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カテゴリ:想い
「おなか、痛いよう。」 昨夜からずっと呟いていた気がする。 一応、消炎鎮痛剤である ロキソニンは服薬したが、 効いてくるまで地獄の苦しみである。 毎月、律儀に訪れてくれるのは 良い事なのかもしれないが、 結婚しない私にとっては、 この月経は辛いだけとしか捉えられない。 一応、カイロでお腹を温めたら 幾らか痛みは緩和した。 消炎鎮痛剤は、胃を荒らす。 数日前に胃に傷がついて 吐血してしまい、まだ違和感が残っている 状態で、このお薬を服用するのは リスキーな感じもするが、 月経痛はどうにも我慢できないのである。 余りの痛みに七転八倒すると言っても過言ではない。 それに、ロキソニンは食後服用とされているが、 私は決まった時間に決まったものを食べる事しか出来ない。 だから、胃薬と共に服用する事で どうにか胃が荒れるのを避ける工夫をする。 胃の痛みと、下腹部の痛み。 身体のどこかに痛みがあると、 精神的にも疲弊してしまう。 こころと身体は、繋がっているのを痛感する。 明日辺り、痛みは引くので 鎮痛剤と離れられるであろうが、 本当に疲れてしまう。 母と私が作ったカプセル。今朝それについて考えた。 【カプセル】と表現すると、 何だか硬質な感じがする。 だが、私が想像する母と私が作り上げた雰囲気は、 柔らかい透明なフィルムというか 膜のようなもので包まれていると感じた。 頑丈ではないから、すぐ破れてしまって ギクシャクしてしまう事もあるし、 他人からの攻撃を、柔らかく受け弾み返す時もあれば 破られて傷つけられる場合もある。 “柔らかい”と感じたのは、 それだけどんどん広がりを持たせられるからである。 昨日、右手第三指第一関節を 怪我してしまった。 この箇所は、以前にも怪我してそれがまだ 治りきっておらず、傷口は開いたままだった。 なのに私は、大根おろしを作っている時、 大根と一緒に下ろし金で一緒に すってしまったのである。 思い掛けないほど血が溢れてきて 少し慌て、 「ああ、やってしまった。」 と独り言を呟いていたら、母は部屋から 出てきて、 「また怪我したんかね。ほら、消毒しな。」 と絆創膏を取り出していた。 自分で消毒したあと、私は自然に 指を差し出し、母はまた同じく自然に くるりと綺麗に絆創膏を巻いてくれた。 「もう。血がもったいないねえ。」 と笑いながら、また部屋に戻っていった。 その一連の流れが何故か凄く嬉しかった。 3年前では考えられなかった出来事である。 怪我の手当てをしてもらう事、 それをいたわってもらう事。 手当ても、いたわってもらう事も、 子どもの頃体験した事は殆どなかったように想う。 あったとしても妹が生まれる3歳までだろう。 妹が生まれてから、どんどん母に余裕がなくなって いくのが、子どもながらに分かった。 全く構ってもらう事はなくなり、 躾と称する虐待が酷くなる一方だった。 印象深いのは、 「叩くこっちの手だって痛いんよ!分かれ!」 と怒鳴られ今度は蹴られた事であった。 その時は、瞬時に涙が止まった。 自分が鈍い動作をしている事で叱られ 叩かれた上に、親の気持ちを分かれと言われて 今度は蹴られている状況を、 子どもの頭では把握できず混乱したのだと 今ならそう考える。突然、涙が止まったのであるから。 話は飛躍してしまったが、 あの頃とは全く違う空気が 私と母の間に流れている。 自然に、お互いを慮れる空気。 色で例えるなら、淡くて薄い桃色かも知れない。 または、冬の抜けるような快晴の綺麗な空色。 だが、どちらかが調子の悪い時は、 それに黒い色が混ざったり濃くなったりして、 桃色は臙脂色になり、空色は紺色になる。 でも、相変わらずフィルターは 柔らかく、うっすらしている感じなので そこに穴を開ければ、循環可能である。 母と私の雰囲気が作り上げた膜・フィルター。 包み込まれている感じは、とても温かい。 主治医との電話診察の中で、【悪魔】というフレーズが出た。 これは俗に言う【残虐非道な人間】を 言っている訳ではなく、 【人を傷つける事を平気で言い、それを厭わない人】 の事を主に表している。 勿論、“人の立場になって物事を考える”のは とても難しい事であるし、 いつも人の事を思い遣り、人の為だけに生きているという 聖人の存在は希少だと考える。 私も、やはり自分を守る為だけに 精一杯になることが事がある。 そんな時は、周囲が見えないので きっと迷惑をかけていると想う。 だが、 「こんな事を言ったら人が傷付き哀しむ」 という事は分かっているつもりである。 自分が言われたら傷付き哀しい事が即ち、 人も嫌悪感を覚える事なのであるから。 でも、それが分からない悪魔的な人は 多いし、私も時に悪魔的な人間になる。 そしてそんな自分に対して堪らなく 気持ち悪さと嫌悪感を抱くから、 自傷したり、死にたいと想ったりする。 病気を患っている私にとっては、 【一般常識に即したような説教に似た貶める言葉】 こそが、悪魔的なもの感じられる。 病気を患っていたら、出来る事と出来ない事がある。 症状が酷く出ている時は、 身体を横たえたまま動けなくなるし、 食べる事で頭がいっぱいになると 酷く苛々して他の事を考えられなくなる。 自傷している時は、その行為だけで 頭が真っ白になっているし、 解離すると、1週間は心身の具合が悪い。 辛く苦しい事でいっぱいであるが、 それでも生きようとしていて、 生きるだけで精一杯なのである。 そこに、所謂一般常識を持ち込まれても 困る。 世間でよく言われる 「働かざるもの食うべからず」 という言葉があるけれど、 これが適応されている空気が濃い所と 薄い所がある。 だから、日本の自殺者は年に3万人強出るし 働けないうつ病の自分を許せないのであろう。 日本で、この言葉が横行しているから、 うつ病になっても休養する事ができず 病気が治る見込みもないのであろう。 実は、私にもその言葉が根付いていて、 いつも「このままではいけない。」と感じている。 元日に親戚の人が言った言葉 「いつまでも母さんが働けるわけじゃないんぞ。」 というもの。 「何れはお前が母さんの面倒をみんといかんのぞ。」 という予言。 それは、今私が26歳で働いていない事を 暗に非難していた事は分かっている。 あの場所に母がいたら、何らかのフォローがあって これらの言葉に未だ苦しんでいる事は なかったかも知れない。 この悪魔的な言葉は、さらりと言い渡され、 私のこころを容易に抉った。 脆弱な自分を、情けなく想う。 すぐに、命を放擲しようとする。 それこそ、周囲に哀しみと痛みを与え 一生苦しませてしまう結果をもたらして しまうというのに・・・。 それが分かっていて、逃げたいと考える。 生きるのが、もう、苦しいと。 それが本音であり、内なる叫びかも知れない。 未だ、“役割”を生きようとするきらいがある。 その方がきっと分かりやすいからであろう。 何故、自分が生きているか。何の為に生きているかを。 しかし、それはとても虚しい事なのである。 小さい頃から私は、“お姉ちゃん”という “役割”を生きてきた。 3歳ずつ離れた妹と弟の面倒を見て、 彼らの模範となる人間になること。 習い事やテストの点数、どれも優秀で いなければならなかった。 本来の私は、外で遊ぶのが大好きで、 習い事に時間を費やすくらいなら 放課後、学校の校庭で走り回っていたかった。 公園の遊具で陽が暮れるまで遊んでいたかった。 それが許されたのは、習い事が早く終わる 土曜日か、習い事がない日曜日だけだった。 夏は、陽が暮れる時間が遅いので、 ピアノレッスンが終わった後は校庭で 延々と高い鉄棒で逆上がりの練習をしたり 縄跳びで三重飛びやハヤブサ、後ろ二重あや飛びの 練習をしたりしていた。 うんていをしたり、アスレチックで遊んだり、 うんていの上を走ったりもした。 だからいつも怪我をしていたのである。 活発に動き回る事で、きっとこころの均衡が 保たれていたのかも知れないが、 両親の離婚が近付くにつれて、 もう保てなくなった私は、神経症を患った。 それが、神経性胃炎である。 どんなに腹痛を訴えても、仮病とみなされた。 学校では担任のオバサン教師に 馬鹿だ阿呆だ、情けないヤツだと貶された。 私は、その頃フィルターを作る力がなかった。 きっと、フィルターとは1人では 作れないものなのかもしれない。 自分で自分を守るのには限界がある。 だから人は、人との繋がりを 特に信頼の置ける――私なら母である――人と 手を繋ぐのであろう。ぬくもりを作り上げるのであろう。 フィルターの中で思い遣りあうのであろう。 お腹は痛いけれど、精神的に落ち着いているので 余り死ぬ事を意識しなくなった。 これは、随分楽な事である。 生きる為に精一杯であるという事は、 余計な事を考えなくて済む。 今のところ、自傷衝動もなく過ごせている。 だが、どんなにお腹が痛くても、 過食と嘔吐だけは止まらない。 この行為をしないと、不安になるほどに 私は、追い詰められている部分があるのは否めない。 ただ、少しずつ笑えるようになった。 今日も色々母と他愛ない話をして 笑い合って過ごせた。 それが、良いお薬となって嬉しくなった。 月曜日、外食へ行く気力を溜めておく為にも、 ゆったり過ごしたいものである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.01.12 23:20:05
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