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2008.03.17
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カテゴリ:想い

家の近くに、大きな畑がある。

そこにも水仙が咲いている。

それは、黄色の花。

群生しているので近くまで行くと

香りが風に乗って漂ってくる。

朝、発見したものである。

暫し、見惚れていた。

春の花は、どれも愛らしい。

今は、桃の花が咲くのを待っている。

蕾は大分膨らんだ。

少し、待ち遠しい。







私の部屋には母の嫁入り道具である荘厳な箪笥が

3つある。


そのうちの1つには、透明のガラスの扉で

仕切られたケースが乗っている。

その中には、祖父母からの海外旅行の

プレゼントが入っている。

一番大きいのは、【コアラの剥製】である。

コアラは、ユーカリしか食べないので、

剥製も、ユーカリの香りがする。

私は時々、ケースの中からそれを取り出し

そっと抱きしめて香りを確かめる。

スッとする心地好い香りに癒される。

他には、祖父が船乗りだった頃

まだ象牙の輸出入が禁止されていない時に

買ってきた木で出来た牙を持つ象の小さな

置物もある。

それらにはきっと、私には計り知れない

家族皆の、想い出が詰まっているのであろう。







私は、船乗りをしている祖父の姿は見た事がない。

私が生まれた年に、

定年退職をしているからである。

祖父母の家へ行くと、壁に日本国旗が飾ってあって、

そこには職場の方々の寄せ書きがびっしりあった。

祖父は15歳で大阪へ1人、飛び出して

1~2箇所職を渡り歩いて経て船乗りになった。

2年間、徴兵に行った以外は

ずっとずっと船乗りだった。

日本に帰ってくるのは、年に2~3回だったらしく、

母にとっては怖い存在だったという。

一度、アルバムで若かりし頃の祖父を見た事があるが、

身内贔屓を抜きにしても凄く格好良かった。

船で飼っていたというリス猿を肩に乗せ、

船の内部の高い所から見下ろしている写真は

欲しいほどであった。

目が大きく、鼻が高い日本人離れした顔をしていた。

脚も長かったので、まるでハーフのようだった。

船の中で機械を修理したり、あらゆる故障部分を

直したりする腕を持っていたので、

定年退職してからも

カメラやビデオカメラを駆使して

旅行の際の写真やビデオ、

私達孫が小さい頃の何気ない普段の風景を

ビデオで撮っている事もあった。

映画が大好きな人で、よく映画館に足を運んだり、

TVで放送されるものはビデオにとって

主に洋画を観ていた。

そんな祖父を見てきていたから、

今、電話を掛けることも出来なくなった祖父を

想うと、胸が締め付けられて涙が出る。

人は時の流れに逆らえない。

確実に老いる。老いるという事は、

死に近づいていくという事でもある。

私達の世代は、その事実を認めて受け容れなければならない。

だが、愛する人の死ほど哀しく苦しく辛いものはない。

果たして私は受け容れられるであろうか。

自分が死んでしまう事に関しては

何も想わないのに、

大好きで愛している人の死は

想像するだけでこころがぐちゃぐちゃに

なってしまうほど哀しい。

手前勝手が過ぎるけれど、

認知症になっても祖父は祖父で変わらない。

だから長生きして欲しい。

祖母にも、いつも心配を掛けてばかりなので

私が元気になるまで、その姿を見せて

一緒に約束をした北海道旅行が出来るまで

ずっとずっと生きていて欲しい。







また、このブログを強迫観念で綴っている

感覚が生まれてきている。


「毎日やっている事だからやらねばならない」

そういう想いで、只管キーボードを叩いている。

けれども、助かっている部分もある。

ブログを綴っている間は、過食と嘔吐をしないで済むから。

色々と何かを考えたり、1日を振り返ってみたり

想い出を掘り起こしてみたりと

頭を働かせる唯一の時間でもある。

でも、タブーである想い出を掘り起こしてしまうと

忽ちフラッシュバックの嵐に襲われるという

諸刃の剣である部分も否めないが。

1日を振り返って、いつも想うのは

「ああ、今日も笑わなかった。」

という事である。

無論、クスッと笑う事はあるだろうけど、

手を叩いて大笑いするのは

1週間に1度あれば良い方かも知れない。

しかし、母を笑わせるのは得意である。

私がみた夢の話をすると、大笑いしてくれる。

最近の私の夢は、余りにも滑稽だからだろう。

例えば、母は脂物が苦手で

豚カツなんて滅多に食べないのに、

私の夢の中では・・・。

・・・夕方母が仕事から帰ってきたら

私に言った。

「今日ね、こんな大きな豚カツ、5枚食べたんよ。

 もう、お腹いっぱい。だから夜はちょっとしたものでいい。」

不思議に想った私は、

「お母さん、そんなに大きな豚カツ食べたん?

 その上まだ食べるん?凄いねえ!」

と訊くと、ふふん♪と鼻歌を口ずさみながら

買い物に出かけた。

その時私はPCでブログを綴っていたのだが

妹が拳銃を持って入ってきて

「姉ちゃんも買い物に行くんよ!早く!」

と脅すので私も拳銃を手にスーパーヘ向かった。

妹はパン屋でやたらパンを買うので

「そんなに食べるの?私は食べないよ。」

と夢の中でも摂食障害だから言うと

「早く支払いをしろ!」と発砲した。

「食べん言うとるやろ!」と私も負けじと

発砲して撃ち合いとなったが、

どちらにも弾は当たる事無く

そこで夢から醒めた。


まず、母が豚カツを食べるのも有り得ないし

妹が家に現れる事も拳銃を持っている事も

有り得ない。

最後には撃ち合いになっている。

母娘だから、私が見る夢の滑稽さが

笑いを誘うのであろう。

毎日、母は夢の話を聴きたがるようになった。

昨日は夢を覚えていなかったので

その話題が出なかったけれど

一緒に食事をしている時、母は

「そういえば、今日、どんな夢みた?」

と訊ねてくるほど楽しみにしているみたいである。

自分が笑えない毎日を過ごしていても、

母が笑ってくれたら、こころが和む。


今のところはそれでいいと考える。







いつも【身構えている】状態が続いている。

そのストレスが、摂食障害の症状になって

酷く出ている。


もう、食べ物を見るのもうんざりだと想うのに、

どんなに身体もこころも苦しくても

「食べて吐かねばならない」

若しくは

「何か口寂しいから食べたい」

と頭に浮かんでしまったら、

もうその想いを止める事が出来なくなる。

つまり、過食が始まり嘔吐が終わるまで

半ば放心状態でその行為を続ける。

そして全てが終わったらぐったりして

やっと眠れるのである。

中途覚醒した時は、眠気とこの衝動との

闘いとなってしまう。

大体、眠気の方が勝って眠れるが、

PMSの症状が出ている時期は、

朦朧としたお薬が効いている意識の中で

食べ始めるのである。

これらを鑑みると、意志等の問題ではなく

病気の症状であると考える。

誰も、自ら苦しい選択はしない。

眠っている方が楽なのだから、

苦しくなるまで食べて苦しみながら吐く

というような行為は選ばない。

それでも、過食と嘔吐という病症が

あらわれるという事は、

病気だからという事に他ならない。

これは、言い訳ではない。

ここから、どうすれば病症が出ないよう

落ち着いたこころで過ごせるか、

如何に、安定してゆったり生きられるか

試行錯誤しながらも考えていく切っ掛けとなる。

焦ると、治りはそれだけ遅くなる。

だから、ゆっくりやっていきたい。







朝晩はまだ寒いと感じるけれど、

それでも心地好い寒さである。

朝の空気を深呼吸すると、

身体の中の汚いものが吐き出され、

その代わり朝の綺麗で厳かな何かが

身体中に染み渡る感じがする。

住宅街なので、早朝は車通りが余りない。

静けさの中に、スズメの可愛い鳴き声が

弾むように朝を告げている。

そういった雰囲気を感じると、

朝起きて、夜眠るという

きちんとした生活サイクルに戻したいと

考える。

でも、今の所は落ち着いているこのサイクルで

過ごしながら、

少しずつ変えられる所から変えていきたい。





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Last updated  2008.03.18 00:22:22
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