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2008.01.22
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カテゴリ:想い

雨は、止まない。

こころの動きも下降線を描き、止まらない。

只管苦しくて、足掻く。

雨音が、今は怖くて仕方が無い。

暗闇に、天から落ちてくるその粒は

休む事無く地面を叩く。

耳を塞ぎたくても、

そんな事をしようとも意味が無い事位

分かっているから、

漠然とした不安と恐怖感を抱え続ける。







夜中、私は自らが作り出した

闇の恐怖に飲み込まれた。

抑うつ感が酷く、生きているのが辛いのに

生きねばならない苦しみが、

どうしても哀しくて、そう考える自分の

傲慢さに呆れていた。

そういう時、私は必ず自傷する。

沈んだ気持ちでも、そこで安定させる為に。

いつもと同じ場所を、同じ回数

剃刀で切る。

傷の上をなぞって重ねて切るので、

中々血が止まらなかった。

ぴりぴりとした痛みを感じて、

ただ流れる血を眺めている時は、

解離している。

沢山の想いに耐え切れなくなったら、

こころはそれ自身を守る為に

解離するのである。

こころが、壊れてしまわないように。

所謂自己防衛機能であろう。


気持ちが沈んだ切っ掛けは、やはり

摂食障害の症状である。

過食をする為にお金を使う事に対して

申し訳ない気持ちでいっぱいであり、

毎日、【昨日より1円でも少なく】を

目標にしているけれど、それでも母の負担に

なっている事は、間違いない事である。

しかし、だからと言って

急に過食と嘔吐を止められない。

自分は本当に駄目な人間だ。

だから、己を傷つけて痛めつけ、

罪を償わねばならない。

こういった一連の考え方は昔から変わらない。

自傷は私にとって、自分を罰する行為なのである。


だから、仕方が無い。

主治医もそれを分かっているから、

その行為を無理矢理取り上げない。

今のこころを守る為に、大切な行為だからであろう。







しかし、母はとても哀しむ。

自傷している時は、その事だけで

頭がいっぱいであり、その後は解離するので

その後の事は何も考えられない。

「傷跡が出来てしまった。」

ぼんやりと、そう感じているだけである。

しかし、傷跡は赤く腫れる。

だから、小さな傷跡にも拘らず

母に見つかってしまって、哀しませてしまう。

でも最近は、少しずつ

「どうして傷つけてしまったのか。」

という想いを汲み取ってくれるようになった。

それでも、

「もう、いやよ。大切な身体を傷つけんといて・・・。」

と泣きそうになりながら、傷跡を撫でて言う。

今回は、正直に話した。

【過食の食べ物を買うお金の事を申し訳ないと想っている事。】

【それが母の負担になってしまっていて哀しい事。】

【この症状さえなければ、皆美味しいものを食べられる事。】

【私さえいなければ、もっと皆、幸せに過ごせているであろう事。】etc...

しかし母は、

「過食とかは、病気なんやけん、しょうがないやろ?

 負担になっとるとか考えんで良いんよ。

 徐々に治っていくもんなんやから。

 美味しいもんも、私食べてるよ。

 あんたがおらんかったら、贅沢なもの食べたって

 美味しくない。

 あんたがおらんかったら、幸せなんかない。

 あんたがおるけん、私は働ける。

 あんたと一緒に暮らしていけるけん、

 私も生きていけるんよ。」


優しく諭すように、私の頭を撫でながら

そう、母は言った。

眠剤を服用した後だったので、

お蒲団の中に入っても、母は側にいてくれて

手を握って、ひたいを撫で続けてくれた。

母のてのひらは、優しい。

ささくれていた私のこころは、

すうっと穏やかになだらかになり、

暗闇からは抜け出せた。

母の、温かな光を放った存在によって。

私は日常、いつも孤独だと感じているが、

母がこうして休日の朝、

会話できる時間があると、本当に幸せだと感じる。


私は、生きねばならない。寿命が尽きるまでは。







電話診察を受診する日だったが、眠くて起きられず

電話を掛けられなかった。


母の手から放たれた

癒しのパワーが効いたのであろう。

余りにも癒され過ぎて、リラックスして

ぐっすり眠っていた。

ベゲタミンというお薬

――私にとっては長時間眠る為のもの――

を服用しなかったのにも拘らず。

日中薬と、抗不安薬のデパス、テシプール

それだけで、10時から18時まで

目覚ましのアラームにも気付かず

眠り込んでいた。

私にとっては、睡眠

とても贅沢なものである。

母の手によるおまじないで、

私はたっぷり贅沢を味わえた訳である。







摂食障害の症状は、意外と体力を消耗する。

食べる事も疲れるし、嘔吐する事で

体内の電解質バランスが崩れる為

全てが終わった後はぐったりしている。

疲れていても、腹筋やストレッチをしなければ

気が済まない。

全てが自業自得である事は承知している。

胃が限界になるまで食べて食べて食べて。

そして胃が完全に空っぽになるまで

嘔吐する。何度も繰り返し、満足がいくまで。

どんなにぐったりしても、食器を洗い、

全ての後片付けをする。

それでやっと、【過食と嘔吐】という行為は終わる。


今は、この【摂食障害の症状】が

中心の生活となっている。

でも、母と一緒に過ごす時間が徐々に増え、

“共に”お酒を酌み交わしながら他愛ない会話をする、

笑い合う時間。そしてこうしてブログを綴る時間。

ひとり、熱燗を飲みながらぼんやりする時間。

そうした、【その他の時間】が充実するようになってきたら

摂食障害の症状だけに囚われず、

落ち着く時間も作れるようになった。


そういった【プロセス】を経て

病気は“治る”のであろう。

主治医曰く、

「この病気は“治す”じゃなくて“治る”もんだよ。

 “なおす”だと、“直す”みたいな感じが

 して、どうも機械的だから、違和感がある。」


という事である。

そして、【治るプロセス】は人によって

異なるものである。置かれている環境が

それぞれ違っているように。

共通しているのは、

“休養、静養を心掛け、こころを大切にする事”

であろう。

時と場合によって、テンションを上げねばならない

状況があったり、無理をしなければならない

状態になったりする事もある。

その場合、短くても4~5日は

しんどい想いをするであろう。

だから、そこから学んで、

【どのようなテンションでいれば、余り疲れないで過ごせるか】

という事を考えるのも大切だと考える。

私は不器用なので、いつもその場その場で

テンションが上がったり下がったりして

最悪の場合、自傷に繋がる。

過食と嘔吐の症状も酷くなる。

如何にこころを大切に出来るか。

これを念頭に置いて、過ごしたいものである。







久し振りに、フジテレビのドラマを観た。

『あしたの、喜多善男(きたよしお)

 ~世界一不運な男の、奇跡の11日間~』

というものであるが、

私は原作本を、数年前に購読していた。

このドラマが始まる前、楽しみにしていたのであるが、

何日の何曜日から始まるか確かめていなかったというか

その余裕が無かったので、今日、初めて

観る事が出来たのである。

原作とは、かなりイメージも違うし、

設定も変わっているから、

違う作品として楽しめる。

3話から観たので、分からない部分も多かったが、

フジテレビ系のドラマとしては

面白いと感じた。

何よりも、主演の小日向文世さんが

11日後に自殺する事を決めている、

でも、その残り時間をどう過ごしていいか

戸惑っている、そんな姿が儚くて

哀愁が漂っていて、涙を誘う。

来週からも観てみようと考えている。







『余命1ヶ月の花嫁』も、半分読み終えた。

読み進めるのが実は怖くて

凄くスローペースで読んでいる。

もう、何度も泣いた。

千恵さんの事を想うと、涙が止まらない。

病気になっても、打ち勝とうとする精神、

病気でも、普通の人のように仕事を頑張り

資格を取り、沢山遊び楽しむ姿が

本当に素晴らしいと感じた。

今日は、わざと途中で読むのをやめた。

このまま読んでいたら最後まで止まらないと

想ったからである。

もっと大切に大切に、読みたいから

私は傍らに本を置いた。

続きを読んだら、涙が止まらない事は

想像に難くない。

明日は、違う本を読もうと想う。

まだ、彼女の素晴らしい生き方を

受け容れる姿勢が整わない・・・。







今朝は、母の優しいてのひらが、私を救ってくれた。

自分が自分を追い詰めていた。

「生きているだけで迷惑だ。母親の負担になるばかりの存在だ。」

その考えでいっぱいになり、

自責の念に駆られた私は、手首を傷つけた。

傷の事など、私はどうでも良いのである。

その時に痛みを感じられたら、そして

血が流れたら、もうそれで良い。

思い起こせば初めての自傷は幼稚園の頃で、

寂しさや心細さ、恐怖感を消す為に、

腕を想いっきり噛んだ。皮膚に血が滲むほど

力を込めて何度も噛んだ。

やがて、中学生になって

それが裁断バサミによるカッティングとなり

高校生ではカッターによるものとなった。

小さい頃から自分を傷つける事、

痛みを感じる事で不安や心細さ、そして罪悪感を

消そうとしていたのであろう。

不安感等はその時に消えても、傷跡だけはくっきりと

今でも残ってしまっている。

でも、後悔はしていない。

水曜日は、1週間のうちで一番幸せな日である。

『相棒』と『斉藤さん』という大好きな

ドラマが放送される日だからである。

今日は母のお陰で穏やかな気持ちを取り戻した。

明日はドラマによって、楽しい気持ちを

育める事を願って止まない。





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Last updated  2008.01.22 23:45:03
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