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カテゴリ:日常
雨が降ると、その姿が美しく見える花、 紫陽花。 土がアルカリ性か酸性かの違いで その色を変える。 私の家の前で見るのは、 ピンクの強い赤紫色。 歩く道々では、ブルーのものが多い。 でも、紫陽花を這う蝸牛は殆ど見かけなくなった気がする。 日々、きっと楽しい事や嬉しい事は すぐ傍にちりばめられているのだろうと想うが、 それに気付けない。 否、気付く事を拒んでいるのかも知れない。 周りに迷惑ばかりをかけていて、 大切な存在である祖父の傍にも行けない 私が、笑ってはいけないと考える。 こうした想いを言葉にするのも 正直いうと苦しくて、 まるで傷口の上に更に傷を重ねているような気さえする。 何をするのも、苦く、辛い。 食べたくない。 食べ物など見たくないと想うのに、 無理矢理過食と嘔吐をしている自分が居る。 お酒を飲むのも気分が悪いのに、 惰性で飲んでいる。 “何かしないではいられない” といった気持ちだけで動いている。 その気持ちが無ければ、 私はきっと24時間お蒲団の中から抜け出す事はないだろう。 主治医の診察を受けていない事も相俟って、 私はどんどんと堕ちていっている。 分かっていても、もう主治医と何を話していいのか分からない。 こころの中は余りにも混沌としすぎていて、 そのカオスは私を混乱に導く。 自分の出生の理由を否定し、 生きている価値を貶める。 “生きているだけ無駄。周囲の迷惑” その想いが頂点に達したら、 私は消えることが出来るのだろうかと お薬袋から溢れそうなほどの メジャートランキライザーを見つめる時間が多くなった。 生きている意味など無い。 私が辛うじて生きていられるのは、 祖父母や母が生きているからという理由があるから。 それだけである。 自分のために生きるなんて、 そんな烏滸がましい事など 考えられない。 昨日の火曜日は、祖父の入院している病院で 祖母と母を交えた担当者会議が 午前中に行なわれたため、 早い時間から身体が動かなかった私は、 また、祖父の所へ行く事が出来なかった。 悔しいとか、情けないとか そういった気持ちを通り越して 自分のこの不甲斐なさに 無力感を覚える。 こんなにも、祖父に会いたいのに、 祖父の笑顔を見たいのに、 祖父と触れ合いたいのに、 それが出来ない、身体が動かないと固まる自分を感じると ただただ 虚しさと無力感だけが蔓延る。 現在、目に映るものすべてが色褪せている。 自分が生きている意味なんて、無い。 もう、疲れてしまった。 先日、ドラマ『斉藤さん』のDVDを購入した。 今はこれだけが癒しかもしれない。 今日から1話ずつ観ようと想っている。 以前のように、こころから楽しむ事は難しいだろう。 だけど、少しでも ゆったりとした時間を過ごせたらと考える。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.07.02 21:25:07
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