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カテゴリ:診察・カウンセリング
物凄く酷かった抑うつ感が、 昨日の夜辺りから 少しずつ薄れてきていた。 それはまるで、 重く垂れ込めていた雨雲が 風に乗って彼方へ去っていって 太陽の光が微かに射すような感じだった。 漸く、低空飛行を保つ感覚を 取り戻せた想いで安心している。 こころが落ち着いた要因。 それはPMSの症状が落ち着いたからである。 月を経る毎に、どんどんこの症状の 抑うつ感は酷くなっていく。 きちんと抗うつ薬などの お薬を服用していても、 唯一外出するスーパーへ行く時間や、 帰った後などは、自己嫌悪が強くなり 罪悪感でこころは覆われ 自分の存在を消したくなる。 仄暗い気持ちを抱えている時は 明るい事を考えられない。 唯一、大好きな女優さんや俳優さんが TVに出演している時は 追い詰められた苦しさから 少しだけ浮上しているが、終わった途端、 すぐ前の感情に戻る。 これもPMSの期間だけ物凄く酷くなるだけだからと 我慢するしかないのであろう。 現に、今は落ち着いているのであるから。 眠る前、お薬を減らして服用したのが良かったのか 夕方はきちんと目覚め、病院に電話を掛けられた。 本来なら1月4日が年明け最初の 電話診察を受診する日だったのであるが、 余りにも落ち込みが激しく、 電話を掛ける気力はなかった。 8日の火曜日も同様である。 だから、2週間振りの受診となり 主治医の声がとても懐かしく感じて その柔らかく温かい声に、こころが落ち着いた。 緊張もすぐ解けた。 元日に親戚の人達から言われた事、 それによって相当落ち込んだ事は 既に母から主治医に伝わっていた。 今までの、主治医との話し合いによって 私がかの『千と千尋の神隠し』に登場する “顔なし”を少しずつ大事に出来るように なってきている事は分かった。 だが親戚が言い放った、所謂 【一般常識という名の勝手な言い分】 を私は飲み込み、傷付き、その意のままに 自分を貶めた。 その事で自分を蔑ろにして、 私にとっては辛辣な言葉の刺激によって “顔なし”を邪険にして阻害する 状態に戻ってしまった。 親戚の人達から、一般常識に即した 説教を受けたのは、母が妹と姪っ子を連れて 寝坊した弟を迎えに行っていた時であった。 だからその場所には妹の彼氏であるS君、 祖父母しかいなかった。 母の妹夫婦は、私しか気軽に話せる人が いなかったので、 病気の事を知らない彼らにしてみたら 怠けているとしか見えない私に 何か物言いを付けたかったのも仕方が無いであろう。 ただ驚いたのは、母がそういった 【私が一般常識によって責められる】 という隙を作ってしまった事を悔いていると 知った事である。 これは、主治医から伺った。 母は主治医に、 「私があの場にいれば、あの子を今は常識に即して 頑張れるような、そういう状態じゃないと フォローする事ができて、その後何日も あの子が自分を責めたり手首を切ったり する事はなかったのに・・・。」 と言ったそうである。 母も、母自身を責めていたのである。 自分の事しか考えていなかった自分が情けない。 私が苦しむ事でまた、母も苦しんでいたのである。 でもそれについては、主治医と母が 話し合う事で、母なりに納得のいく 答えを見つけ出せたようである。 私と母を包む空間・・・つまりその2人で作った 【カプセル】がある時は、周りの言葉に毒されないで済む。 そう、主治医は仰った。 【カプセル】とは、主治医と私の間では イメージする形は違うかも知れないが、 私はお薬のカプセルを先ず、思い浮かべた。 長細い、2色のカプセルである。 それぞれに重要な要素が詰まっている。 両方が相俟って、きちんとした効き目があるもの。 噛んで割ってしまうと胃を荒らしてしまうから、 カプセルというものは重要なのである。 私と母は、そのカプセルの中にいる。 カプセルの中で2人、生きていく為に 大切な思い遣りや雰囲気を守っている。 だから、どちらか一方が欠けていると 一方は傷付いたり、弱くなったり毒になったりする。 今、こうして母と“共に”生きていける事は、 苦しく辛い事を経験してきた結果である。 その中にも喜びや楽しみの時間があったから、 お互いを尊重できる関係を築けたのであろう。 だからこそ、元日に私があらゆる言葉によって 傷付いた事を母は気に病んでいたのである。 母の想いが、胸に沁みる。 だが、親戚の人達・・・母の妹夫婦は決して 悪い人ではない。 極めて一般常識に生きている人であるだけというだけで。 そして、“人の身になって考える”のは 誰もが出来るほどではないほど難しいものである。 だから、軽い気持ちで放った言葉が 実は思い掛けなく人のこころを傷つけている事もあり得る。 それは自分自身も当てはまる。 言葉は、薬になる事もあれば、 時に殺傷能力の高い凶器にもなる。 それを考慮に入れておきたいものである。 『千と千尋の神隠し』という作品が、 主治医との話し合いの中、“摂食障害”を考える上で とても重要な物語となっている。 “顔なし”についての話し合いが深まったので、 次に重要となっているキーパーソンは “ハク”である。 自分が傷付く事を厭わず、油屋の中では孤立していても 邪魔者・・・その中に顔なしが含まれているが・・・ それらを排除して従業員をも監視する。 湯婆の元で魔法を身に付け、 でもそれは、自分の名前を取り戻す為であった事。 自分の名前を取り戻せたのは、 その昔、現世の川の神だったころ、 千尋を救ったからであった事。 それを鑑みると、私の中で“ハク”について 考えつつも未だ油屋という別世界で怖がっている “千尋”を育てなければならない。 でもこれは、【病気は治る】という 希望が持てるという意味も含んでいる。 努力が出来るという事は、幸せな事だと主治医は仰った。 世の中には不治の病を患い、 治らないから努力も出来ず そのための苦労も出来ない人もいると仰った。 ただ、【役立たずだから捨てる】という あの物語にある通りにしてしまうと 自分の中の“ハク”も救えないであろう。 今日のブログは観念的になってしまった。 だが、今、私は母と力を合わせる事で こうして生きられているという大事な、 大切な事を忘れないで生きていこうと考えた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.01.11 23:29:30
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