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凍えたココロ

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2008.02.05
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カテゴリ:想い

朝浴びるシャワーは

寒いけれどとても心地好い。

いつも最後に水を浴びるのが

子どもの頃からの習慣であるけれど、

去年まで地下水だったから

そんなに滅茶苦茶冷たい事はなかった。

しかし、水道水になってからは

感覚が無くなるほどに冷たい。

「ひゃー、つめたっ!」

そう、ひとり呟きながら

水を浴びて浴室から出て身体を拭くが、

水を浴びない時に比べると、

温かさが長続きするのである。

水を浴びると湯冷めし難いという事であろう。

私が風邪を引いたときは、

余りにも水が冷たいので最後の水浴びを

しなかったのである。

祖母から母へ、母から私たち子どもに

伝えられた、この健康法は

案外侮れないと感じた。







とうとう、26歳最後の日を迎えた。

年を経るごとに想うが、

あっという間に1年は過ぎる気がする。

でも、1年の間に2回も

PCの再セットアップ

行なう事になるとは想わなかった。

1番こころに残っているのは、

やはり去年の夏に、観月ありささんの舞台を

母と共に大阪まで観に行った事である。


2階席だったので細やかな表情は見えなかったけれど、

透き通るような、それでいて力強い

ありささんの声を直に聞けた事。

その上、素晴らしい舞台内容であった事。

大笑いして、大泣きした事。

何もかもに感動できた、大切な経験である。

母と2人で旅行するのは初めてであったし、

真夏で余りにも暑く、疲れてしまったけれど

今までの中で1番思い出深い出来事となった。

これが、最も嬉しい事である。







病気は、一進一退であった。

一時期、甘いカクテルに夢中になって

最初は朝までそれを飲んでいた。

しかし、いつの間にか夜中は眠るようにして

目が覚めたら朝から夕方まで

クレームド・バナーヌとパインジュース

それに少しのウォッカを加え、

シェイクした“パッソアもどき”を飲んでいた。

勿論、太ってしまった。

それを飲むようになるまでは、

惨めな身体をしていたので普通の体型に

なっただけであるが、それが辛かった。

いつか、それを飲めなくなった。

甘いものを受け付けなくなったのである。

そうすると、するすると痩せていき、

また惨めな体型に戻ってしまった。

嬉しさが大きかった事は否めない。

生活サイクルも、幾度となく変化した。

朝型に戻った事がある。しかし、それは

独り、家でずっと過ごさねばならないという事で

その頃の私にとっては物凄い苦痛であった。

不安感や苛々感、心細さによって、

摂食障害の症状が悪化して

過食と嘔吐の回数が1日に4回まで増えた。

やがて、眠る時間が次第に遅くなり、

夜型になると、過食と嘔吐の回数も

2回に安定した。

独りで過ごす時間が短くなったからであろう。

母が仕事に行った後、床に就く。

母が帰宅した宵の口、起床して1日が始まる。

この習慣は、今も続いていて

だからこそ、酷く荒れる事は少し減り、

低空飛行を続けていられるのであろう。

今は、PMSの症状が出ているので

余り良い状態とはいえないが・・・。







妹の大親友が亡くなった年でもある。

昨年の3月4日であった。

23歳で、彼女は人生の幕を自ら下ろした。

それは、妹にとって途轍もなくショッキングな

出来事でもあり、私達家族も大きな哀しみを感じた。

姪っ子の事を、まるで自分の子どものように

慈しんでくれていたKちゃん。

でも、自死に至るまで、物凄い辛苦が

重なっていたのは事実である。

Kちゃんは何度か自殺未遂を繰り返していた。

その事を、一番【死】に近い所にいる私が

気付けなかった事が悔やまれて仕方ない。

しかしKちゃんは、彼女にかかわった人々

全ての胸の中に生きている。

毎日、Kちゃんを想い出さない日はない。

姪っ子も、Kちゃんの事を憶えている。

哀しくて哀しくてどうしようもないけれど、

Kちゃんが存在していたという事、

いつまでもみんなの胸の中に息づいている事は

紛れもない事実だから、その想いを大切にしたい。







母との関係も、少しずつ良い方向へと変化している。

26歳になったばかりの頃は、

まだ母との間には余所余所しさがあった。

素直になれず、その所為で不穏な空気が漂う事も

少なくはなかった。

でも、今では夜になると

【共に過ごす時間】

というものを大切に出来ている。

それは、少しずつお互いが歩み寄れるようになれて

私が、母の部屋へお酒やちょっとしたおつまみを

持参して2時間ほどではあるが、

肩を寄せ合う事で温かな時間になっているのである。

母の具合が悪い時は、そのバランスが崩れて、

やはり2人の間に冷たい風が吹く。


しかしそれはやがて過ぎ去り、いつの間にか

また元のぽかぽかした雰囲気に包まれている。

母娘でも、違う人格を持っているのだから

意見の相違があり、時に喧嘩をする事もある。

喧嘩というよりも、“言い合い”程度であるが。

けれどもその時間も、また新たな関係を

築いていく為の必要なものだと考える。

お互いの考えをぶつけ合う事も

それによって多少諍いが起こる事も、

人間関係を築く上では必要不可欠なものだから。

その後、自分が悪いと想ったことは反省して謝り、

本音で話し合える場を持てたら、それで良いのでは

ないかと私は想う。







昼過ぎ、大きな書店から電話があった。

予約していた観月ありささんのCD+DVD

『ENGAGED』を入荷したと。


電話は18時過ぎにとお願いしていたのであるが、

嬉しい事だったので「まあいいや」と想ってまた

眠りに落ちた。

そして夜、観月ありささんのCDを

購入した。

本当の発売日は2月6日である。

私の誕生日に発売とされているので、

この曲を聴くのは誕生日を迎えてからにしようと

想っている。

ドラマ『斉藤さん』の主題歌である。

ちなみに母は、未だにドラマのタイトルを覚えられない。

“伊藤さん”とか“佐藤さん”とか言っている。

ちょっと、惜しい。

でも、共に楽しみにしているドラマ『相棒』の後に

放送されるドラマだという事で、

母も毎週観ている。

そこでもまた共通の話題が出来て

「今週の『斉藤さん』は~~だったね。」

等と話題が広がるのである。

母は、面白いドラマしか観ない。

だから、『斉藤さん』を観てくれている事が

本当に嬉しい。







26歳は、今の時点であと16分で終わる。

正確に言うと、私は15時過ぎに産まれたので

まだなのかも知れないけれど、

どうも日付が変わる事で、心持も変わりそうである。

少し、焦りの気持ちがあるのも否めない。

27歳はどんな年になるのか。

また、病気は悪化してしまうのか、それとも

新たな展開があるのか。

未知の世界に、私は進んでいこうとしている。

私はただ、1日1日を大切にしたいと想っている。

でも、1つ目標としている事がある。それは、

【何か資格を取る事】である。

病気を患っていても、勉強は出来る。

高校や大学を卒業できたように。

思い浮かぶのは、“医療事務”そして“PC関連”のものである。

これから先、生きていく為に何か即戦力となる

資格を、取得する為に勉強を始めたい。







26歳の1番大きな想い出は、やはり

観月ありささんの舞台を観た事である。

この経験は、私にとって大きな影響となった。

そしてまた、このブログで出会えた方々との

コメントでの言葉の授受、ありがたい励ましのお言葉など

あたたかい関係が築けた事が何よりも嬉しかった。

たとえネットという言葉だけの遣り取りでも、

私は本当に胸がじんわりと温もった。

感謝の言葉はどんなに述べても足りないくらいである。

だから、これからも感謝の気持ちや

常に謙虚である事を忘れずに過ごしたいと想っている。

時に生まれいずる“傲慢な気持ち”は、

きちんと振り返った際に反省して

後の生き方に活かしたいものである。





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Last updated  2008.02.06 00:11:19
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