 続く事もあり、買い物をしている間も 脂汗が出そうになる。 余りにも、自責の念が強く いつもいつも自分を責めているから 体の具合も悪くなるのであろう。 自分を責め過ぎて、結局周りに迷惑をかける。 負担を与えてしまう。 “自分を生きる” という事は、一体どういうものなのであろうか。 それを掴みかねている。 どういう生き方をする事が、 大切な人の負担にならないものとなるのであろう。 考えて、考えて、考え過ぎるから、いつも失敗する。裏目に出る。 漸く、それは分かってきた。 普通に呼吸をして生きる事。 家族とは持ちつ持たれつといった関係で 甘え、甘えられながら過ごす事。 それは、例えば自転車に乗っているのと 同じ事なのである。 この例え話は以前も記したが、 誰も自転車に乗りながら 「あの道はハンドルの角度は何度でやや足に力を込めて・・・ そして砂利道ではペダルを踏む強さをこれ位にして・・・」 と“細かく考えながら”走ってはいない。 自然と、それぞれの道々を走っている。 だから、私が 「どうやって生きていいのか分からない」 と考えているのは、自転車で走るのに どうやって走ればいいのか悩んでいる事に 似ているのである。 もっと自然に身を任せて、考え過ぎない事が 一番重要なのであろう。 だがこの、【考え過ぎる癖】は子どもの頃からのものであり 中々脱け出せないものでもある。 常に2歩先、3歩先の事を考えて いなければ、母の手や足が私を打つ羽目に陥る。 鈍臭い私は、そうやって常に何か 考えて動いていたのであるが、 だからこそ動きが鈍くなったのかも知れない。 私は同時に2つ、3つの事が出来るような 器用な人間ではない。 母はその不器用さも責め、打擲した。 小さい頃の、私の不器用さ・・・ 例えば鋏を使って紙を切る際 真っ直ぐ切れたためしがない。 ぎざぎざで、歪んでいた。 線の上を切れば良いのに、必ず脱線するのである。 そういえば、自転車の想い出もある。 補助輪を取る練習は、 片方ずつ取っていくという方法だった。 勿論、今までに無いバランス感覚が求められ 何度も転んだ。 父の仕事が休みである日曜日に 練習に付き合ってもらった覚えはあるが、 「ちゃんと掴まえてる」とか言いながら 絶対手を離していて、私はすぐ転んだ。 それを父は笑って見ていた。 やがて補助輪は完璧に取れて 友達の家に行くのにも自転車に乗っていたら カーブを曲がりきれず学校のブロック塀に 衝突して顔から大出血した事もある。 加減を知らない子どもでもあった。 スピードが出過ぎた時はブレーキをかける事、 カーブを曲がる際は速度を落とす事。 普通なら誰に学ばなくても分かる筈なのに、 私は教えてもらっていなかったからと 怪我ばかりしていた。 教えられた事ばかりに忠実で、 そればかりを考え過ぎていた。 つまり、臨機応変が出来ないという事である。 これに関しても、耳にたこができるほど 母に叱られた覚えがある。 小さい範囲で、考え過ぎる癖。 これが、私の障壁であろう。 今朝は、繰り返し過食する事無く、ゆっくり眠れた。 夜中、自傷した時のように こころはざわざわと波立っていたのであるが、 お薬を服用した後、朝の過食と嘔吐による疲れが 強かった為、眠気がいつもより早く襲ってきた。 「朝からお酒を飲んで、身上を潰したい。」 そういった自暴自棄めいた考えが 浮かんできた事は否めない。 いい加減、自分が厭になってきた頃 眠りに落ちたら変な夢を見た。 もうひとつ、ブログを持っているという夢だった。 それは全て文字が斜体で綴られていて、 読んでも意味が分からないような、 何だか思い切り自分の全てを曝け出している 恥ずかしいブログであった。 私は何度も削除しようと想うのに、 パスワードは分からないし、PCに近づけないように 沢山の人々が邪魔するのであった。 そして途方に暮れながら雨の降る 以前住んでいた家の近所を歩いていたら、 白いワンピースを着たCoccoさんに会った。 丁度、一緒に遊びに行く予定だった事を想い出した。 私も白いふんわりとした服を着ていたが 裸足だったので、家で靴を履いてくるからと Coccoさんに傘を渡して 待ってもらっていた。だが、家には可愛い靴はあるけれど 全て大き過ぎてサイズが合わなかった。 仕方なく白い服に合う、レースのブーツを 履いて不自然な歩き方になりながらも 彼女の元に戻ったら、「雨に濡れて歩こう。」と言うので 少し冷たい雨を感じながら、何故か近所の小学校に 生えている大きな木で木登り競争をした。 という夢だった。最初の、自分のブログがおかしい事から Coccoさんまで凄い飛躍があるけれど、 夢なのだからそういうものであろう。 私の夢に一番良く出てくるのは、 やはり観月ありささんである。 同じ設定ではなく、やはり女優さんと一般人という 関係であったり、親友だったり、 家族だったりする。 夢とは本当に面白い。 だが、夢の中まで過食と嘔吐に悩まされるのは 本当に苦しくて仕方が無い。 確か今日の夢の最後でも、 「吐かねばならない」と思い詰めていた。 今、気付いたのは、 また強迫観念が私を覆い始めたという事である。 先程から、時計ばかり見ている。なるべく食べ始める時間を 遅らせたいから、こうしてブログを綴る時間を 引き伸ばす為、私は何もない所から文章を捻出している。 そう。私には何もない。空っぽである。 病気に侵された13年で、私は沢山のものを 失った。勿論、得たものも沢山あるけれど、 大切なものを失い過ぎた。 元から持っていなかったものも多いが・・・。 だからこそ、主治医が仰っていた 【取り戻す】 という事が必要となってくるのであろう。 得られる時に得られなかった慮りや想い。 心遣いや気持ち。 現在、母と一緒に暮らす事で、 様々な事を取り戻しつつある。 こういった事を大切にしたいものである。 そして、強迫観念や強迫行為に関しては 仕方のないものとして考えたい。 生きていく上で、大切なのは 想い合う気持ちと、笑顔かも知れない。 側にいる人の気持を慮る事もできず、 自分勝手に過ごしていたら、生活は崩壊してしまう。 それは、妹が非行に走った時に痛感した事である。 そして、私の病気が酷くなり死ぬ事だけしか考えていなくて 自殺未遂をした頃の事も挙げられる。 家族がばらばらである事は哀しい。 今は、ばらばらに暮らして入るけれど、 妹は子どもを育てていく上で、分からない事があったり 心配な事があったりすれば母を頼るし、 弟も怠けている部分は否めないが、 姪っ子と一緒に過ごしていると、 凄く面倒見がいいという良い所がある。 また、弟はとても温かい血が通っている。 つまり優しい人間なのである。 働かずに、いつまでも両親に、交互にお金をせびるのは 少し哀しい事ではあるが・・・。 家族だからこそ、力を合わせられる。 また、今年は家族が増える可能性もある。 妹の彼氏は私より1歳年上であるが、 義姉となるので、“おねえさん”と呼ばれてしまう。 不思議なものである。 楽しい事は自らが見つけないと、見つからない。 仄暗く辛い事は目の前に広がっているから見つけ易い。 だから、私はそれに溺れているのであろう。 その想いにこころを凍らせていくのであろう。 何れにせよ、私は考え過ぎる癖を どうにか直していかねばならないと感じた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.01.07 23:23:49
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