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カテゴリ:無力感
「つらい」 そう言って私の部屋に入ってきた 母は、涙目だった。 母との食事を終え、私は過食と嘔吐をして 暫くたった頃だった。 身体が怠かったので、読書をしていた。 そこに、瞳を赤くした母が入ってきて傍に座った。 突然、 「辛い。辛いよ。」 と繰り返すので何かあったのかと吃驚して 何かあったのか訊いた。 「違う。私の事じゃない。○○ちゃん(私の名)の事を考えたらね、辛いんよ。 だって、20代って一番楽しい時期やし、 色々遊べる花盛りやろう? なのに○○ちゃんは、ずっと家でこうして、病気で。 外にも出られない。それ考えたら、辛くて。」 そう、母は言った。 私は、胸が押し潰されそうだった。 母が、私の事を考えて辛い想いをしているという事。 その事実が物凄く私にとって哀しかった。 母に、 「今は病気やから仕方がないよ。それに、何にも興味が持てない。 遊ぶ事の何が楽しくて、嬉しいのかが、 今は分からない。それも、病気の症状だと想う。 だから、先生と話し合いを続けてるんよ。」 と正直な気持ちを幾分柔らかく伝えた。 けれども母は、 「先生と話しても、何の進展もないじゃない。 全然、状態も変わらない。良くなってない。 ○○ちゃんが、この状態のまま終わると想うと、本当に辛いんよ。」 と、涙声で訴えてくる。 私はどんどん胸が苦しくなっているけれど、 動揺を表に出さないようにして、 「この病気はね、先生と話したり、お薬を飲んだりしただけで すぐ治るもんじゃないんだよ。 風邪だってそうやろ?お医者さんに症状を伝えて お薬を飲んでぱっと治るわけじゃない。 私の病気は、治るまでの期間が凄く長いんだよ。」 ゆっくりと言った。 確かに、傍にいる人の立場で考えると、 日がな1日病症に苦しみ、眠っている時だけ 幸せそうにしている状態の人間を 見るというのは哀しく、辛いであろうと想う。 それが、愛する娘であったら。 でも私は、こうして生かしてくれているだけで 母に感謝しているし、母と共に良い関係を築きつつある という事実がとても嬉しい。 本当に少しずつ少しずつ、動いてはいるのである。 けれども母にとってはそれが 余りにも微小なものだから、もどかしいのであろう。 母の想いが、痛いほどに伝わってきて 私は、母の為にも早く健康にならなければならないと 考えた。 けれども、それは焦燥感ばかりを生む。 「やっぱり、生きているだけで母に負担をかけ、 辛さや苦しみを与えていたのか」 そう想うと、自分が酷く憎々しくなった。 何度も此処に記してきたが、 病気が治るまでには、様々なプロセスを経る必要がある。 こころの傷、苦しみ、痛み。 それらの意味を考え、癒していく事を目指す。 1人で考えていては殻に閉じ篭り、卑屈になってしまうので 主治医との話し合いが重要である。 現に私は、電話診察によって救われている。 また、こころの問題とは目に見えないもので 難しく、デリケートなものである。 こころの傷に直接付ける事の出来る 傷薬もない。 だから、言葉や対話、相手との関係性や 時間など様々な要素の中で癒されていくものだと考える。 正直なところ、哀しかった。 母が、涙を流すほど、溢れて零れんばかりに 私を想うと辛さを感じている事が。 母の笑顔が見たい。 母と共に、また家族みんなで笑顔の溢れる毎日を送りたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.04.14 21:01:06
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