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カテゴリ:抑うつ感
晴れた日の、空が好きだ。 どこまでも高く高く、 澄み渡ったあの青い色が 好きだ。 ふわふわと白い雲が 風に吹かれて形を変えながら 流れて行くのを見つめる事が 好きだ。 でも今は、 空を眺めるのが辛い。 晴れ渡った空は残酷なまでに美しい。 美しいから、私は見ている事ができない。 頬に当たる風が心地好いと感じるのは 最初の10秒くらいで その後は不安感や虚無感に覆われて 私は窓とカーテンを慌てて閉じる。 そして作り上げた暗闇に落ち着く。 あんなに好きだった朝陽を見るのも、 沈んでいく夕陽を見つめながら 刻一刻と空が色を変えていくのを 感じる事も、もううんざりだ。 何故だろう、全てが、怖い。 否、全てというのではなく 自分が存在している事が怖い。そして赦せない。 抑うつ感は、まるで風船のように 日々膨らみつつある。 萎まないのは、私がその術を放棄したからかも知れない。 大好きな玩具を突如奪われた赤子のように 私は唯、呆然としている。 そういう日が、月に1度は訪れる。 いつかは去ってくれる事を願い、 また心地好く清々しい青空を ゆったりと眺めたいものである。 朝、母に昨日の事を謝った。 タイミングを掴むのが難しかったけれど、 思い切って 「お母さん、昨日はごめんね。言い過ぎたよ。」 と言った。 しかし母は、何も無かったかのように、 「昨日の事?そんな事気にしないでいいのに。 言いたい事はちゃんと言わなきゃ。 お腹に溜める方が身体に悪いやろう? ちゃんと言ってもらえた方が嬉しいんよ。 それより、ずっと悩んでたん? もう、気にせられん。これからも、言いたい事があったら 何でも気にせず言いなさいね。」 と全然怒っていなくて、逆に励ましてくれたのである。 言いたい事とはいえども、“言い方”には 気をつけねばならないと、こころに刻んだ。 そうしなければ、また険悪な雰囲気が漂う。 それは、哀しく辛い事であるから。 母の、さっぱりした性格、 そして前日の事は決して引き摺らない 態度に救われた。 現在は、笑顔を交えながらお喋りしている。 6時前に、鶯が発声練習を始める。 雀のチュンチュク鳴く声とは違い、 透き通った美しさがある。 なのに、烏がガアーガアーという濁声で 邪魔をするのでやはり、此処は住宅街だと 思い知らされる。 鶯の声と雀以外の小鳥の声を聞きながら 目蓋を閉じていると まるで山の中にいるような感覚に陥る。 少し、こころが解れるような気がする。 しかし、依然としてカーテンは閉じたままであるが。 今は、夜になるとホッとする。 今夜の大きな丸い月を観ていると、 朝陽や夕陽よりも安心した。 きっと、この抑うつ感は今だけの辛抱だと 信じて、過ごしたい。 今の私は、トラウマの奴隷になっている。 誇りが傷つけられたまま、 これ以上傷つかない為に こころを凍りつかせて身構え 緊張状態で生きている。 それに疲れ果て、全てが面倒に想えて 生きる事自体に興味が持てなくなる。 そういう悪循環の中にいる。 生命とは、大切にするものであり、 “価値がある・ない”という問題ではない。 私は、世の中の下らない価値観に 毒され、雁字搦めになっていると 主治医は見抜いていた。 その価値観に自分を当てはめようとして その世界で生きていくのは無理だと知った。 生きていけないから消えるしかないと考えた。 だが、それでは下らない価値観で毒されて それによるトラウマ、その奴隷のまま 死ぬということである。 それはつまり、大切な【誇り】が 蔑ろにされたままとなる。 悔しい。それは、余りにも悔しいと感じる。 自分の悔しさを理解する事、 それを認めてケアする事・・・これらが 私の唯一出来る事なのかも知れない。 母と仲直りできた事に とても安心した。 勿論、些細な諍いでいつまでもいつまでも 根に持つような母であったら 一緒に暮らす事はできないであろう。 母は、いつも言う。 「私は一晩寝たら、昨日の事は忘れるから」 だから、私も素直に悪いと想った事を きちんと謝り反省できるのかも知れない。 言いたい事を何でも言っていたら それこそ一緒に暮らしていけなくなるほど 母との関係は険悪になってしまうが、 言葉を選び、話し合うべき事はきちんと 話し合いたいと想う。 まだ、青く美しい空を眺めるのは胸苦しさがあるけれど、 いつかは暮れ行く空をも ゆったり眺められる余裕が生まれる事を信じたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.03.22 23:41:21
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