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2008.06.05
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カテゴリ:想い
祖父が倒れ、

もう今までのような穏やかな日々は

送れなくなった。







そんな事よりも私は、

祖父が苦しんでいる事・・・

想っている事を言葉に出来ない苦しみ、

右半身が麻痺して身体を想うように動かせない苦しみ、

85歳なのに余生がより一層辛くなった事実、

祖父と、今までのように会話ができなくなった事実、

病院で夜を独りで過ごしている祖父、

家で、独りで過ごさねばならなくなった祖母の事etc...


それらを考えると否応無しに涙が流れるのである。

けれども、母は泣くなと言う。

これからが辛いのだからと。

現実を真摯に受け止めろと。

その理屈も、過去を思い起こして嘆いていたって

仕方がないという事も分かるけれど、

私は、やはり沢山の想いに溺れる。







祖父が初めて脳卒中で倒れた時も

物凄いショックを受けた。

それまで、どんな遠い所へだって

自転車で走って行っていたし、

祖母が体操の先生をやっているので

いつも道場までその自転車の後ろに乗せて

一緒に行動していた。

お酒と映画と時代劇が好きで、

私達が遊びに行くといつも、一升瓶を傍に置き

柔らかい座椅子に座って

日本酒を飲みながら洋画を観ていた。

夕方になると、『水戸黄門』を観ていた。

そして、祖父の手料理はとても美味しくて、

船乗り時代に培ったその腕は

どんな料理にも申し分ないほど発揮されていて、

特にお漬物や煮物は

祖母が作るものよりも繊細な味がした。

勿論、祖母が作る料理もとても美味しい。

祖父母夫婦は2人とも短気なのですぐ口喧嘩をしていたが、

数分後にはけろっと忘れて仲良く話していた。







それらが、最初の脳卒中で全て崩れ去った。

なのに今回、祖父は言葉と身体の自由を失った。

昨日、虚ろな表情で重湯が口の中に入っても

飲み込む事さえせず、目蓋を閉じようと、眠ろうと、

私達とのコミュニケーションを一切閉じようとした

祖父の姿が脳裏に焼きついている。

ショックとか、そういう言葉では言い表せない。

ただ、自分の無力感を突きつけられ

矍鑠としていた祖父から

認知症になり、柔らかくそして寂しげになった祖父、

その上、まだ残りの能力をも奪った病気を、

私は憎んでしまう。

こんなにも大切で、大好きな祖父から

ゆったりとした余生を奪うだなんて

なんて無常なんだろうと、力が抜けていく。







そしてまた、83歳の祖母も同じく脳血管に問題を抱えていて

気をつけねばならなくて、

以前ほどの元気はない。

耳が少し遠くなっているし、物忘れもかなり多くなってきた。

何も出来ない私がここに浮き彫りとなり

病気である私が何とも情けなくもあり、

しっかりしなければならないのに

そうできない自分が何よりも一番憎々しい。

腹が立つ。

泣くなと言われてから、泣かないようにしている。

こころの叫び声に

私は只管、耳を塞ぐしか術はない。

けれども先日、主治医の診察を受診した際、

「1人のときは、泣いたっていい。

 辛い時、涙が流れるのは自然な事なんだから。

 我慢しなくていいんだよ。」


と諭してくださった。

だから私は相変わらず毎晩泣いているけれど、

それは決して、悪い事ではないと考えられるようになった。







夕方、祖父のところへ行った。

既に祖母や叔母は帰ってしまっていて、

私は1人、祖父の傍に居た。

静かな時間だったので、

ゆったりと祖父に語りかけた。

先ず、

「じいちゃん、○○(私の名前)よ!来たよ!

 私の事、分かる?」

と話しかけると祖父は目を覚まし、

「ああ、おう。」

と頷いてくれた。そして、少し微笑んだので

私は嬉しくなった。

「調子はどんな?しんどい事ない?」

と訊く頃にはもう眠ってしまった。

どうやら発熱しているようで、

両脇に氷枕を挟んでいた。

今朝から血圧も高いようだった。

しかし、リハビリは行なったそうで、

それで具合が悪くなったのではないかと感じた。

時折、苦しげな表情を見せるので胸が痛んだ。

はっと目蓋を開けるときがあり、

そのタイミングで私が顔を見せると、

祖父は安心したように微笑んだ。

その際は、必ず私のことが分かるかどうか訊ね、

「分かる」

というリアクションをしてくれるのでホッと胸をなでおろす。

ただ、肘の骨のところに青痣が出来ていたり、

赤く皮膚の色が変わっていたりしていた。

何故だろうと想い、看護師さんに尋ねてみると、

日勤の看護師は帰ってしまったので分からないとの事だった。

でも、この事はリハビリの先生にも

他の看護師にも報告しておいて下さると仰ったので

信用する事にした。

動かない右肘に酷い青痣が出来ていたから

本当に心配である。

祖父は言葉を発せないから

「痛い」という事も訴えられない。

とても、哀しい。







毎日頑張りすぎると、私もダウンしてしまう事を痛感した。

自分が病気である事を、つい忘れて

テンションを上げて頑張ってしまう。

祖父の所では常に元気でいなければならないから

帰宅すると、その反動で沈み込む事も多い。

しかし、出来る限り祖父の元に居たい。

眠っている時間の方が長くても、

祖父と共に時間を過ごしたい。

けれども、無理をしてまたダウンしないよう

気を付けたい。





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Last updated  2008.06.05 21:50:15
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