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カテゴリ:抑うつ感
皐月。そして、八十八夜の今日。 昨日よりは幾分涼しかったが それでも春は通り過ぎてしまったかのような 陽気だった。 明日金曜日は電話診察日なので、今の気持ちを まとめる為に、“結婚式”についての記述は 後日にしようと想う。 ずっと、こころが沈んだままなのである。 きっと、結婚式の日まで緊張という糸をぴんと張って 自分なりの全力を出し続けたからだろう。 “結婚式に出席する”という目標を達成し、 もう何もなくなった今は ただ漫然と生きているだけである。 そして、母の調子も芳しくない。 結婚式以来、足の痛みが悪化している。 鎮痛剤が胃を荒らしているらしく、 夕飯を食べられない日もあった。 母もまた、参ってしまっている。 捻挫でも、かなり重度のものだったのであろう。 その上、結婚式では慣れない和服姿だったから 足に負担がかかり、段々痛みは引いていたけれど 式が終わる頃には足を引き摺っていた。 でも今日はどうしてもお仕事で人員が足りないという事で、 1件だけお仕事が入った。 身体介助ではなかったけれど、立ちっ放しだったから 帰宅後は、とても辛そうだった。 母を助ける事が出来ない事、私は沈んだまま浮き上がれない事。 様々な事が相俟って、益々こころは沈んでいく。 精神状態が悪いのは、睡眠障害となって表れている。 きちんとお薬を服用していても、 2時間おきに目が覚めてしまうのである。 しかも取り留めのない悪夢を見て、気分も悪い。 朝8時に眠るのだが、10時に目覚める。 そして一服して、また眠れるけれど 12時には眠りから醒める。 お昼になると空腹を感じるので、 過食と嘔吐に走る。ぐったりと疲れて、眠る。 また、2時間後に目が覚める。 そこから、何故か眠気がどんどん増してきて 17時を過ぎる頃・・・つまり外出する 支度を始めねばならない頃になると 起き上がれなくなる。 全く都合の悪い心身だと嫌気が差す。 「母さんは怪我をしていて辛い中でも お仕事をして、完治していなくても土曜日から復帰するのに 私は一体何をしているのだろう。 うつという波に溺れたまま、泳ぐ努力も 足掻いて助かろうと頑張る事もしない。 情けない人間だ。」 この想いがずっとこころを占めている。 先日、ふとしたきっかけでパンドラの箱の蓋が開いた。 TVで、とある臨床心理士が招かれて 講師としてお話している30分番組だった。 その中で、本人の了承を得て “人が怖くて人前で一言も話す事ができない人のカウンセリング” について話されていた。 そのクライアントは、女性である。 内容は省略するが、その話を聴いていて、 こころが共鳴したのである。 それは、 子どもの頃、母に話を聞いてもらいたかった事。 無視しないでほしかった事。 「あのね」と話しかけたら「なあに」と答えてほしかった事。 母自身、手首を切るまで苦しみを溜める前に、 私に愚痴でも何でも零してほしかった事。 私はよいこではない。この“よいこ”である姿は 作り物であるのに気付いてほしかった事・・・ 特に、私は子どもの頃、色んな話を聞いてもらいたかったし、 話をしてほしかった。 でも、叶わなかった。 母は、父方の親戚中から苛められていたし、 父からも毎日罵られたり、不条理に束縛されていたから 自分自身のことで精一杯だったからである。 その上、妹も弟もいたから 家事の上に子育てもこなさねばならない。 そこには、母の苦しみそして哀しみがあった。 同時に、私は“子どもである事”を放棄しなければならなかった。 現在、主治医に少しずつ 電話診察という形で話をしている事で、 少しずつ“よいこ”から脱却しつつあるが、 もう“よいこ”は私の悪い癖・・・すぐにそう振舞ってしまう。 それが、自分の首を絞めている事を分かっていながら。 TVを観ていて、その臨床心理士の話を聴いて、 止め処なく涙が流れた。 子どもの頃、押し込めた聴いてほしかった言葉の数々は パンドラの箱の中にあった。 でも、また私はその箱の蓋を閉じた。 どうしようもないからである。 まだ、自分で自分を救う力が不十分である。 金曜日に、この事は主治医に話したい。 兎に角、疲れている。 もう、何もしたくないけれど、 こうして想いを綴らないと破裂してしまいそうだ。 PCを立ち上げる事も、実は億劫でならない。 全てが、苦しい。 だけど、生きるしかないから、漫然と生きている。 この、茫漠とした自分という世界の中で。 眠りたい。ぐっすりと眠れたらきっと、 疲れも取れるかもしれない。 それを、願おう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.05.02 02:22:18
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