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カテゴリ:想い
夜中は、不安定の極みにあった。 常に祖父の事を考え、 そして泣いていた。 もう、一緒にお買い物は出来ない。 お散歩も出来ない。 遊びに行く度、数分おきに 「みんなは元気かな?」 という質問を聞けない。 数分おきに、手紙は届いていないかと 郵便受けを見に行く祖父も見られない。 今までの“普通”を全て失った。 そして明日、明後日の山。 無事乗り越えられますようにと願うたび 涙が溢れ出して止まらなくなる。 様々な想い出が浮かんでは、 涙となる。 「明日、じいちゃんに笑顔で会う為 今、泣いておくんだ」 そう言い聞かせて、いっぱい泣いた。 泣き疲れたのか、少し寝坊してしまい、 腫れぼったい目蓋と浮腫んだ顔で 母と妹・姪っ子、弟と共に 正午には病院に着いた。 面会時間は、朝・昼1時間ずつ、 夕方30分と決まっている。 12時から13時までの面会時間に、 祖父の居る集中治療室・・・NCUに入った。 祖父は、眠っていた。気持ち良さそうに。 心電図を見ると、昨日より血圧は下がっていて 安定していた。 尿道カテーテルも取り外されていた。 何よりも安心したのは、拘束されていなかった事である。 その痕も無かった。 麻痺していない左手を握り、 「じいちゃん、来たよ!」 そう話しかけると、パチッと目を覚ました。 私の顔を認めると、少し吃驚した顔になった後、 にっこりと笑ってくれた。 「今日はね、○ちゃん(姪っ子の名前)も来たよ!」 と、祖父の顔の所までつれてきた。 力持ちの弟が、姪っ子を抱っこして、 祖父に顔が見えるようにすると 「おお、おう!おお!」 と、とても喜んで、幸せそうな笑みを浮かべた。 姪っ子も祖父の手を握り、 「ひいじいちゃん、だいじょうぶ? 元気になってね。がんばってね。」 心配そうに言っていた。 祖父は何度も頷き、笑顔だった。 妹もまた、祖父の顔のところへ行き、 「結婚式に来てくれてありがとうね。 じいちゃん、がんばれ!」 と話しかけると、笑顔で頷いていた。 その時、祖母が来た。 祖母は、朝・昼・夕の面会時間に必ず来ている。 祖母も83歳で、家は病院から遠いので きっと、とても大変だと想う。 しかし、祖母が祖父の顔の所へ行った時、 祖父の表情は今まで以上の笑顔に変わった。 それはもう、本当に嬉しそうで、 「どこ行ってたんだ?1人にしないでくれよ」 と言いたくても言葉に出来ないもどかしさと、 祖母の顔を見られて嬉しさとが入り混じっていた。 祖母も、 「あら、顔色が良くなったじゃない。 みんなが来てくれたからね。嬉しいねえ。 ほら、私の事分かる?○○(祖母の名前)よ!」 と嬉しそうに話しかけた。 祖父は、祖母の名前が分かるかと問われて 「当たり前だろう」 と言わんばかりに輝く笑顔で頷いていた。 言語を司る部分も影響を受けているようで 祖父は今、言葉を話せない。 それがもどかしく、悔しそうだった。 今回は、弟の事も分かったようだった。 やはり、金髪ツンツンヘアーには驚いた顔をしていたが、 弟が名乗ると、「分かる、分かる」という感じで 手を握り返していた。 昨日よりも、意識がはっきりしていて、 視線もきちんと合い、 私の笑顔も、受け止めて笑顔を返してくれた。 ただ、あと2日は予断を許さない。 出血範囲が広がると、手術になるかもしれないし、 それでも間に合わないかもしれない。 だから私は、只管願い、祈るしかない。 「これ以上悪化しませんように」と。 いつもなら場所も何も関係なく はしゃぎまわる姪っ子もお行儀よくしていた。 明日も、私は祖父のところへ行く。 でも、夜中になるとまた直ぐ傍に行きたくなる。 何かしていないではいられない。 祖父が退院するまで毎日祖父の傍へ行く。 一般病棟に移ったら、面会時間は関係なく ゆっくり祖父の傍に居られる。 だから、生きていてください。 これ以上悪化しませんように・・・。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.05.31 21:30:47
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