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凍えたココロ

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2008.02.29
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カテゴリ:想い

うるう年で

2月が29日まであると

何だか不思議な感じがする。

4年に1度の29日。

嬉しいような、わくわくするような、

この感じは子どもの頃から抱いていた。

何故か、この日が誕生日だという人が

羨ましく想っていたものである。

特別な日という感じがするからかも知れない。







電話診察を受診する日だった。

1度その時間にふと目が覚めたが、

また直ぐ眠りに落ちてしまった。

気付いたら18時を過ぎていて、受診できなかった。


けれども、ぐっすり眠れたし

目覚めもスッキリしていた。

気怠さもなくて、心身ともに楽だった。

今日は残念だったけれど、また火曜日がある。

「次があるから大丈夫」

そう想えるから、落ち込まないでいられた。

いつものようにゆったりと起き上がり、

お薬を服用してから歯を磨き、

ホットミルクティーに今日は豆乳も入れて

一服した。

ぼんやりと立ち上る紫煙は、

儚くて少し物悲しかった。

この頃、日常の何かを見ても、

何の感情も抱けなかった。

けれども今日は、朝陽の光や

タバコの煙、花屋に並んでいる

植木用の花を咲かせた木等を見ていると

それぞれにこころへ響くものがあった。

少しずつ、感覚が戻ってきているのかも知れない。

きっと、お薬をきちんと服用してこころが安定し、

質の良い睡眠もとれているからであろう。







私のこころ。落ち着いてはいるけれど、

ずっと強迫観念・強迫行為に

縛り付けられたままである。


何かに焦り、何かをしなければならない気持ちで

こころが逼迫する。

そういう時ほど、【焦ってはいけない】という

掟を忘れている。それでは意味がない。

だからどんどんと強迫観念や

強迫行為に飲み込まれて

しまうのであろうと感じている。

どんな病症も、コントロールできない。

しかも特に強迫観念となると、

自分で自分の首を絞めている状態だから

余計に苦しいのである。







母と夜、過ごす時間は1時間強が、今は限度だと感じた。

1時間以下だと寂しい。

それ以上になると、母が酔って眠くなってきたり

私が食べ過ぎたりしてしまうのである。

だから、1時間ちょっとくらいが

丁度良いと感じている。

やはり、酔うと人間は抑制が取れてしまうので、

母は普段言わない事をずばずばと言う。

時々、その容赦ない言葉に傷ついてしまう。

無論、悪いのは私なのだから仕方ないが

どうしても普段の母と比べてしまって

「なんでこんな辛辣な事を言うんだろう。」

と哀しくなってしまう。

だから今は、お互いが心地好く過ごせる時間だけ

一緒にいられたらと考えている。







PMSの症状が出ていた時期に比べたら、

現在、とても落ち着いている。


些細な事でヒステリックにならないし、

少しずつではあるが、【丁寧さ】

大切に過ごせている。

今まで、何事も雑に過ごしてきたので

丁寧を心掛けるのは案外骨が折れるものだと

感じている。

先ず、

【自分を丁寧にする事】

とはどういう事なのか、未だによく分からない。

取り敢えず、しんどさや怠さを感じたら

素直に身体を横たえて休むようにはしている。

こうしてブログを綴っている途中も

眠くなったので30分ほどごろんと横になって

眠っていた。

近所のスーパーに行かねばならないからと

無理矢理起きるのもやめようと考えたら

楽になって、ちゃんと今まで通り起きられるようになった。

きっと、

「●●するために~~しなければならない」

という想いが、知らぬ内に自分を

追い詰めていて、ストレスとなり

起き上がれなくなっていたのであろうと想う。

その、「●●するために~~しなければならない」というのは

主に、「早く起きるためにお薬を飲みすぎてはならない」という事が

当て嵌まっていた。

そういう事をしていたから

精神の安定を欠き、またいつまでも心身が重くて

泥沼に沈んでいっていたのであろう。

そんな無理は止めて、もう少し自分を丁寧に

しなければならないと心掛けてからは、

やっとこころに落ち着きが訪れた。

ただ、それだけではないと想う。

きっと、母と夕飯を一緒に食べる時間、

お酒を酌み交わす時間があるからこそ、

安寧の時間も出来たと私は感じている。

母に感謝している。







妹達の引っ越しは、土曜日の夜から準備を始めるらしい。

なんと、一戸建てのしかも二階建てに

引っ越すというので吃驚している。

“二階建て”が第一条件だったらしい。

借家ではあるが、夜、夫婦やその友達

皆で騒いでも、子どもが2階で

静かに眠れるようにとの計らいがあるらしい。

また、妹は旦那さんの妹さんと

仲が良いのでその妹さん夫婦とも

よく会って家で皆で飲んでいるらしい。

だから、家が広く使え、且、家賃の安い所を

探していたので、何度か「決まった」と言っても

変更したのであろう。

なので、姪っ子が通う筈だった幼稚園も、

私達兄弟が卒園した所ではなく、

引っ越し先の近所にある幼稚園に変わった。

姪っ子が4月から幼稚園に通うという事に、

何だか感慨深いものがある。







姪っ子が生まれた頃は、全てが荒れていた。

祖父が脳出血で倒れ、入院中だったし

元夫は妊娠中からずっと妹に

暴力を振るい続けていた。

私は、祖父が倒れたショックと自分の病気と

妹の事とで訳が分からなくなっていて、

毎日欠かさず手首を切っていた。

何故かそうして自分が痛みを感じる事で

祖父や妹の苦しみが少しでも緩和するのではないかと考え、

儀式みたいなものとなっていたのである。

姪っ子が2ヶ月の頃、妹が元夫の暴力で

部屋に閉じ込められた状態になり、

母と私は急いでそのアパートへ行き、

合鍵で部屋に乗り込んだ事がある。

元夫は当時、20歳であった。

訳の分からない事を怒鳴り散らしていた。

既に妹は暴力を振るわれており、

更に殴りかかろうとしたので

私が「警察呼ぶから」と言うと、

元夫は私に殴りかかってきた。

一寸の隙に、避ける事が出来たので

怪我はしなかったが、

あの時の恐怖は忘れられない。

元夫は、母にも掴みかかっていった。

兎に角地獄のような時間だった。

ただその間、ずっとすやすやと

姪っ子は眠り続けていてくれた事だけが

救いである。

惨状を見ないでいてくれた事、聞かないでいてくれた事が。

しかしその数日後、妹は脳が腫れるまで

子どもを抱いたまま頭を殴られたり蹴られたり

している。

勿論病院でレントゲンを撮って分かった事である。

離婚まで少し時間もかかったし

去年は妹の大親友が亡くなるという

物凄く哀しい出来事もあったけれど、

漸く落ち着いたのだなと想うと、

本当に本当にホッとするのである。

姪っ子も元気いっぱいで我侭が過ぎる所もあるけれど

こころから可愛らしいと想う。

辛くて苦しい状態がいつまでもずっと続く訳ではない。

それは真実だとつくづく感じている。







花屋で見た、アネモネの花が綺麗だった。

まだ、小さかったけれど、

その白色に薄く黄色が混ざった淡い色は

儚くて、そして優しかった。

桜草は、沢山の小さな愛らしい花を

誇らしげに咲かせていた。

花は散っても、いつまでも生きている。

そしてまた、季節が廻ってくれば咲く。

私は、植え込みにある桃の木の枝に

蕾が生まれる日を心待ちにしている。

姪っ子が生まれた年にやってきた木。

いつまでも慈しみたい。

そうやって、春が来る事を受け入れよう。

もう日付は3月になってしまって

2月もあっという間に終わってしまった。

3月こそ、焦らずゆっくりと過ごしたいものである。





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Last updated  2008.03.01 01:19:50
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