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2008.02.18
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カテゴリ:想い

もう、梅の花が咲いている。

春は、少しずつ歩み寄ってきている。

ピンク色の花の方が早く咲き始め、

もう満開の所もあるとの事。

私は、桜よりも梅の花が好きだ。

あの馨しい柔らかな香りは、

こころにも花が咲く。豊かな気持ちになる。







精神的には落ち着いたが、

体調はかなり悪い。


朝からずっとお腹が下っていて、

尾篭な話、出てくるのは水なのである。

5分に1度、トイレに駆け込む状態だった。

だから中々寝付けないし、

折角落ち着いていたこころも

何だかざわざわしてきたので

私は眠剤を最小限服用した後なのに、

また食べ始めてしまった。

眠れない苛立ち。

下りっ放しのお腹。


【PMS】の症状が一番酷かった時の、

あの抑うつ感はないけれど、

かなり疲れてしまった。

結局、眠れたのは13時を過ぎていて、

それでも何度もトイレへ行く為に断眠した。

だからまた、起床したのは

21時を過ぎており、ジャスコへ行く事になった。







母も、夕方からずっと眠っていたようである。

けれども、3日連続でジャスコへいく羽目になって

機嫌は良くなかった。

本当に申し訳ないと想い、

今日はココアブレイクもないまま、

早く買い物を済ませた。

この3日で、何処に何があるか把握したのである。

買い忘れた物もあったが。

申し訳ない気持ちは、パンパンに膨らんで

ずっと謝っていた。

それもまた、母は腹立たしかったようである。

しかし、23時を過ぎて母は、

「うちの部屋に来る?」

と誘ってくれたので、喜んで行った。

熱燗と、イカの塩辛・きくらげの酢の物を持参して。

母は、茶碗蒸しを温めたものを

おつまみにしていた。

それらを、2人で分け合って食べた。

私は、鎮痛剤を服用した後だったので

嘔吐に繋がらないよう、食べるのは最小限に

しておいた。

そこで、今日の出来事を聞いた。







18日月曜日は、妹の結婚式の

衣装や母の留袖等を選ぶ日だった。


無論、旦那さんになる人の家族も来ていて、

共に衣装を選んでいた。

最近のウェディングドレスは肩を出すものが

流行しているようで、殆どがそのような

デザインだったそうである。

妹は、カタログを見ながら4~5着ほど

試着をしたらしい。

また、お色直しのドレスも選ばねばならなかったようで

大変だったそうである。

妹が気に入ったのは、ウエスタン風の

紺色と白色の組み合わせで、

紺色の胸の部分が、紐で結ばれている

結構可愛いデザインだったそうであるが、

どうしてもウェディングドレスで“白色”の

ものを着ているため、パッとしないと

アドバイザーに言われたらしい。

なので、淡いピンク色のドレスを選んだと聞いた。

妹は、かなりファッションセンスが良いので、

今から彼女のドレス姿が楽しみである。







2月18日は、父の誕生日でもあった。

23時前、お誕生日を祝う電話を掛けた。


父は今、某ジュース工場で働いている。

家から約2~30kmある職場まで、

この寒い中自転車で通勤している。

弟がずっと働いていなくて、お金がなくなる度に

父にせびっていた為、

現在父は、借金があるらしい。

なので、妹の結婚式には参加できないと言う。

相手側の親が、結婚式の費用を殆ど出しているのに、

自分はお金を出せない事。

借金がある事。

ご祝儀のお金も僅かしか出せない事。

それらを鑑みると、結婚する娘の父親が、

逼迫している状態・・・情けない所を見せない為にも

出席はしないほうが良いと父は主張するのである。

電話を掛けた時、丁度父は仕事から帰った所であった。

「お誕生日おめでとう」と告げた後、

妹の結婚式に関する話をしたのである。

「あの子はね、自分が幸せだっていう姿を父さんに見て欲しいんやと想うよ。」

と言っても、

やはり、お金の問題を出してきて

出席する事はできないと言う。

父親としてのプライドが邪魔をしているのであろう。

また、借金を背負った自分さえ

出て行かなければ、娘に負い目を感じさせないで

済むからそれで良いのだと言う。

自分は、孫がいるという事だけで

本当に幸せなのだからと。


今は援助できないけれど、59歳になった

今年いっぱい頑張れば

来年からは厚生年金が入ってくる。

それによって借金も返せる。

年が経てば、孫も小学生になるし

お金が入用になるであろう。

その時に、援助が出来れば自分は満足だと

父はそう言っていた。

しかし、結婚式は1度きりである。

華々しい幸せな姿を見られない事は

妹を特別可愛がっていた父にしてみれば

本当は哀しい事だと想う。

どんなに言葉巧みに説得しても、

父は頑として出席できないと言う。

本当に頑固な人だと想った。

私の頑固さは父に似たのであろうと感じた。

だから私は、

「じゃあ、写真を一杯撮るけん。それ見て

 どれだけあの子が幸せか感じて欲しい。」


と、告げた。

それには父も、納得してくれた。

哀しいのは、父は何でも“お金”で

何かを決める節があるという事である。


電話で話していても、

「今は夜遅くまで働いていて、しかも自転車で

 通勤していて寒いから、

 お前のところに行く余裕が無い。

 小遣いもやらないかんと想っとんやけど

 ごめんな。

 暖かくなったら、そっちにも行くけんな。」

と言う。お金なんて関係ないのだと私は言った。

その想いを取り払って欲しいと想った。

未だ父に対して赦せない部分はあるけれど、

健康に過ごして欲しいと願っている。

独りだと本当に心細い事も多いと想う。

なので、私が心配していた

「毎日うどんにラー油を入れる事だけは止めてね。

 油なんやけん、コレステロール値が高くなるよ。

 うどんに入れるんやったら、七味にして。」


という事だけは切々と訴えた。

「ああ、もうあれは今はやってない。

 あの時は、怪我をしてたし、寒かったけんな。」

と言っていたので安心した。

妹からお正月に、父が毎日ラー油を飲んでいると

聞かされた時には本当に吃驚して

早く止めさせねばと想っていたのである。

止めていてくれて良かった。







下腹部と腰の痛みはロキソニンによって抑えられている。

しかし、何故か体調が優れなくて参っている。


もうそろそろ、下痢止めのお薬のお世話に

ならねばならないかも知れない。

この時期、眠るときは“穿くオムツ”を着けているので

体制を気にせず眠れているが、

お腹が下るときのお腹の痛みに目が覚める。

ロキソニンという消炎鎮痛剤で

胃も荒れていて、逆流性胃炎の症状が著しい。

「もう、死んでしまいたい。」

「消えてしまいたい。」

「己を破壊したい。」


といった自滅願望が薄れている事だけは、

救われている。

ただ、お蒲団から中々出られない事で

近所のスーパーの閉店時間までに

行けず、母に迷惑を掛けているのが心苦しい。

お薬を減らし過ぎてしまうと、

過食と嘔吐の症状が眠剤を服用した後でも

襲ってきてしまうし、

処方量きちんと服用してしまうと、

昏々と眠り続けて絶対に起き上がれなくなる。

加減が、本当に難しい。

明日が電話診察の日なので、

ちゃんと相談したいと考えている。







久し振りに、父の声を聞いた。

少し、弱々しかったので不安になった。

でもそれは、仕事から帰ってきた直後であった為で、

「お誕生日、おめでとう」と告げると

声は忽ち明るくなった。

また、私という話し相手が出来た事で

いつもの“饒舌な父”が戻ってきた。

お互いに「お休み」と言って電話を切った後、

母と話した。母は電話の内容が気になっていたようなので

そのまま話した。母は、

「あんたの説得でも、父さんは結婚式に出席せんって言うの?」

と言っていた。

「一生に1回の事やのにね・・・」とも。

父のプライドは、損をしている。

しかし、父は4人兄弟の三男で、父親からも兄弟からも

馬鹿にされて育ったという。父の母だけが唯一

可愛がってくれたらしい。だから母親が病に倒れて

入院しても、父だけが毎日世話ををする為

病室に通っていた。他の兄弟は一度たりとも

そんな事をしなかった。

他の兄弟の子どもは皆1人っ子である中、

父は3人の子どもを持った。

一番初めに孫ができたのも、父である。

未だに、他の兄弟には孫は存在しない。

父は今、どんなに辛くても孫に会いに行ってその顔を見ると

本当に幸せだと感じると言う。

兄弟のことは、父自ら見放したようである。

現在、私は人間として丸くなった父を

少しずつ受け入れられていると感じている。

もう、59歳になった父。

これ以上敵対したくない。

だが、私は飽く迄も母の味方であり、

いつまでも母の傍に居るつもりである。

これからは、バランスをとるという事が必要であろう。

父の声が聞けた18日夜。

寒い夜だったけれど、少し、あったかくなった。





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Last updated  2008.02.19 02:13:54
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