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カテゴリ:無力感
時々、自分に問う。
「私は誰なのか」 名前はある。 けれどもしっくりこないし、 人と殆ど関わりあわなくなった現在、 名前で呼ばれることも無くて 一体自分は何者なのかが 分からない。 27年前に、母から産まれた事や、 祖父母の初孫である事も 事実として受け止められているけれど、 アイデンティティというものが全くない私にとって、 生きるということが、無意味だとか 虚しいとか そういう風にしか感じられない。 今まで、自分のために生きた事なんてなかったから、 病気が治るよう静養していても、 何か申し訳ないことをしているような気がしてならなくて 罪悪感が次から次へと溢れてくる。 何よりも問題なのは、 己が、 “私は生きていても良い” と認められない事なのかも知れない。 「誰かの、何かの役に立ちたい」 なんて烏滸がましい考えは やっと薄れつつあるけれど、 生きている意味が全く見出せない、 何の役にも立てない自分が生きているなんて、 それこそ馬鹿馬鹿しいとさえ想ってしまう。 大切な家族に迷惑をかけてまで生きている事が、 私は哀しいし、そんな自分を赦せない。 「病気なんだから仕方ないよ」 と母は言ってくれるけれど、 それでも、私が生きている事で やはり迷惑をかけているのは否めない。 祖父を、想う。 祖父を想うと、中々会いに行けない申し訳ない気持ちや いつも祖母が傍に居ないと不安になる祖父が 1人、病室で過ごさねばならない時間がある事に 胸が痛くなる。 けれども、リハビリの成果が出ているのか、 先日、言葉を喋る事ができなくなったはずの祖父が はっきりと自分の名前を言ったのである。 妹が、それを聞いたと言っていた。 それまで、ごにょごにょと何か呟いていたらしいが、 突然、名を名乗ったらしい。 前の病院に入院していた頃は、 「ああ」「おお」 としか発せられなかったが、 今回はっきりと 「○○です」 と言ったと聞き、私は奇跡というものが本当に起こる事を 涙を流しながら喜んだ。 実際、食事は進んでするようになったし、 暑いのか、来ているボタンダウンのシャツのボタンを 利き手ではない左手で器用に外してしまうらしい。 人間は、生きている間にその脳の数%しか使用しないという。 今回、祖父が脳卒中の為、失ってしまった機能を 補うように、眠っていた脳の機能が働き始めたのかもしれない。 人間の身体、特に脳は未知の分野であると想う。 「祖父に早く会いたい」 この想いは何よりも強いけれど、 今回の月経痛が余りにも酷かった事や、 抑うつなどの症状も強く出ている事で 外出もままならない。 そんな自分が、本当にじれったいし、悔しい。 祖父に、会いたい。 私は、母の初めての子どもであり、 祖父母にとっても初めての孫である。 父方の家にしてみれば、 何だか60年振り位に産まれた女の子だと 物心つかない頃は可愛がられたらしいが、 母は、その父方の親戚に苛められていた。 「私は一体何者なんだろう。誰なんだろう」 答えのない問いを、今日もまた 無駄だと想いながらも 私は只管、考え続ける。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.06.26 06:48:00
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