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カテゴリ:抑うつ感
夜風に乗って、ふんわりと 甘い香りが漂ってきた。 あの花に違いないと想って 私は歩きながらその花を探した。 薄暗い中、白いぼんぼりのような 花を見つけた。 沈丁花。 私は思わず駆け寄り、その花に顔を近づけた。 すうっと吸い込むと 芳醇な香りが身体中に染み渡るようだった。 私は、沈丁花の花の香りが大好きである。 とても嬉しい、発見だった。 こうして自然を感じると、こころは柔らかくなるが、 家にいる間はずっと、凍りつき固まっている。 自分の事が厭で堪らないし 好きには決してなれない。 生きている事自体、諦めかけている。 だからだろう。だんだん身体が弱ってきている。 人間は、生きるのを諦めた途端、 弱くなるのは本当だと感じた。 兎に角気力がなくなり、 常にお腹を下している。 1日で何度トイレに駆け込んだか 数え切れないほどである。 その為、身体が弱っているのを如実に感じる。 ずっと怠さが抜けず 何もかもが億劫で仕方がない。 その上食べる気力も無いのに、無理矢理過食をして 嘔吐をしている。 その時間がきたら、 【食べねばならない】という観念に 身体もこころも支配されて、 それを曲げる事が出来ないのである。 要するに私は、病気の症状だけで 生を延ばしているのかも知れない。 母は今日も調子が芳しくないようだった。 食欲がないらしく、昼食に 具はわかめだけのおうどんを1玉 食べただけで、夜は湯豆腐を少しと 鰆の味噌焼きだけだった。 朝は4度しかなかった気温は、昼には20度まで上がり、 夜になるとまた急激に下がった。 季節の変わり目。こうした気温の変化により 母も私も調子が悪くなってしまう。 母は真冬に2度、風邪で臥せった。 やはり心配でならない。 しかし、母の負担になっている張本人は 私である。 少しの間、身体を横たえてぼんやりしていた。 取り留めのない想いが、浮かんでは弾けた。 私のネガティヴな思念だけ 箱に閉じ込めて、海に流せたら良いのにとか、 病気の部分に塗るお薬があれば楽なのに等、 本当に下らない事を考えていた。 でも、病気である事を全否定してしまうと、 自分が自分でなくなるような まるで“私”というものが 消失してしまうかのような感じがする。 【如何に病と共に生きていくか】 それを、主治医と毎回診察受診時に 話し合っている。 考えてみれば、3歳の頃から小児喘息、 チック症を患って そこから私の病気の歴史は始まっている。 小学生の低学年では既に死ぬ事を考え 母親が手首を切っている所を 発見してしまってからは 自分も直ぐに後を追えるようにと 準備をしていた。 そのようなプロセスを経て、 現在様々な病を患っているのだから、 “病を切り離す”という問題ではないのだろう。 この状態は、所謂【反応】なのであるから。 治る過程での必然性のある、 症状なのであるから。 私に出来るのは、無理をしないで 病気である自分を受け容れて こころの傷を癒しながら 生きていく事だけであろう。 美容室に予約を入れた。 3月下旬に、まずヘアカラーをして、 別の日にパーマをかける事になった。 個人でやっている美容室であるが、 かなり腕が立つ美容師さんなので人気があり、 予約がいっぱいで1度には出来ないとの事であった。 パーマをかけるのは4月になるであろう。 妹の結婚式に間に合えば良いので構わない。 3月の下旬はまた、祖母と共に 結婚式に参加するための洋服を買う為 お出掛けをする。 祖母とのお買い物は久し振りなので楽しみである。 気力は無くても、その日になれば 何故かテンションは自然に上がってしまう。 上がってしまうと、下がる時に辛い想いをするが それは仕方のない事として受け止めたい。 今日、電話診察を受診する事はできなかったが、 金曜日にチャンスはある。 漢方薬の処方が変わり、胃だけではなく 腸にも効くものになった。 その効果に期待してやっていきたいものである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.03.12 01:01:01
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