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2008.01.17
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カテゴリ:想い

ゆらりゆらり、たゆたうような

眠りから醒めて

暫し私はお蒲団の中でぼんやり

夢を反芻していた。

また、観月ありささんが出てきてくれて

何だか嬉しかったという事だけを

覚えていた。







目覚めが良かったので、

ミルクティーを飲みながら

一服した後、

ゆっくりシャワーを浴びた。

余り、疲れなかった。

三つ編みを結んでお下げにして

低血糖を避ける為、

一欠片、クッキーを食べた。

そうして背筋を伸ばしてスーパーへ向かった。







まだ母は帰宅していなかったので

のんびり歩きながら、空を見上げたり

花屋を覘いたりして時間を潰した。

身体もこころも、軽かった。

冬の花は美しい。

シクラメンやクロッカス、パンジー、ビオラ。

黄色の水仙もあった。

もう、桜草も花開いていた。

なんて可愛らしいんだろうと

こころを潤した後、スーパーでいつものコースを

辿って商品をカゴに入れて歩いた。

普段、茸類は隣の八百屋の方が

安いので、一旦カートをスーパーの端に

寄せておいて、買いに行く。

そして今日もいつも通り

行こうと想い、お財布に幾ら入っていたか

確かめようと想ったら・・・



バッグを家に忘れていた。



携帯電話はちゃんと持ってきているのに、

お財布の入った、いつも斜め掛けにしているバッグを

忘れていたのである。

これではまるで、学校に行くのに

ランドセルを忘れる小学生みたいだ。

それに、サザエさんみたいである。


本当に吃驚した。

ブレスレットや指輪を付け忘れたり、

マスクを装着し忘れたりする事は

何度かあった。

だけど、肝心なお財布を忘れるなんて

初めてだった。

アワアワと慌てて、母に携帯で電話して

事の顛末を話したら、

大笑いしていた。

電話越しでも、お腹を抱えて笑っている様が

分かるほどの大笑いだった。


私も可笑しくなって一緒に笑った。

バッグを取りに帰る間も、可笑しくって

笑っていた。夜だしマスクもしていたので

ひとりで笑っている怪しいヤツだとは

想われなかったと、多分想う。

帰ってからも、母と顔を合わせたら

自然と笑いが零れた。

昨日まであんなに鬱々としていて、

今日はとても寒かったのに、

どうでもいいような厭な事は

すっかり笑い声と共に飛んでいって、

身体はぽかぽか温まった。


『相棒』と『斉藤さん』という大好きなドラマを

観て楽しんで、良い夢を見て目覚めて、

そして、間抜けな失敗をやらかして

母と共に大笑いした。


ずっとずっと苦しい日々が続いていたけれど、

この私の間抜けな出来事は、

明るい笑いを誘い、楽しい気持ちになった。

案外近い場所に、落ち込んだこころが

浮上する切っ掛けはあるのだと感じた。







笑えない日々が続いていた。

楽しい時間を過ごせた日もあったけれど、

こころの底から笑えていた訳ではなかった。


14日は、妹の彼氏であるS君がいたから、

やはり緊張していた事も否めない。

おかしな事を言って場を和ませたくても、

S君がどんなツボで笑うかを知らないので

しらけさせてしまうのではないか、

その所為で妹に気まずい想いを

させてしまうのではないかと

物凄く遠慮していたし、

その場に打ち解けるのは難しかった。

だが、何れは親戚になる人である。

【親しき仲にも礼儀あり】を基本とした

付き合い方が出来ればと考える。







眠る前、うとうとしながら考えていた事がある。

妹の旦那様となる人は、私より1歳年上である。

しかし、義理の“弟”である。

年上の人だから敬意を払って、

話す際は丁寧語を貫き通すべきか、

それとも親戚になるし“義弟”だから

少し軽い感じで話しても良いのか・・・

ちょっと悩んでいた。

S君は、

【時々丁寧語、時々フランクに】

と言った感じである。

私は今のところ、丁寧語で話している。

だから他人行儀である所は否めず、

距離感も縮まらない。

姪っ子に関しては、最初から

S君の事を呼び捨てにしたし、

結婚の話が具体的になってからは

「パパ」と呼ぶようになったが、

それでも凄く子どもらしく甘えているし

安心しきっている。

姪っ子が、S君と過ごす姿を見て、

私は安心だと想った。

妹もS君も短気な所があり

すぐ喧嘩をしてしまうらしいが、

姪っ子はそれを解消できる、

温かく柔らかく大きな存在だと想う。

子どもに親の喧嘩を聞かせる事ほど

苦いものはない。

自分が子どもの頃、両親の喧嘩

・・・といっても毎回父が母を一方的に罵るだけであるが・・・

それを、毎日見ていてストレス性胃炎を患った。

それほど、大人の喧嘩は

子どもにとって大きな負荷となる。

この事は、時機を見て妹達に話しておきたい。







日本酒の銘柄を変えてみた。

今まで、“月桂冠”を飲んでいたが、

今回は“土佐鶴”を選んだ。

やはり、日本酒も銘柄が違うと味も違う。

どちらも美味しいが、“土佐鶴”の方が

まろやかな感じがした。

“月桂冠”は、室温の方が美味しい。

“土佐鶴”は、熱燗も室温でも中々美味しい。

もしも、私が働いていてそれなりに

金銭的余裕があったら飲んで見たい日本酒がある。

それは、“越乃寒梅”である。

高級感が漂っていて、私よりも大人の人たちは皆、

美味しいと言う。少し興味深い。

お猪口に一杯で良いから飲んでみたいと想っている。







病気の症状は、相変わらず酷い。

消えてしまえたらどんなに良いかと

毎日考える。


過食と嘔吐は、1日2回に落ち着いた。

ただ、PMSの時期は、それが崩れる。

けれども、1回の過食と嘔吐でぐったりするので

2回が限界となっている。

強迫性障害・・・強迫神経症も相変わらずで

数字に関する強迫観念や

物事をこなす時間や順番が決まっている、

強迫行為がある。

それらが乱れると、苛々して

言葉を発するのも億劫になり、

母と話すのも、しんどいと想ってしまう。

頭の中で組み立てた物事のやり方が、

1つでも崩れると、不機嫌になるのを自分でも分かる。

私が不機嫌になると、母との間に

不穏な空気が漂い、余計に苦しくなるのは

分かっているのに、

不機嫌な私は寡黙になってしまう。

苛々している時は、言葉を発する際

どうしてもぽんぽんと放り投げるような

話し方になってしまい、母も厭な想いをする。

また、このブログも強迫行為

入っていると感じる。

何も食べたくないから。過食をしたくないから。

だからこうしてPCに向かい

キーボードを叩いている。

時間をたっぷりかける為に、一旦休憩して

TVを観たり、日本酒を熱燗にして飲んだりして

ぼんやりする時間も取り入れている。

いつも何かに追い立てられているような感覚。

急かされているような感覚。

ゆっくりしていたら叱られるのではないかという感覚。


これらは多分、子どもの頃に経験したものから

きている感覚なのであろう。







私は、いつも熟考してから行動に移す子どもだったので、

大人からみたら、【鈍臭い】としか

捉えようがなかったのであろう。

なので母からはその事でいつも打擲された。

子どもの頃から、物事の順番を決めて

始めなければ混乱しそうだったから、

考える時間が欲しかった。

けれども、母は

「何で臨機応変に出来ないの!」

といつも叱り付けた。

だから4~5歳の子どもでも

【臨機応変】という言葉の意味を知っていたし

それが出来るようになる為に、必死だった。

でも、出来なかったから、

沢山殴られたし蹴られたし、突き飛ばされた。

母からみれば、私は小児喘息を患っていた事で

身体が弱かった上に、内気過ぎる部分が目立った。

だから、母は私を鼓舞する為に躾と称した

打擲をしていたのだと今なら理解できる。

ただ、母には余裕がなかったから、

言葉で諭し、意味を分からせて促すという

時間のかかる事ができず、

【力】で子どもを動かしたのであろう。

14日にぽろっと母が零したのであるが、

子どもを沢山叩いたり蹴ったりしてしまった夜、

寝顔を見つめ、泣いていたそうである。

「ごめんね」と謝り、私達子どもの寝顔にキスをしたそうである。

それを聞くと、少しずつ凍えているこころが

融解し始めている部分が面積を広げているけれど、

未だに傷となって残っている部分からは

目を背ける事ができない。

でも、今の母を責める気は全くない。

仕方のなかった事として、いつか

昇華させられたらと想っている。







本当に、凄く久し振りに、大笑いをした。

お買い物をするのに肝心なお財布を入れたバッグを

忘れるなんて自分でも吃驚した。

でも、そんなお馬鹿なミスのお陰で

母と共に大笑いする事が出来たので、良かったのだと想う。

話は変わるが、今朝私は5時に目が覚めた。

可燃ごみの日なので、ごみを纏めて

ごみ置き場に置いてきた後、

TVを観ていて、漸く今日が

阪神淡路大震災から13年経った日だったのだと想い出した。

5時46分。TVで流れる映像と共に、

黙祷を捧げた。涙が、頬を伝った。

一瞬の内になくなった命。

そして今でも続く、年配の方々の孤独死。

被害は、13年経った今でも続いている。

私が住んでいる地域でも、大地震が30年以内に

起こる確率が50%とされている。

古い借家なので、このままだと家は潰れ

もしも家の中にいたら私は天井・屋根に押し潰されるだろう。

何よりも、病症が出ている時に地震が起きのではないかと

想うと恐怖感を覚える。

こうして、ヒーターによって温まりながら、

PCで自分の思いを綴れる事。

そして母と【共に】笑い合いながら過ごせる事。

それは途轍もなく幸せな事だと改めて思い知らされた。

感謝の気持ちを絶対に忘れないよう

過ごしたいものである。





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Last updated  2008.01.17 23:31:58
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