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カテゴリ:想い
本来なら、前回綴った 祖父に会った日の続きを書くべきだが もう、書けない。 余りにも、こころがひりひりと痛むから。 この痛みを、言葉として表現するのは 今の私には難しく そして気力が無い。 ただ、要約はできている。 祖父の点滴が終わり、元の病院に戻ることになった。 私達もそれぞれの車で病院に向かった。 祖父は、寝台車で。 午後1時頃だったので早速昼食が出た。 看護師は食事の介助を祖母に任せた。 ああ、昼食が運ばれるまで ベッドに寝かされていた祖父が オムツを外そうとしたり ベッドの柵を外そうとしたりするので 祖母が 「あんた、そんなことやっちゃ駄目だって言ってるでしょう」 と祖父の左手をぺチンと2度ほど叩いた。 それが痛かったのか、祖父は不明瞭ながらも 「何するんぞ!叩いたら痛いやろう!もう!」 と怒りをあらわにした。 怒りの感情を伴うと、祖父は言葉が出てくると分かった。 昼食。それはお粥、そしてとろみをつけられた ゼラチン食のおかずだった。 祖父が、誤嚥しないように。 ご飯が大好きである祖父は 大体機嫌よく食べるが、段々不機嫌になってきた。 その中にお魚の煮物のゼラチン食があったからである。 祖父は、認知症になってから 魚類を食べなくなったのだが、 香りを確かめない限り、それが何の食材なのか 分からない食事なので、 祖父が顔を顰め始めるのを見て 漸く、その不機嫌さが増していく理由が分かったのである。 お魚のおかず以外殆ど食べ、祖父の 「もう、いい。」 という言葉で、食事は終わった。 私達は朝から集まり、その時間まで飲み物くらいしか 口にしていなかったため、 私以外の誰もが空腹で少し短気になっていたのを感じた。 親族が去る時には、 祖父に拘束用の手袋をしなければならない。 そうしないと、オムツを外してしまうからである。 オムツを外してしまうと、衛生面に問題があるので そういう措置が取られている。 しかし、祖父は唯一動く左手の自由までも 奪われてしまうのだと想うと、 胸に何か刺さるような感じを覚えた。 いくら仕方がないとしても。 そして手袋を嵌められた祖父は、口で外そうとする。 祖父に、前歯は無い。 歯茎で外そうとするから、その手袋は血の跡でいっぱいだった。 祖父の口から出た血液だと想うと、 益々胸が締め付けられて息が苦しくなった。 そこから、記憶が薄れている。 母から、その後の事を訊いた話によると、 私達は皆で 「じいちゃん、何も無くて良かったね」 と話し合いながら お蕎麦屋さんで蕎麦を食べた。 そして、コーヒーでも飲もうとカフェにも行った。 薄っすらと憶えている様な気がする。 けれども、病院で見た祖父の姿 手袋を必死で外そうとする祖父の姿だけが 今の私の心に浮かんでは沈むばかりである。 昨日、かなり久し振りに主治医の電話診察を受けた。 その際、祖父のリハビリに関して 私の想像力が活かせるという言葉を伺い、 少し、頑張ろうと想えた。 祖父が倒れる前、よく唄っていた歌や 船乗りだった頃の事を活かせるもの等 リハビリの方法。 様々に考えが浮かぶ。 時に私は全てが苦しくなって 死んでしまいたいと、 そういえば私は死にたかったのだと考えるが、 今は、祖父の事を想い 一瞬一瞬を大切にしていきたいと想っている。 だが、苦しい。 こころのどこかが、 いつもいつも、ひりひりと痛む。 痛い。 そして、哀しく辛い。 大好きな祖父が、苦しんでいるという事が 自分の病気よりも、辛くて仕方がない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.07.16 04:06:11
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