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凍えたココロ

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2008.02.03
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カテゴリ:想い

2月3日は、

弟の誕生日である。

節分だから、忘れない。

21歳になった、弟。

朝、おめでとうメールを送ったが

返事はなかった。けれど、

想いが届いていれば良いなと想う。







3人兄弟で、1人だけ男の弟。末っ子の弟。

だから、無条件に可愛がられた。


小さい頃の弟は、本当に可愛かったから、

私も妹も、奪い合うように可愛がった。

ただ、私は長女だから母と同様厳しくしていないと

いけない部分もあったので、

弟は妹に懐いていた。

2人はいつも仲良しで、妹の姿が

見えないと、弟は泣きながら探し回っていた。

ちょっと、悔しかった覚えがある。

妹もまた、面倒見が良いので

2人はいつも一緒にいた。

或る日、2階の階段の所で

妹は弟を抱っこしていた。

4歳と1歳位の頃であろうか。

妹は痩せ型で、弟はぽっちゃりしていた。

言わずもがなバランスを崩し、

弟は13段ある一番上から下まで

転がり落ちた事がある。

でも、無傷だった。

その上、泣かなかった。

母は凄く吃驚して妹を叱っていたが、

弟はけろりとしていて、

「○○(妹の名前)ちゃん、あそぼ。」

とまた、妹の傍へ行った。

アルバムを見ても、妹と弟の2ショット写真が

たくさんある。私と弟のものは

2~3枚しかない。

それでも、弟は元来持っている人懐っこさで

TVを観る時は私の膝の上に座ったり、

並んで歩く時は必ず手を繋いだ。

そして、“チュウ”が好きだった。

流石に小学生高学年となると

鳴りを潜めたが、

弟なりの愛情表現だったのであろう。

突然頬にチュウしてきたり、

TVを一緒に観ている時に

くるりと振り返り突然唇を奪われたりした。

その後の、「してやったり」みたいな

笑顔がまた悔しいほど可愛いものであった。

私の家庭は、おはようのキス、おやすみのキスが

慣例となっている、何だか外国の船乗り祖父譲りの、

外国かぶれの部分があったのである。







そんな弟も、時に憎たらしい大人になった。

相変わらず、家族の事を愛している事は

伝わってくる。

兄弟の事、そして母の事を心配しているのは

分かるけれど、私たちにとっては、

いつまでもふらふらしている

弟こそ心配で仕方がない。

もう、見守るしかない。

きっと、緩やかに緩やかに成長してきたように

己の道も、進めるようになるであろう。


弟の、【力】を信じたい。







弟の誕生日の3日後が、私の誕生日である。

正直、誕生日を迎えるのが怖い。

30歳まで残り3年となり、

今の状態に不安が炸裂しているのである。

殆ど外出できないから、人との出会いはない。

身体もこころもぼろぼろの状態で

生きているという事自体が辛い。

心許ない毎日を過ごし、

【一体これからどうなってしまうのか】

【病気は治らないのではないか】

といった憂いばかりが広がっていく。

そして、

「私なんかもう駄目に決まっている。

 この病気に殺されるのがオチだ。」


といった考えで諦めの念に沈みいく。

【私は駄目な人間だ】

この想いは、私のこころに深く根付いていて

容易に取り除けるものではないと痛感している。







夜中、朝の過食と嘔吐に苦しみ、希死念慮が襲う。

【死んでしまえたら、苦しみから解放される】

という、甘い考えがまだ私の中に蔓延っている

証拠であろう。

もっと現実を見なければならないと分かっていても、

私は、兎に角この苦しい状態が堪らないのである。

特に今は、PMSの症状も

出始めているので、心身ともに調子が悪く

流れている時間についていけない。

最近酷くなった症状に、“痺れ”がある。

それは特に、スーパーで清算を終えて

購入した商品を袋詰めしているときに起こる。

息が少し苦しくなり、手先が物凄く痺れて

痛むのである。母にその痛みを訴えて

触れられるだけで、びりびりと気持ち悪い

痛みが走る。背筋から指先に掛けて、

鈍いけれども鋭さを持った痺れが走る。

だが、家に帰ったら、忽ちその症状は取れる。

その事から精神的なものである可能性は高いと

考えるが、私の調子が悪いと

母の機嫌が悪くなるので、パニック寸前に陥る。

明るく振舞いたくても、痺れは余りにも酷くて、

作り笑いも出来ないのである。

だから、謝ってばかりになる。

それもまた、母の癪に障るのであろう。

どんどん空気が張り詰めていくのを感じる。

でも今日の母は、風邪が大方治ってきている事から

夜、2時間ほど一緒に過ごせたので

不穏な空気は吹き飛んだ。

気が付けば、想い出話で母と2人、大笑いしていた。

ようやく、こころがぽかぽかと温もった。







節分という事で、母は手巻き寿司を購入していた。

恵方巻きとも言う。

今年の恵方は南南東だそうである。

目を閉じ、願い事を思い浮かべ、途中でやめず、

一気に食べ切らなければならないのであるが、

こんな大きなものを一気に食べるのは無理である。

しかも食べている間は、無言でなければならない。

近所のスーパーでも、恵方巻きは売られていたが、

閉店30分前でも40本位売れ残っていた。

元値より150円ほど安くはなっていたけれど、

あんなに売れ残っていて、どうなるのであろうかと

懸念を感じた。

そのお寿司屋惣菜店の店員であるおばあさんは、

自棄を起こしていたのか、

それらの恵方まきを並べるのではなく、

陳列棚に投げるように置いていた。

それにまた吃驚してしまった。

私は、そのお店で一度カビの生えたかっぱ巻きを

食べてしまった事があるために、

それ以降購入していない。

母も、その系列で売っているお刺身を購入して

食べて食中毒を起こしてからは

怖いらしく、購入していない。

度々見ていても、不衛生である事が

窺えるのである。

お店の前を箒で掃除していたゴム手袋で、

お寿司などの商品を陳列している姿を

見ると、購買意欲も失う。

厭な話はここら辺にしておこう。







久し振りに母と2人で過ごした時間は、楽しかった。

私は冷酒を飲みながら、母はビールを飲みながら

想い出話に花が咲いた。

それも、弟の誕生日だったからであろう。

特に、私が子供の頃

遊園地のお化け屋敷みたいなアトラクションで

パニックを起こした話には

2人で大笑いした。

1人乗りのトロッコみたいなものに乗って、

線路に沿って一定速度で真っ暗闇の中を

飛び交うお化けやこうもりを

鉄砲で打ち落とすというものだったが、

母は私が入った途端に

物凄い勢いで銃弾の音が聞こえたと言う。

その内、尋常じゃない程の私の叫び声や

泣き声が聞こえ始めた。

なので幼い妹を抱いていた母は、父に

「ちょっと、あの子見てきた方がいいんやないの?」

と言い、父は出口のほうから私を探し、

私の元へやってきてくれた。

その時の恐怖と父が来てくれた安堵感は

強く覚えている。


あの時だけ、父の事が大きな存在に想えた。

「何も怖い事ない。父さんがおる。

 ほら、あのこうもりもその鉄砲で打ち落とせ!」

父は、トロッコの後ろを押しながら、

優しくそう言ってくれたのである。

お化け屋敷、今となっては全く怖くも何ともないが、

子どもの頃は、いつ終わるとも分からない暗闇と、

遅い速度で進むトロッコ、

そして奇怪な音を発して飛び回るお化けや

こうもりが物凄い恐怖だったのであろう。

母が、「尋常じゃない」と気付いてくれなければ、

多分今の私は暗所恐怖症になっていたかも知れない。

でも、そんな話も今なら大笑いしながら話せて

本当に嬉しかった。







PMSの症状は手強い上に

どんなにもがいても、足掻いても、

良い方向へ進む事はない。

只管、ゆったりゆるりと落ち着いて過ごすしかないのである。

こういった症状が酷くなるのも、

自分が悪いと想っている。健康的な生活を

送れていたならば、少しは緩和できたであろうから。

あと1週間は、この症状が続くし、

どんどん鬱々として調子も悪くなっていく。

だから取り敢えず、楽しみである

観月ありささんのドラマやCD発売・・・これは私の誕生日である・・・

そしてドラマ『相棒』を楽しみに

生きていきたいものである。





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Last updated  2008.02.04 00:50:03
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