|
カテゴリ:抑うつ感
日を経る毎に 心身の具合が悪くなる。 その原因は、今朝、やっと分かった。 PMSである。 想えば、先月は9日に始まったので もうPMSの時期である。 その事を失念するほど、 私は本当に疲れていて 鈍くなっていたのであろう。 自分の事を全く把握できないほど ネガティヴな感情に振り回されていた。 中々消えない希死念慮や 自傷衝動、身体全体を重く覆う抑うつ感。 そして訳の分からない己に対する苛立ち。 今までの、【PMS】の症状にぴったり当てはまる。 それが分かったら、もう只管耐えるしかない。 処方されているお薬をきちんと 服用してこころを休ませる他に術はない。 しかし、火曜日は電話診察の日なので、 お薬の量を減らした事から不運が始まった。 向精神薬や抗うつ薬の量を減らすと、 普段からお腹が下り気味なのに それがもっと酷くなる。 お蒲団とトイレとの往復が何度も続き 苛立ちが膨らんでくる。 そしてその苛立ちが、 過食したい気持ちへと繋がった。 30分くらい、我慢した。 食べても後々苦しいだけだと。 無理矢理食べても美味しくはないと。 しかし、またトイレへ行った事から 苛立ちが頂点に達し、 滅茶苦茶に食べ始めてしまった。 そして嘔吐時、吐血した。 結構、吐血の量は多かった。 胃がぴりぴりと引き攣るように痛み、 それでも胃の中を空にしたくて 水を大量に飲み、もう一度嘔吐したら また血を吐いた。 その時にはもう、母は病院へ行く為 外出していたので ぐったりしながら胃薬を服用して 蒲団に横たわった。 また去年の夏のように 吐血してしまった事やあと1週間は この胃痛と吐血が続き、 過食と嘔吐は止められない自分の 状態を考えると 何もかもが厭になった。 そして私は、電話診察の時間になっても 起き上がれず、ぐだぐだと眠り続け 自己嫌悪を増加させて18時過ぎに ふらふらしながらシャワーを浴びた。 マイナス思考がマイナス思考を呼ぶように、 悪い出来事も、連鎖して起こるものである。 明日から、大好きな女優さんのドラマが 始まるというのに、 以前のようにわくわくしない。 嬉しさに変わりは無いけれど、 きっと私は集中して観られないであろう。 今は兎に角、生きている事が苦しい。 死ぬ事もできないのが苦しい。 主治医と苦しみの種について話し合う 時間を持つ事が困難であり、 助言を求める手を伸ばせないほど、 疲労している。 うつ状態に針が振り切れたまま 戻る気配が無い。 出来るだけ笑顔で過ごそうと想っても、 無表情のまま動かない。 うつ状態が酷いと、今までどうやって 笑っていたかを忘れてしまう。 哀しくなっても涙が出ない。 嬉しくても微笑むことが出来ない。 声の高さや低さだけで、気持ちを 表現している状態である事に気付いた。 そうして落ち込んだまま、スーパーで 買い物を済ませたら、 母が久し振りにお寿司を食べたいと言った。 なので出前をとる事になった。 私にとっては物凄い贅沢である。 だから、母と一緒に吐かない程度、 少しだけ日本酒と共に頂いた。 2人とも熱燗で、ゆっくりと味わいながら。 同じセットを頼んだのであるが、 私の方が、ガリの量が多くて 「いいなあ。差別だあ。」 と母が可愛らしく言うので 思わず笑みがこぼれた。 多分、今日始めて笑った瞬間であったと感じる。 【共に時間を過ごす】 という事で、母の思い遣りを感じ、 私の凝り固まったこころや表情も 少しは解され、和らいだような気がする。 母には深く感謝している。 また、外食の予定が入った。 今回は、妹の彼氏・・・S君が正式に 母に対して妹と結婚を前提に 付き合っていく上での挨拶がしたい との事で、来週の月曜日、夜に 比較的静かな居酒屋で行なわれる事になった。 S君は、きちんとスーツを着るという 正式で来るそうで、私達もそれなりに 綺麗な格好をしなければならない。 去年、年が明ける前までには 延びてきた根元の黒い部分にヘアカラーを施し 前髪を切るつもりだったが、 そんな気力はとうとう出なかった。 元日、親戚の人達や祖母から色々言われた 言葉にまだこころは傷付いたままである。 前々から、S君は母に 「今度、正式に挨拶をしますから。」 と言っていたので、多分、私はいなくても 良いのではないかと少し想っている。 でもこの場合は、家族みんなが揃っていなければ ならないのであろうか・・・。分からない。 もしも精神状態が今よりも良くなっていたら 参加できるか考えたいと想う。 S君は長男なので、S君側の家族が、 式を挙げたいと望んでいる。 妹は、最初の結婚で式を挙げていない。 入籍より前に、姪っ子がお腹にいたからである。 それに、毎日、元旦那からのドメスティックバイオレンスが 酷かったのである。 今もこれだけは腹が立って仕方が無い。 一時、妹と私は不仲の時期はあったけれど、 女性では敵わない男性の力をもって 激しい暴力を振るうだなんて、 人間として最低である。 まだ赤児だった姪っ子を抱いていた 妹を殴ったり蹴ったりしたのである。 その上、脳が腫れ上がるまで頭を殴った事もある。 これは、近所の脳神経科に証拠が残っている。 離婚まで時間はかかったが、 離婚後、元旦那は事務所荒らしの現行犯で 捕まった。その上刑務所の中で他の女性と 結婚した。 慰謝料も、養育費も送ってきた事は無い。 姪っ子にとっては、私よりもはるかに 辛く哀しい出生の理由を背負ってしまっているが きっと家族の誰も、この不幸な事実を 告げる事はないであろう。 もう、これは消去すべき事である。 もしも意味のあるべき過去であれば、 話す事も必要かも知れないが、 この件に関しては、姪っ子にとって 不必要な重荷を背負わせるだけである。 そんな不幸や辛酸を嘗めるような事実を 話す必要など、どこにもない。 S君は、本当の父親のように 姪っ子に接していて、とても優しい。 私なら、「もう、あっちで1人で遊んでなさい」と 言いたくなるほど疲れてしまっても、 S君はずっと姪っ子の相手をしていて 本当に素晴らしい人だと感じる。 妹も、やっと幸せになれるのだと想うと 私も嬉しい気持ちになれる。 【家族の、誰かの幸せは、家族みんなの幸せ。】 これは、生まれたときから 【共に】生きてきたから共有できる幸せであろう。 妹のことを想っていたら、 去年から本当に様々な事があったけれど、 幸せに向かって着実に歩みを進んでいる様を 感じられて、笑みがこぼれる。 やっと、強張った表情が解け、 口元が緩んできた。 母と共に食べたお寿司。シャリはまだ受け容れられないので ネタだけを少し頂いたが、 ホタテが特に甘くて美味しかった。 そして熱燗にとても合うものであった。 TVではよく、“お寿司にワイン”というスタイルが とられているけれど、母と一緒に 「はぁ~。やっぱりお寿司には日本酒だねえ。」 と語り合った。熱燗によりすぐ酔いが回ってしまった母は、 抑制が取れてしまったためか、 私の病気に関して 「もう、胃を切り取れば良いんやない? そうしたら、あんまり食べられなくなるし。」 「そうやって血を吐いても、また夜中になったら 食べて吐くんやろ?痛いんやったら 胃を切り取れば良いんよ。」 と、しきりに「胃を切り取れ」と勧めるので 母は酔っているから仕方ないんだと我慢しながら 「そうやね。胃がなくなったら、食べられんなるけん 病気自体なくなるかもね。」 と、必死になって言葉を繋いだ。 やがて、「あ~。やっぱり熱燗は酔いが回るわ。」 と言って寝室に入ってしまった。 1人になった私は、それまで消化出来る範囲で ネタだけしか食べなかったのに、 静かな気配の中、黙々とお寿司を食べ始め それは過食と嘔吐となった。 そしてまた血を吐いた。 きっと、明日この事を言っても 母は絶対覚えていないであろう。 それを分かっていて、哀しくなったと言う理由で 私は過食を始めてしまった。 だから、ブログを綴るのが遅くなり 内容もバラバラ、支離滅裂になった。 それもまた、8日の記録としておこう。 抑うつ感と、吐血と、希死念慮。 暫くは、これらと共に、生きる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.01.09 00:15:27
[抑うつ感] カテゴリの最新記事
|