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カテゴリ:想い
夜中になるとやはり 祖父を想い号泣する。 まるで子どものように、 私は声を上げて泣いている。 母が起きている間は、 心配を掛けないようにと 自分のこころに対して鈍感になっている。 何も感じないようにしている。 けれども夜中、独りっきりの時間が訪れると 忽ち祖父との想い出が胸に溢れ そしてまた、 この時間、ひとりで闘っている祖父を想い 滂沱する。 「じいちゃんは、もう言葉を喋る事ができない。 喉が渇いた時、どこかが痒いのにそこに手が届かない時 病院でどうやって伝えられるのだろう」 「今までは、話す事ができたから、 入院しても独りじゃなかった。胃潰瘍の時も、大腸ポリープの時も。 でも今は何も訴える事ができない。 ただ独り、ベッドの上で闘っている」 これらの事を想うと、何も出来ない 非力な自分が恨めしい。 あの、胃潰瘍や大腸ポリープ摘出で入院した際は、 祖母が病室に泊まって看病していた。 祖父は、祖母が居ないと忽ち不安になり、病室から出てしまうから。 家に帰ると、聞かなくなるから。 しかし、今回の脳出血は、 言語野と運動を司る部分を侵してしまった為、 自分の意思を正確に人に伝える事が出来ず どこが苦しいとも表現できない。 また、右半身が麻痺している事で 褥瘡が生じる可能性もある。 「どんな状態でも2週間で退院してもらう」 と告げた病院側に、どこまで患者の 状態が分かるのか、信頼できない。 だから私の不安は際限なく膨張してゆき それは、涙へと変わる。 水無月の初日、日曜日。 面会時間、祖父はずっと眠っていた。 どんなに呼んでも、身体を軽く叩いて 刺激を与えても、 昏々と眠り続けていた。 一言も話せなくて哀しくなった。 しかし6月2日の今日、 お昼は調子が良かったようで、 集中治療室で昼前にゼラチン食を 食べられたと聞いた。 レントゲンを撮った結果、 初診の時より出血範囲も広がっていなくて 病状も安定したので 昼過ぎ、一般病棟に移ることもできた。 話しかけると、一応目蓋を開いて私のことを分かってくれた。 「私の事、分かる?」 と訊くと頷いてくれて安堵した。 祖母の事も、母の妹の事も分かっていて、 特に祖母が顔を見せると笑顔も浮かんだ。 しかし、夕飯は調子が悪かったようである。 看護師さんが食事だよと 重湯をスプーンで祖父の口の中に入れても 直ぐに目蓋を閉じて眠ってしまい、 飲み込めない。 重湯は、口から出てしまう。 祖母と私も手伝って、 「じいちゃん、起きて食べよう。おいしいよ! ごっくんって飲み込もう?」 と大き目の声で話しかけても、 やはり目蓋が閉じてしまい、寝息を立て始めてしまう。 ほうれん草をミキサーで潰し、ゼリー状にしたものを 看護師さんが口に入れたけれど、 咀嚼する事もできなかった。 嫌がり、苛々と動く左手で拒絶の意を 表しているようでもあった。 とろんとした眼で、口が半開きである 祖父の表情を見ていると 何だか哀しみが溢れてきた。 あんなに、食べる事が好きな祖父が、 食事をしているという事さえも理解できず 眠り続ける様子が・・・。 でも、希望は棄てたくないと今は考えている。 明日からは、リハビリが始まる。 車椅子に乗って移動したり、 食べる練習をする。 ただ、眠り続けているという事が、脳出血による影響で このままいつまでも眠り続けて しまうのではないか心配で堪らない。 不安で不安で仕方ない。 こころに、たくさんの想いが溢れるけれど、 それを言葉にする行為が苦痛になっている。 毎日、祖父の元に行きたい。 その為にも、自分自身体調に気を付けて 疲れたときは素直に休めるようにしたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.06.02 22:12:25
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