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凍えたココロ

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2008.08.02
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カテゴリ:虚無

いつのまにやら

葉月も2日目を迎えていた。

7月の後半は、身体の調子を崩して

1日を生きるだけで精一杯だった。







毎日、胸が痛む。

今、この瞬間に妹が暴力を振るわれてはいないか、

祖父が苦しんでいるのではないか、

祖母は独り、家で心細いのではないか・・・。

自分の病気もしんどいけれど、

家族が苦しく辛く痛い想いをしている事の方が

もっともっと哀しくて

考え、想えば想うほど

言葉に言い尽くせない辛さが襲ってきて胸が痛む。

“自分には何も出来ない”

それを目の当たりにして、目の前が真っ暗になる。







主治医の電話診察を受けている時だけは、

ほんの少し、こころが落ち着く。

しかし、やはりその話の中でも

明日、何が起こるか分からないという覚悟で

生きねばならない
という結論に至り、

私は自分の事が何も分からなくなった。

気を抜けば、すぐに解離する。

気付けば時間が経っていて、

その間何をしていたか、何を考えていたか思い出せない。

後、酷い下痢が続いている。

昨日辺りは、少し落ち着いていたけれど、

一時期は大人用オムツを穿かないと

眠れなかった。

お薬を服用すると、突然意識を失うように眠るので

その間は何も感じなくなってしまうから。

10日ほど、起きている間は

10分おき位でトイレへ行っていた。

尾篭な話になるが、

便は、色が少しついただけの水だった。

所謂、水便である。


その間に、私は痩せた。

久し振りに会った弟から、指摘された。

そのままじゃ本当にヤバイと言われた。

自覚などない。

寧ろ、もっと痩せねばと想っていた所だったから。

弟に言わせれば、脚は棒のようらしい。

涼しい時間帯に、散歩した方がいいとアドバイスされた。







自分の事なんて、どうでもいい。

それよりも、妹の生活の方が心配であるし、

あの男の暴力が、いつ姪っ子に向かうか分からないと考えると

居ても立っても居られない。

母も、精神的に参っている。

今まで、母との関係を良いものに築いていきたいとか、

映画を観に行くことが出来たとか

少しずつ病気が治る方向へ進みたいと想っていた。

けれども、そんなゆったりとした時間なんて

今後一切訪れない。

憂慮は絶え間なく続き、安心できる時間は殆どない。

眠る前も、

「眠っている間に何かあったらどうしよう・・・」

という不安で

たとえお薬を服用していても2時間おきに目が覚める。

DVは、犯罪。だから、私は周囲が反対しようとも

警察の生活安全課には相談しておこうと想っている。







周りの環境が落ち着いていた頃、

漸く私は、“甘えるという事の意味”について

考えられるようになり、

甘えと依存の違いに気付き、

甘えるという事こそ、人間関係を築く上で

それは糊のような役割を果たすものだと感じた。

だが、私はもう、誰にも甘えられない。

甘えられる人は居なくなった。


病気が治っていく過程で、必要なのは

甘える意味を知る事だと考えていた。

私にとって、甘えられる対象は母だけだった。

けれども、その母はもう、疲れきっている。

祖父が入院した先の病院は、余り良くない所だった事が

また、母のこころを押し潰しているのだろう。

カンファレンスに参加して、

色々と質問をしたり、最低限の要望を伝えたりしたら、

看護師長みたいな人が母のいる前で祖母に、

「自分の子どもと相性が合わないのはつらいですよねえ」

と言ったのである。

確かに祖母は、病院側に全て任せたい気持ちであるが、

拘束用具である、手袋を実費で購入を迫られたり、

リハビリの時間以外はその手袋で

祖父はずっと拘束されていたり、

オムツは一昔前のタイプで蒸れやすく

皮膚がかぶれやすい祖父にとって苦痛である事を

「ちょっと違うのではないか」

と母が物申したのが、

病院側にとっていけすかないらしい。

とある日の夜、母は、私に言った。

「私が死ねば、保険金が入るから兄弟で分けて。

 そしたら、あの子がお金が無いことで働いて旦那から文句を言われなくなるし

 あんただって未来があるんだから生きていける」


その言葉を聴いた途端、私のこころは音を立てて壊れた。

でも、表面では如何に母親とは素晴らしいか、

母が共に生きてくれるお陰で私は生きていけるとか、

妹も弟も私もみんな、母が大好きで

母がいきなり死んでしまうなんて、

幾らお金が遺されても、哀しくて苦しくて生きていけなくなるなど

必死でその考えは違うと訴えた。

立場が、逆になっていて倒錯的な感覚は否めなかったが、

母は自分が死ぬという考えを“それは違う”と

思い直してくれたようで、安心した。

私は、必死だった。

しかし、私はもう、生きていく気力がない。







私の主治医は、妹も診察して

PTSDという事で治療を始めている。

母は、私のお薬を取りに行くため、

診察室で先生とお話している。

主治医は、母も妹も私もみている。

その上で、3人とも本当に危うい状態だと仰っていた。

もし1人が欠ければ、みんなこの世から消えてしまうかもしれないと。







過食と嘔吐。この症状は、惰性で続いている。

食べたから、吐くという、それだけの理由で。

お酒を飲んでも、酔えない。

大好きな安室奈美恵ちゃんの音楽を聴いても

すぐに気分が堕ちてしまう。

もっともっと大好きな観月ありさちゃんの映像を観ても、

集中できなくて数分で消す。

何だか、毎日ジェンガをやっているような気分である。

不器用な私は、2~3個ブロックを抜いただけで

崩れそうな状態に追い込む。

ジェンガは、私のこころ。

1日の終わりを迎える前に、崩れ落ちている。

そして1日の始まりに、組み立てて

また、1つずつ稚拙な手つきで抜き取っていく。

崩さないように、けれども、崩れてしまえと願いながら。







心許ない。

こんな不安を感じるのは物凄く久し振りかも知れない。

母こそ生きていてくれたら、

私も生きていけると想っていた。

でも、

「違う」

とこのブログを綴れない日々に痛感した。

目の前が真っ暗なのに、歩かねばならない心細さは

恐怖にも繋がる。

幸せな未来など想い描かない方が良いと仰った

主治医の真意がやっと分かった気がする。

明日1日、私の大事な家族が無事でいられるかどうか、

私は果たして生きていられるのかどうか

分からないのだから。

絶望なんて、生易しい言葉では

言い表せない日々が、

また数時間後昇る太陽によって

始まると考えるだけで

こころは押し潰されていく。





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Last updated  2008.08.02 05:12:10
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