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カテゴリ:抑うつ感
時は、どんなに抗っても さらさら流れていく。 だから私も流される。 動きたくなくても、その場に留まっていたくても それは、赦されない。 どんなに哀しくても辛くても 時間は私の背中を押して 次へ次へと促していく。 もう、疲れてしまった。生きている事に、どうしようもなく 苦しみを感じる。 うつ病の症状は、日毎に酷くなっていて 兎に角じっとしているしか術はない。 言葉では言い表せないほどの 焦燥感や辛さがこころに溢れているけれど、 私は一歩退いたところで 呆然とその様子を感じているだけである。 母と会話をする事も、辛くなる。 意識のある間はずっと、針の筵に座っているような あらゆる痛みが心身に襲ってくる。 でも私は、そこから逃れようとする気すら起きない。 ただ、【無力感】が蔓延っている。 こうしてブログを綴るのは、 少しでも気持ちを整理して 1日の記録を残したいからである。 手書きの日記では、何故か続かなかった。 そして、このようにPCのモニタへ向かいながら キーボードを叩いていると 少し落ち着いている自分がいるのも否めない。 このような夜中に、 「そういえば、今日は昨日より暖かかったな」 「雨のにおいが心地好かったな」 等と想い出していると、 何となく「私は、生きている」という感覚が 戻ってくるのである。 焦燥感の中に生きていても、 普通の感覚が残っている事が分かって 安心する。 それでもやはり、眠りにつく頃には 心身は消耗して疲弊している。 気が付けば俯いてばかりいる。そして溜息を吐いている。 きちんと栄養を摂取していないから うつ状態になりやすいことは分かっている。 だが、それ以前に 生きているという事が苦痛で仕方ない。 私が生きているという事が。 母の負担となり、周囲に迷惑をかけている 自分を赦せない。 いつまでも自分を憎んでいたって 何の解決にならない事も承知しているけれど やはりその思考から抜け出せない。 暗い顔をしていると、母が哀しむ。 だから私は、頑張って微笑む。 今は頑張らなければ笑えないけれど、 笑っていれば脳がいつか 「楽しいのかも知れない」 と騙されるかも知れない。 せめて母を哀しませないよう、 母の前では笑っていたいものである。 やはり、母と一緒に過ごす時間だけがこころから安心できる。 四六時中、身構えていて そして漠然とした不安感にすっぽりと 覆われてしまっているけれど、 傍に母の体温を感じると すうっと気持ちが静まっていく。 最近は、一緒に夕飯を食べて 幾ら少量に抑えようと想っても それは過食に繋がってしまうが、 母と2人でいられる時間の方が大切である。 私の病気の話となると 時々、とげとげしい雰囲気となり 厳しい言葉をかけられて辛くなるけれど、 それは私を想っての言葉であろう。 様々な病気が治るのには、それぞれにプロセスがある。 そしてそれは、人によって違う。 何かの本に書かれている通りにして 治る人も居れば、治らない人もいる。 10人その病気の人がいれば、 10人、そのこころは違うのだから 当然の事である。 だから、私は自分が治るプロセスを 主治医と共に話し合いながら 見つけていきたいと考えている。 母が支えてくれているのだから、 力強い。 雨が、強く降っている。 地面を激しく叩きつける雨は、風によってうねる。 そして時々雷が鳴る。 夜中の大きな雷の音は、やはり不安感を掻き立てる。 19時前、スーパーへ向かっていた頃は 小降りで、傘を叩く雨の音は優しく、 湿った空気のにおいの中に、花の甘い香りが 混ざっていて春を感じた。 今日は久し振りにクラッシュアイスを作っている途中、 アイスピックで指を刺してしまった。 思いの外深かったようで、暫く血が止まらず、 でも、放っておこうと考えていたら 母が素早く消毒液を拭きつけ、 絆創膏を巻いてくれた。 そういった、細やかな手当てをしてくれる事が 今の私にはとても温かく、嬉しい。 自分でも出来る事ではあるけれど、 母に“手当てしてもらう”という行為が こころの手当てにもなっている感じがする。 まだまだうつ状態は続くと想うけれど、 ゆっくり休みながら歩みたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.03.10 01:59:58
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