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カテゴリ:想い
どうしてこんなにも 眠く、起床時間が来ても 起き上がれなかったのか、 理由が分かった。 今日、月経が始まったのである。 1週間強遅れた。 私はそれが始まると、 昏々と眠り続けてしまうのである。 漸く、PMSの症状も和らぎ始めている。 あんなに酷かった抑うつ症状。 「私なんか、もう駄目だ。生きていたって仕方ない」 毎日そう想っていたのであるが、 その想いは少しずつ消散していっている。 【PMS】の症状が出始めてからは、 濃いグレーの仄暗い何かに 包まれていたような感覚で、 何をするのも億劫で堪らなかった。 一挙手一投足に疲れを感じ、 全てが憂鬱だった。 しかし今日、起床した後は まるで重く垂れ込めていた雨雲が 風に乗って去って行ったかのように “ふっ”と、こころと身体が軽くなったのである。 サイクル。本当に不思議なものである。 また起床時間が遅くなったので、 ジャスコへ母と共に行った。 母は仕事で疲れているので、本当に申し訳ない。 昨日よりも深く謝った。 同じ過ちを繰り返す事ほど愚かなものは無いが、 どうしても、睡魔にだけは勝てない。 特に、月経が始まると眠気がより強くなるので どうしようもない。 【PMS】の症状が酷い時期は、 逆に眠れなかった。 それまで夜中から朝方まで2~3時間 眠っていられたのに、 眠れなくなっていたのである。 だから、知らず知らずの内に疲れも 溜まっていたのであろう。 今、それを取り戻すかのように 眠っている。 偶に、ファンヒーターの前でコテンと 眠っている事もあり、 これは風邪を引くので気をつけようと想っている。 けれども、無意識にそういう状態になるほど、 眠気に抗えなくなってきた。 こころは大分落ち着きを取り戻した。 しかしこれから3日間は 物凄い痛みとの格闘となる。 私は、月経痛が兎に角酷い。 下腹部の痛みは、まるで大きなスプーンによって 抉られているような痛みが 延々と続く。 腰痛は、骨を無理矢理歪められているような 痛みがあり、それが足の痛みに繋がる。 消炎鎮痛剤を服用しないと、 とてもではないがやっていられない。 高校生の頃、まだロキソニンを 知らなかったので、授業中 あまりの痛みに泣いてしまった事があった。 丁度、数学の授業で、先生も気心が知れていたが、 男性教師だったので何故痛いか正直に言えず、 「保健室に行くか?」 と言われても、受験前という事もあり 「だ、大丈夫だから・・・。」 と泣きながら授業を受けた事を憶えている。 祖母から教えてもらった体操を 毎日欠かさずやっていた頃は、 かなり痛みも軽減していたが、 今は体操をする余裕も無くなって、 また痛みが酷くなってしまった。 何事も、努力をして身体に良いというものは 続けねばならないのだと実感している。 私が夜、いつまでも眠っている間、母も眠ってしまっていた。 本当に疲れている事を痛感した。 それでも私を決して責めたり、詰ったりしない母。 その優しさに本当に救われている。 今日は、起床してから段々と 抑うつ感が晴れてきたので 鬱々とした表情で、また、言葉少なになる事もなく、 母とは笑顔で買い物が出来た。 少しの間、はぐれた時間もあったけれど、 直ぐ母を見つけ、夕飯は何にしようかと 私に相談してくれた。 結局、冷凍ピザやお惣菜で20%引きになった 豆腐ハンバーグ、チーズちくわ、 9種類、半額になった和のお惣菜が小分けに入っている ものを購入していた。 私も、母と一緒に食べようと想って きくらげの酢の物や、熱燗に合うイカの塩辛、 お漬物などを買ってみた。 けれども、帰宅した母は 私がクラッシュアイスを作っている間に 冷凍ピザを解凍して 自室に入ってしまった。 他のものを食べる気になれないという事であった。 時間も既に22時半を過ぎていたので、 私もブラッディメアリーを作り、 『中井正弘のブラックバラエティ』(“井”は故意に間違えている。) という番組にありさちゃんが出るので カクテルを飲みながらそれを観ていた。 此処の所、毎日母と肩を並べて夜の1~2時間を 過ごすのが普通になっていたので、 幾許かの寂しさを感じた。 しかし母も疲れていたようで、直ぐに眠っていたから お邪魔しなくて良かったようである。 明日は、妹の結婚式のレンタル衣装選び、母も黒留袖を レンタルする為に妹と共に出かける為 早出のお仕事だけである。 その衣装選びも、16時からという事なので、 その間、母はお昼寝が出来て、少しは 疲れを取れるのではないかと想う。 妹の結婚式。祖父母も参加する。母の妹夫婦、その娘・・・ 弟と同い年の子も参加する。 しかし、父は参加を断った。 妹は、是非とも参加してほしいと父に 何度も頼んだそうであるが、 今は、弟がお金をせびっているので そのための借金があり、お祝いのお金が出せない。 だから、結婚相手の親に合わせる顔が無いのだと言う。 それは、男親としてのプライドだとも言う。 だが、妹は色々と支えてくれた父親に ウエディングドレス姿の自分を、 これから幸せになる自分を見せたかったと想う。 父親の、プライド。 分からなくもないが、本当に残念である。 だから、その日までに 安いデジカメを購入できたらと考えている。 父にも、妹の幸せそうな姿を見て欲しい。 無論、今でも私は子どもの頃受けた父からの 言葉による虐待の事を忘れた訳ではない。 だが許せない気持ちと、現在の 父が孤独で可哀想だという気持ちは 共存し得るものである。 写真を残せる事。 それに望みを託したい。 【辛い・苦しい】といったフレーズが 壊れたレコードのように延々とリピートされていた・・・ 今朝までは。 しかし、今はまるで闇夜に月明かりが射したような感じで 少し視界が広がっている。 今月の【PMS】の症状は、今までに無いくらい 苦しかった。 自傷をして苦しみを誤魔化す気にも なれなかった。 只管、煩悶としていてネガティヴな想いが 次々とネガティヴを呼ぶといった状態だった。 やっと、【PMS】から解放されつつある。 もう、暗い顔をして笑顔を見せず 寡黙な状態で母を困らせる事は当分無い。 それだけでも、助かる想いである。 母に厭な想いをさせていた事が、 本当に心苦しかった。 「最近、全然笑ってないね。TVとか観て、 ちょっとした事でいいから笑ってごらん。 あんたは笑っとった方が可愛いんよ。 暗い顔しとったらいかんよ。」 と寂しげに言った母の顔を忘れられない。 地獄の痛みに悩まされる3日を乗り越えたら、 やがて自然に笑顔が生まれるであろう。 また、他愛ない事で母と2人、大笑いしたい。 それが今の、願いである。 母は、基本的に甘いものを好まないが、 私と分かち合って飲む1カップのココアは、美味しそうに飲んでいる。 それが、嬉しい。 少しだけ、私にも甘いものに対する抵抗感、 つまり【太るのではないか】という恐怖が あるけれど、母と一緒なら、恐怖は薄れる。 身体がぽかぽか温まるので、2人に笑顔が戻る。 母が笑っていてくれる事。それが私の幸せでもある。 迷惑を掛けたり、困らせたりしてしまっているが、 いつか母と2人、笑い合いながら 楽しく生活できたらと想っている。 私も何れ、病が治ることを信じて。 快復したならば、母と共に温泉旅行に行くという 約束を決行したい。 いつになるか分からないが、それもまた 目標として、自分のペースを大切に 無理をしないで、やっていきたいものである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.02.18 00:40:41
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