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2008.02.08
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カテゴリ:想い

母と2人、今夜放送されていた

『DEATH NOTE the Lastname』を観た。

日本酒を熱燗にして飲みながら。

湯豆腐を、少しだけ食べて。

それは、とても温かい時間だった。







先週の火曜日以来、電話診察を受診していない。

それは、生活のサイクルが狂ってしまって

電話をする時間に起きられなくなった

私に原因がある。

過食と嘔吐をするのが厭で、

その時間をいつもより遅くさせている為、

どんどん眠る時間も延びているのである。


けれども、その分【母と過ごす時間】がある。

それを大切に感じられて、

ホッとできる時間を持つ事が出来ているのは事実だから、

悪い部分だけではないと感じる。

こうしてブログを綴る時間も

どんどん遅くなっているが、

私は母と過ごせるのなら、それも

一向に構わないと考えている。







今朝は、ネットの状態がおかしかったので

プロバイダのテクニカルサポートに電話をして

色々とと作業をした。なので

眠るのが遅くなった。


そのサポートセンターの、受付が始まるのは

9時からだったので、それまで

録画していた『相棒』を観たり

観月ありささんのCDを聴き込んだりしていた。

『相棒』は、一番お気に入りのストーリーである、

“ツキのない女改めツイてる女月本幸子”が

主人公になっているものを観た。

これは、2話連続になっていて、

最後に右京さんが物凄く格好良い登場を

するのである。

そして、エンディングを迎える時には、

とても深い話をする。

「人は、変われる」と・・・。

ひとりで観ていたので何も厭わず

声を上げて感動の涙を流した。

自分の努力で、きっと変われるという事。

諦めてはいけないという事。


それらをつぶさに感じた。







ありささんのCDは、聴きながら

やはり一緒に唄ってしまった。


最近の所謂“アイドル歌手”は、とてもキャッチーな可愛い声で

聴いていて馴染みやすいと想う。

だから、売れるのであろう。

それは、子音の後に来る母音を

強調して唄っているからである。

子音から一拍置いて母音を伸ばすので

上手く聴こえるのである。

でも、ありささんの歌声は、

子音の後に来る母音までの時間がとても短い。

だから、とても力強い歌声
なのである。

最近のアイドル歌手の歌声に聴き慣れている人に

してみたら、違和感があるかも知れない。

けれども、私はありささんの力強い歌声が好きである。

falsettoもまた、綺麗なのである。

特にこの新曲に関してはボイストレーニングも

したそうであり、

また、何年もかけて歌って仕上げた曲だという事で、

私は本当に大好きな曲となった。

『ENGAGED』というこの曲は、

今年再婚する妹に贈りたいと想った。







ネット環境は、プロバイダの方達に調整して頂いた事により、

やっと安定した。


1日中、モデムの電源を入れておき、

速度を遅め、調整するという説明を受けた。

一応、いつも使用を終えたら電源を落とすPCも、

電源を入れたままにしておいた。

お陰で、今は快適に動いている。

しかし、またいつ不具合が起こるかわからなくて怖い。

ちょっと、PCに関してはナーバスになっている。

できるならば、PCのトラブルは当分勘弁願いたいと

想うし、それならば触らなければいいと考えるが、

1日1回のブログ更新は、

自分の気持ちを整理したり、時間を潰したりするのに

最適なのである。

だから、これも大切な時間であるとも言える。

なので、PCのトラブルが今は一番憂鬱である。







母と肩を並べてTVを観る。CMの間に他愛ない話をする。

寒くなったら、ホットカーペットで温まった

お蒲団に一緒に寝転んでTVを観る。


母と、近い距離に居ても違和感を感じる事は

無くなった。

以前は、他人と同じ距離位、

そう、半径50cm位は離れていないと

自分を保てなかった。

以前の私は、家族の傍にいる事に関しても

違和感を覚えていたのである。


【他人行儀】という言葉がぴたりと当てはまるほど、

私は家族と打ち解けられなかった。

それは、

【自分が患っている病気に対する後ろめたさ】

からきているものだと想う。

今でも、それは消えない。

その【他人行儀】である態度が、

母を苛立たせたのだと今になって理解できる。

母は、もっと頼ってほしかったのであろう。

甘えてほしかったのであろう。

現在のように。

妹が妊娠して、結婚し、子どもを産んだ。

しかし、元夫からのDVが物凄く酷く、

元夫には犯罪傾向があった事から離婚した。

実際、離婚後に事務所荒らしで実刑判決が下り

服役した。

妹、姪っ子と一緒に暮らしていた頃は、

常に妹の友達が家に居て

私の居場所はなかった。

病気の私は、常に厄介者扱いされた。

摂食障害の症状が出てくる度、妹やその友達に

冷たい目でその様をじっと見られて

過食と嘔吐、その後の行動も知られていた。

唯一安堵できる時間、それは自傷している時だけだった。

皆が寝静まった頃、新聞紙・消毒液・ティシュー・包帯

そして新品の剃刀を前にして

深呼吸をする。

左の二の腕を縛り、血管を浮き立たせて

そこをめがけて剃刀を力強く走らせる。

痛みは少しあったけれど、

それよりも解離している感覚や

流れ出す血。血が溜まっていく新聞紙、

それらの色彩。それらによって

私は何らかのものを昇華させていたのであろう。

だが、もう今はその【儀式】を必要としていない。

無論、今でも自傷する事はあるが、

軽いものである。

狭い面積で、同じ箇所を何度もなぞるように

切るだけなのであるから。

かさぶたを、何度もはがして

また血を流す。それだけである。

しかしそれも、どうしても感情の処理能力が

追いつかなかった時にだけにしている。

実際、誕生日やその次の日辛い事はあったけれど

自傷をしないで、こころを鎮める事に成功した。

今に至るまで、あらゆるプロセスを経てきた。

それらを以って、現在母と【共に生きる】という事が

出来ている。きっと今まで、

何事も難しく考え過ぎていたのであろう。


少しは、楽観的になっても良いのかも知れない。

「希望は無い」と嘆くよりも、

「今を大切に生きてみようか」という事を

こころに留めておきたい。







『DEATH NOTE the Lastname』は2時間強あったので

その間に、摂食障害の症状が出てしまった。


母と共に居る時、そういった状態になるのが

申し訳ないし、悔しかった。

でも、お酒を飲みながら湯豆腐や、

他にも用意されていたおつまみを

食べていると、胃がいっぱいになってきて

その違和感に耐えられなくなり

過食はしなかったけれど、水を沢山飲んで

吐いてしまった。

母の部屋は、禁煙である。母も喫煙者であるが、

キッチンの換気扇の下で吸う。

食べたくなった時、私は煙草を吸うようにしているが、

それが出来ず、ついつい食べ物に手を伸ばしてしまった。


私の自室は自由に煙草を吸える。

TVを観る時、音楽を聴く時は

お酒を飲みながら喫煙している。

だから、食べずに済んでいる部分もかなり大きい。

こころの調子が良好な時は、母と共に過ごす時間、

お酒を飲みながら目の前に食べ物があっても

セーブする事ができる。

しかし現在、2週間ほど診察を受診していない。

つまり不安定である。食べ始めたら、セーブできない

自分になっていた。


だから今日は、残念な結果になってしまった。

でも1度経験したら、どうしたら

好ましい状態を保てるのか、勉強できた気がする。

母と共に居る時だけは、病気と離れていたい。

1日の中で、一緒に過ごせる時間は

僅か2時間だけなのであるから。

だから大切にしたいのである。


焦らない事。気にし過ぎない事。リラックスする事。

これらを大事にしたい。







どんなに努力しようと想っても、

その想いは千切れて飛び散ってしまうことがある。

それもまた、仕方ない事であろう。

何もかも、全てが上手くいく訳はないのであるから。

だから、1日1日を大事にしたい。

今日、母と過ごせた事。明日もまた、母と一緒に

過ごせるかもしれない事。

その温かいふれあい、おしゃべり、やわらかさ。

小さな頃、本当は手に入れられるものだった感覚を、

今、少しずつ取り戻しているのである。

想い出話は、特に楽しい。

今日は、私が子どもの頃

何度か2階の階段から転がり落ちた事を話した。

否、転がり落ちたというよりも、飛び上がって落ちた

という風に母の目には見えたらしい。

あの頃から、私はせっかちだった。

小学校の階段からも何度か落ちて膝などに怪我をした事がある。

高い塀の上、うんていの上を走る事ができる

子どもだったのであるが、気を抜けば

利き手を何針も縫う、全治2週間くらいの怪我をしたり、

なだらかな家の階段から落ちたりする

不思議な子どもであった事を、母と笑った。

今もまだ、おかしな所で怪我をする、

不思議な所は抜けていない。

千切れて飛んでいってしまう想いもあるけれど、

こころで花咲く想いもある。

それはきっと、温かい事なのであろうと

私は考えた。





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Last updated  2008.02.09 01:41:46
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